興趣つきぬ日々

僅椒亭余白 (きんしょうてい よはく) の美酒・美味探訪 & 世相観察

早見えより腹見え

2016-01-29 | 余白の創作ことわざ

ひさびさの「余白の創作ことわざ」です。
今回は創作ことわざ編。

早見えより腹見え   はやみえより はらみえ

<意味>
人の話を聞くときは、早く理解すること(早見え) より、話し手の真意(腹) を掴むことが大切である。瞬時に気の利いた受け応えができなくても、深く理解できれば、それはおのずと相手に伝わるものだ。(「腹」は「肚」、または「胆」とも書く)

<ここで一言>
このことわざの創作意図は、理解の早いことを示そうと瞬時に反応したり、気の利いたことを言って相手や周りの ‘受け’ を狙ったりしなくてよい。それより話し手の言わんとすることを正しく把握せよ、ということです。わたし自身の自戒のために作りました。

たしかに世の中には、間髪を容れず面白いことを言って周りを愉快にさせてくれる人、何気ない話題を軽妙に操り、楽しませてくれる人もいます。でも、これは一つの才能(タレント)でしょう。皆が皆、そのようにできるわけではありません。

<さらに一言>
「早見え」 は囲碁・将棋の世界でよく使われる言葉のようです。いくつかの手筋が瞬時に読めること、または天才肌の棋士のことをいいます。しかしながら、囲碁に詳しい人に聞いてみると、早見えだから強い、ということではかならずしもないようでした。‘遅見え’ でも強い人は強いのだそうです。

<もう一言>
自分がその場で思いついたことを即、そのまま声に発し、長ったらしい話を延々としゃべる人をときどき見かけますが、ほんとうに賢い人は、回りくどい話はしない。むしろ他人の話をよく聞く人だと思います。耳を澄まし、相手の心の奥底にひそむ本音(腹) を見透かすのです。

2016.1.29

*上の写真は新橋駅前ビル1号館前の「開運狸」。大きな腹が見えていますが、本記事とは関係ありません。


チラッと横浜

2016-01-23 | 散歩、時々旅

所用があって、横浜に行ってきました。

降りた駅は 「馬車道」。

馬車道というその駅名(地名)に、わたしはなんとなく都会的な、洒落た響きを感じます。
大都市、横浜の中心部にあることを知っているからでしょうか。

荷車を引いた馬が、馬糞を落としながら、ポタポタ歩いているわけではありません。

信号のところに、「本町」 の標示がありました。
界隈には銀行も多く、この辺は古くから商業と自治の中心地だったのでしょう。

 

 

 



旧横浜銀行集会所。

 

 

 

 

ビルの前に、古い外車が何気なく止めてあります。

ふだん使っている車というより、歴史あるビル(店)のイメージ作りに置かれているのではないでしょうか。

 

 

 

 

      

     開港記念会館。

 

 

 

 



神奈川県庁。

これも洋風建築の、歴史を感じさせる立派な建物です。

 

 

 

 

      

     中華街の入り口まで歩きました。

近代と現代、日本と諸外国が混在し、歴史とさまざまな文化を味わうことのできる街、それが横浜なのでしょう。
散歩していても、さまざまな発見ができそうです。


ひさびさにタウンウォッチング

2016-01-17 | チラッと世相観察

地下排煙口。

池袋の西口を出たところです。

長年、何十ぺんも、いや、何百ぺんもここを通っているのに、こんなのがあることに気がつきませんでした。
ずいぶん大きなものなのに・・・。

意識していないと、なにごとも見過ごしてしまうものですね。

 

 

 

上に 「乗上禁止」 と書いてありました。何て読むのでしょう。

「じょうじょう」 でしょうか、辞書には載ってない言葉のようです。でも、意味はよく伝わってきます。

 

 

 



池袋西口公園。

噴水を見つめる少女と少年。
水の出が強くなったり、弱くなったり、水の出方に魅せられているようです。

大人たちはだれも、足早に通り過ぎていくのに・・・。

 

 

 

      

この後、大塚まで行きました。

都電荒川線。

これも 「少年の目」 で見ると、心ときめくものなのでしょうね。

わたしも歳を重ね、心ときめくものがどんどん少なくなってきているような気がします。

忙しい中でも、せめて外に出た時には、ときどき歩みを止め、周りを見て、タウンウォッチングでもしてみようと思いました。


願い、そして祈り

2016-01-11 | チラッと世相観察

10日、地元の氏神さまを、再度訪れました。 2日に初詣に来たばかりです。

新車を買った愚息が、交通安全の御祓をしてもらうというので、付き合ったのです。

「謹賀新年」 の ‘立看板’ はもうはずされていました。 神社も日常生活モードに替わりつつあるようです。

それでもやはり、神社は神社。 境内には冷たい空気の中に、凛とした神聖な雰囲気が漂っていました。

 

 

 

絵馬がたくさん結ばれていました。

二つ三つ、こっそりのぞいてみると、

 志望校に入れますように
 今年こそ素敵な相手に巡り会えますように
 子どもに好かれる保育士になれますように などなど・・・

どれも健気で、素直で、切なる祈りがこもっています。

人は苦しい時だけでなく、日々の素朴な願いも神様に託すものなのですね。
それが日本人の昔からの、祈りのあり方なのでしょう。


神様はもともと、庶民のこの素朴な祈りを寛容に、そして温かく受けとめてくれる存在だったのではないでしょうか。
だからこそこれまで、永く、日本人の心に受け容れられてきたのです。

‘美しい日本を守れ’、‘誇りある日本を目指せ’ などと、神様がわたしたち庶民にお説教を垂れるはずがありません。

神社は庶民の ‘心の拠りどころ’ であることを利用して、「誇りある日本を目指して憲法改正を推進します」などという、世間で今議論の大きく分かれる、きわめて政治的な問題に踏み込んではならないと考えます。



            


力まず、弛まず

2016-01-02 | 季節の移ろい

 明けまして おめでとうございます
 

初詣に行ってきました。 地元の氏神さまです。


家族皆の健康と安寧をお願いしてきました。

お札と御守も買ってきました。

氏神さま、きっとわたしたちを守ってくださるにちがいありません。


わたしも、ブログだけでなく何事にも、力まず、弛まずやってまいりたいと思います。

ブログをいつもご覧いただいている皆さま、本年もよろしくお願い申し上げます。