興趣つきぬ日々

僅椒亭余白 (きんしょうてい よはく) の美酒・美味探訪 & 世相観察

「妖怪道中三国志シリーズ」創刊!

2016-03-20 | 時には芸術気分

「妖怪道中膝栗毛シリーズ・全7巻」(あかね書房)が昨年大好評のうちに終わり、ファンの熱い要望に応えて、新しく「妖怪道中三国志シリーズ」が創刊されました。

新シリーズの第一巻は、

『妖道中三国志・1 奪われた予言書です。

舞台は前シリーズの江戸時代から、なんと西暦三世紀の中国、三国時代に一気に飛びます。

登場するのは同じく、蒼一、夏実、信夫の三人。

今回三人は、信夫の祖父で歴史学者の佐山博士が、‘予言書’といわれる幻の歴史書、『幻書三国志』の原本を発見したことをきっかけに、三国時代に行くことになります。

『幻書三国志』中の「赤壁の戦い」の巻が、三国時代から来た妖怪と思われる男に盗まれ、歴史が塗り変えられてしまう恐れがあったからです。

秘密の使命を帯びた蒼一たちは三国志の世界に入り、天才的な軍師、諸葛亮孔明や天下無敵の豪傑、張飛などに出会います。そして、とんでもない事件に巻き込まれていきます。

 

 

 

 

作者、三田村信行氏の筆はますます快調。画家の十々夜(ととや)氏の臨場感あふれる絵とともに、読者を物語の世界にぐいぐい引き込んでいきます。

「三国志」の時代背景や登場人物、歴史的に有名な出来事も、ストーリー展開の中で分かりやすく説明が加えられています。

おもしろく読んで歴史通になれる一冊です。

定価(本体1,200円+税) あかね書房
http://www.akaneshobo.co.jp/search/info.php?isbn=9784251045218


畑の掘り起し

2016-03-17 | 菜園の四季

農作業をしてきました。

畑の掘り起しです。

ここは、昨年から近所の農家に借りている菜園。

家内がやっているのですが、今回、わたしは力仕事にかり出されました。
春の畑づくりの時季がやってきたのです。

写真に見える足はわたしの、です。

左の緑は1月に植えた小松菜、ほうれん草、ルッコラの若葉。

 

 

 

 



三本鍬(さんぼんくわ)。 

 

 




ひと畝を掘り起こしたあと、シャベルで中央を深く掘ります。

これが結構重労働。

 

 

 

 

 

そこに堆肥を入れて・・・。

 

 

 

 




再び土をかぶせます。

この畝にはインゲンを植えるのだそうです。


今回の農作業の所要時間は2時間。

その8割は手を止めて、腰を伸ばし、立っていた時間(と言われました)

 

 

 

 

 

菜園全景。

小松菜などの畝は間引きをして、再び鳥よけ、冷えよけのマルチ(覆い)がかけられました。
(摘んだ若菜はやわらかくて美味しいサラダ、お浸しになります)


畑は、これから本格的な種まき作業が始まります。

いつ耕して、どの畝にどの順番で何を植えるか、肥料は何をどのタイミングで入れるか、すべて家内がやっています。

去年など、種をまいてそのあと晴れの日が続くと、ため息をついていました。早く雨が降らないかと・・・。
そういうことにまったく興味のないわたしには、まったく考えられません。

だからわたしは、たまに労力奉仕をするのみ。またこれから、何回かかり出されそう。
でもまあ、菜食健康生活のためでもあるし、運動不足解消の一助にもなるし・・・。


昨年は夏にはトマト、ナス、ピーマン、レタスなど、秋には大根、白菜、ブロッコリーなどが、食べきれないほど穫れました。

今年は、去年植えたニンニクも育っています。去年以上の豊富な野菜に恵まれそうです。


水仙の教え

2016-03-09 | チラッと世相観察

わが家の庭のすみに、水仙の花が一つ咲きました。

 

 

 

 

少しアップで写しました。

「清純」、「清楚」という言葉が、これほど似合う花もないですね。


国語辞典で「清純」「清楚」を引いてみると、

 清純・・・清らかで素直なこと。世の中のけがれにそまってないこと。
 清楚・・・飾りけがなく、清らかなこと。

とあります。(デジタル大辞泉)

「楚」という字が気になり、漢和辞典で調べると、さまざまな意味があり、いちばん元の意味は、

「いばら(荊)、大木の下に生える雑木のやぶ」

とのことでした。
そして、そのさまざまな意味のうちの一つに「あざやか。すっきりしている。」があり、その例として「清楚」があがっていました。(福武 漢和辞典)


わたしは少し意外な感じがしました。

「清楚」という言葉には、‘まだ世間ずれしてなく、ナイーブで傷つきやすい’というニュアンスを感じていたのですが、そうではなく、むしろ‘鮮やかで強く、自分の主張をはっきり持っている’というほうが原義に近いようです。


なるほど。それで分かりました。「清楚」こそ、人としてのあるべき姿を表現した言葉ではないのかと・・・。

人間や社会の諸相をよく理解し、世間の汚れや煩わしさをも知って、その上で凡俗におちいらず、心には何のわだかまりもなく、それだからこそ卑屈にも尊大にもならず、きりっと、「鮮やかですっきりした」自分の目を持っている。

・・・これこそまさに、清楚の意味する「率直で飾りけのない、清らかで素直な」生き方そのものではありませんか。

したがって、言葉の使われ方としては、「清楚な乙女」と同列に「清楚なおじさん」もあってしかるべきでしょう。


ところで、水仙というと、わたしはブラザーズ・フォアの歌った「七つの水仙(seven daffodils)」という歌を思い出します。
また、詩が好きな家内は、ワーズワースの「水仙(The Daffodils)」という詩を思い出すそうです。

おもしろいのは、どちらも daffodils と、英語の単語が複数形になっていることです。

自然の中に広がる黄水仙の群れ。・・・水仙は一つだけを見ても美しいけれど、群生する景観にも、またちがった美しさがありそうです。

でも‘清楚’な水仙は、そんな群れの中にあっても自立し、決して自分を見失うことはないはずです。

他者の思惑を気にしたり、アイツよりオレは上だ・下だなどと思ったり、他者のことより自分の損得を優先したりはしません。
静かに、控えめに、それでいて凛として、ただひたすらに今を咲いているのです。

サウイフ‘清楚なおじさん’ニ、ワタシハナリタイ。 


 https://www.youtube.com/watch?v=1i5a2kRqRhY
   ブラザーズ・フォアの「七つの水仙」。レキントギターの音が胸にしみる美しさです。


愛の結晶電車

2016-03-06 | チラッと世相観察

おもしろい柄の電車を見つけました。

ここは西武池袋線ひばりヶ丘駅です。

きっと、西武線と東急線のミックス柄ですね。
西武池袋線は東急線と、副都心線を通じて、相互乗り入れしているのです。

黄色い部分が西武線電車、メタリックシルバーと赤い線の部分が東急線電車のシンボルカラー。
斜線を生かしたデザインも素敵です。

 

 

 

 



これが後部。

折り返しの時はこちらが顔になりますね。
窓部分の黒が効いていて、なかなか‘ハンサム’ではないですか。

母は西武、父は東急(逆かな?)の愛の結晶です。


わたしはこういう遊び心が大好きです。

西武線と東急線の、電車の模様を考える方々に拍手です。


雨のち梅、ときどきヒヨドリ

2016-03-01 | 季節の移ろい

低気圧が去って雨が上がり、今朝はスッキリと晴れました。

空には雲一つありません。

まるで一点の曇りもない、わたしの心のようです。(と、そうありたいものです)


わが家の梅は五分咲きといったところ。今朝は冷え込んで、冷気の中、凛と咲いています。

こういう日は‘越乃寒梅’で、梅見酒といきたいところです。(またかい)

まあ、越乃寒梅はいま家にないので、〆張鶴で飲ろうか。(もう、飲んじゃったよ)

*いわずもがなながら、越乃寒梅も〆張鶴も酒の銘柄です。


ところで、この梅の花を食べにくる鳥がいます。

ヒヨドリです。
けしからん鳥です。 「落花狼藉をはたらく」とはこのことをいうのでしょう。

わが家の梅は白加賀。実(み)は肉厚で、種が小さい品種です。最高に美味しい梅干しになります。
花の受粉をじゃまするヒヨドリ、許しがたい。

とはいえ、一方、ヒヨドリはシベリアの厳しい冬を逃れて、危険な長旅を経て日本にくる、と以前テレビで見たことがあります。
苦難を乗り越えて来ているのです。

それに、わりと大柄な鳥 (ハトより少し小さいくらい) のわりには神経質で、人の気配を感じるとサッと飛び去ってしまいます。

無神経でずうずうしい人、じゃなかった鳥は好きではありませんが、気を遣いながら来ているのなら、少しくらいなら梅の花を食べてもいいよ、という気持ちにもなりますね。
今はあちこちに虫がいるわけでもなく、ヒヨドリも極度に腹が空いていることでしょう。