興趣つきぬ日々

僅椒亭余白 (きんしょうてい よはく) の美酒・美味探訪 & 世相観察

いよいよ冬の到来

2020-11-29 | 季節の移ろい

木々は、紅葉(黄葉)のあとは落葉(らくよう)、落葉のあとは裸木(はだかぎ)という順をふむわけでは必ずしもなさそうだ。
うっすらと若葉色の葉が残っている。

奥の常緑樹が、落葉で、見えるようになっただけかもしれないが。

 

 




昨日あたりからグッと冷え込んできた。いよいよ冬の到来である。

 

 

 

  

先週末、田端の居酒屋、初恋屋まで行ってきた。
コロナ感染を心配しつつも、毎年恒例になっている親しい友人たち4人での忘年会を決行。

わたしが居酒屋で飲むのは10か月ぶり。そしてこれが今年最後となる。

先般 ‘御達し’ のあった「会食時の5つの小(こ)」でいうと、「小人数」「小声」「小まめな換気」(わたしのわきの戸がガラリと開いていた)はクリア。
「小一時間」「小皿」は達成不可であった。

また「静かなマスク会食」のほうも達成不可。食べ物を口にいれるときだけマスクを外すなど、煩わしくて非現実的である。

 

 

初恋屋の刺身の盛り合わせ。
ほかにアラ大根煮、ヒレカツもどき、ネギマ鍋など、ひさしぶりの初恋屋、とても美味しくいただいた。

写真協力:Y.T氏。


醸造元としての控えめな矜持

2020-11-25 | 美酒・美味探訪

先月末、福島県中通りへの旅行で購入してきた日本酒「南郷・佳撰(かせん)」を、先日飲んでみた。

福島県矢祭町にある「南郷」の蔵元、矢澤酒蔵店を訪れた折に買った酒である。

工場のわきにある事務所兼売店におられた方が、「ふだん酒として飲むならこれがいいですよ」と勧めてくれたお酒だ。

「佳撰」は南郷ブランドの中にもある純米酒や吟醸酒、大吟醸酒といったいわゆる高級酒ではなく、「普通酒」である。だが、地元の人たちに親しまれ、よく飲まれている酒とのことであった。

心して瓶のフタを開け、この日はまず冷やで(燗をせず)飲んでみた。
口に含んで、目を閉じ、意識を集中して味わってみると、なるほど飲みやすい。スッキリしていてクセがない。

 

 

   

つぎの日、燗をつけて飲んでみた。

すると前日とは打って変わって、グッと甘く感じるではないか。
この「南郷・佳撰」は、燗をすることで大きく表情を変える酒のようだ。

でもそれは、しつこい甘さではない。酒がより美味しくなる自然な甘さで、これなら ‘飲み飽き’ もしないであろう。

「ふだん酒」に向くと言った蔵元の方の言葉に、‘合点’ である。

 

 

             

瓶の正面のラベルの左肩に、大きく原材料名が書いてある。

よく見ると、一般の普通酒にはよくある「醸造用糖類」の文字がない。

酒の原材料と味について、広く実証的に研究したわけではないが、「南郷・佳撰」の自然な甘さは、ここに秘密があるのではないだろうか。

「甘みは糖分を外から加えるのでなく、酒の製造過程の中で自然に醸しています」
と、言わず語らずのうちに主張しているようにも見える。
醸造元としての「控えめな矜持」を感じた次第です。

湯と酒と人情を味わう旅・・福島県中通り2020 1 - 興趣つきぬ日々 (goo.ne.jp)
  ↑ 「南郷」蔵元訪問記


ぼ~っとしたミカン

2020-11-21 | 随感・偶感・歳時感

わが家の温州ミカンです。

何の緊張感もなく、ぼ~っと、太るにまかせて大きくなってきたようなミカンが、木の中に一つ二つ生りました。

他人事とは思えぬ親しみを感じ、一つもいできて食べてみると、「見かけによらず」と言いたいところですが、大味でぼんやりとした「見かけ通り」の味でした。

よく言えば、甘すぎず酸っぱすぎず、おっとりした味。

 

 

 

    

曹洞宗徳雄山建功寺住職、枡野俊明(ますの しゅんみょう)師の言葉に、こんなものがあります。

 ぼーっとしてみる

 (『日めくり 一日一禅 -シンプルに美しく生きる禅の教え<枡野俊明・小学館>より)

この「日めくり」で枡野俊明師は、

「多忙な時こそあわてず、あせらず、何もせず、たとえ3分でも、ただぼんやりしてみる。
 すると何ものにもとらわれない、純粋で素直な自分が顔を出すでしょう」

と解説していました。

人もさまざま、ミカンの個性もさまざまです。
わが家の「ぼ~っと太るにまかせて大きくなったミカン」も、それほど日当たりが良いわけではない庭で、おっとりと穏やかに、自分らしい生(せい)を素直に生きてきたのです。

味わっていただきましょう。

 

 

 

 

紅葉(黄葉)も深まってきました。


偶然の産物

2020-11-17 | 菜園の四季

「妙音沢の湧き水」が、黒目川に注いでいます。

いくつかある注ぎ口の中で、ここがいちばん大きい注ぎ口。

武蔵野台地の地下水です。けっこう水量が多い。

 

 

 

 

近くまで行って、木の橋の上からその注ぎ口を見下ろしたところ。

 

 

 

 

そのちょっと先に、コサギがいました。

しばらくカメラを向けていると、

 

 

飛び立ちました。

飛び立つところをねらって撮るのは、至難の業(わざ)。待っていても、いつ飛び立つか分かりません。

これは、たまたまカメラを向けていたから撮れたので、偶然の産物です。

 

 


 

わが家の菜園からの、きのうの収穫物。

菜園管理者(家内)が丹精込めて育てた野菜たち。手間と苦労が実った、これは必然の産物ですね。
「偶然の産物」などと言ったら、・・コロされます。

聖護院ダイコンが大きくなりました。(真ん中)
煮物にしても、薄く切って酢漬けにしても美味しい。


澄んだ心で朗らかに

2020-11-11 | 随感・偶感・歳時感

今朝は空を見上げると、東西南北、雲一つない青空でした。

人もこうありたいものですね。
カラッと一点の曇りもない、うそ偽りのない、清く正しく疚(やま)しいところが微塵もない・・。

とはいっても人生、なかなかそうはいかない、というのも一面の真実。明かせない過去だってあるかもしれない。

もちろん悪いことはしてはいけませんが、失敗や後悔があるのは誰しものことでしょう。

でも、済んだことは済んだこと。過去は置いといてせめてこういう日くらいは澄んだ心で、明るく朗らかに行きましょう。

 

 

 

きょうのわが家の菜園の収穫です。


湯と酒と人情を味わう旅・・福島県中通り2020 3

2020-11-08 | 散歩、時々旅

福島県の中通りへの一泊車旅。2日目にまず寄ったのは、塙町(はなわまち)の「道の駅はなわ」でした。

ここは地元の新鮮野菜や果物がたくさん並び、大勢の人でにぎわっていました。
町の人や近郷の人たちにとっての市場(いちば)といった趣きです。

わたしはパック詰めのプリプリなめこと、袋入りの小玉こんにゃくをお土産に買いました。
こんにゃくは塙町の特産のようです。

 

 



町の公営温泉浴施設「湯遊ランドはなわ」で、日帰り温泉入浴。

この日、ここの露天風呂は最高でした。
からりと晴れ上がった青空を見ながら、朝方から温泉に入るのは、たとえようもない解放感です。

空気は冷たいものの、お湯が熱めで心地よい。肩まで浸かってあったまったら、踏み石に腰を下ろして半身浴。これをくり返します。

ここで一句。

 青い空 冷気熱湯(あつゆ)で 若返り

この温泉のキャッチフレーズは「若返りの湯」。神経痛・筋肉痛・関節痛をやわらげてくれるそうです。(季語がないんじゃない?)

 

 

 

「湯遊ランドはなわ」でゆっくり時間をついやしたあと、塙町から北上、棚倉町(たなぐらまち)に入りました。

上は棚倉町の八槻都々古別神社(やつき つつ こわけじんじゃ)

このあとに訪れた近くの馬場都都古別神社(ばば つつ こわけじんじゃ)とともに、味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)と日本武尊(やまとたけるのみこと)を祭神に祭っているそうです。

 

 

鳥居の前で、七五三の記念写真を撮っている家族がいました。

三歳の女の子が照れて、カメラのほうをなかなか見ようとしません。カメラを向けているお父さんたちが、この日の主役を懸命になだめすかしていました。

 


    

境内にあった親子狛犬。子犬カワイイ。

 

 

 


 

ここが馬場都々古別神社。

境内は八槻都々古別神社より広く、背の高い木々も多く見られました。

幕末に会津藩の家老であった西郷頼母(さいごうたのも)が、明治8年(1875年)から三年間、ここで宮司を務めたと解説板にありました。

幕末の激動の歴史の一コマが、ここにもあったのですね。

 

 

 



棚倉城跡(亀ケ城公園)

棚倉城は、元和元年(1622年)に丹羽長重が築城に着手し、慶応4年(1868年)、戊辰戦争で落城。
その間240余年に16代の城主が交代し、お堀に住む大亀が水面に浮かぶと決まってお殿様が転封されたという話があったそうです。それゆえこの城は「亀ケ城」とも呼ばれました。

 

 

今は亀ケ城公園として、町の人々に親しまれています。

わたしたちが行ったときも、お弁当を持ってきて、ベンチにすわって食べているカップルや、散策する人たちがいました

お城がなくなったのは残念なことですが、紅葉の美しい、広々とした公園が町にあるのは、羨ましい感じもします。

 

 


 

白河市に入って、白河ラーメン「たいち」で遅いお昼。

 

 

 

美味しいラーメンでした。

これでわれわれの福島県中通りの旅はおしまいです。白河インターからふたたび東北道にのり、帰途につきました。


コロナ禍のなか、感染を心配しながら決行した今回の一泊旅行ではありましたが、例年にも増して楽しく、充実した旅となりました。

写真協力:Y.T.氏

https://blog.goo.ne.jp/kyusan2/e/30314ef2ad7aeb243834ec353722e9de


湯と酒と人情を味わう旅・・福島県中通り2020 2

2020-11-06 | 散歩、時々旅

福島県中通りへの男4人の一泊車旅。宿は東白川郡塙町の「旅館 谷川(やかわ)の湯」でした。
テレビ番組「ポツンと一軒家」にも登場した宿です。

そこに向かうわれわれの車は、登り道の狭い林道に入りこみ、思わぬ難渋を強いられました。(前回の記事)

しかし運転の友人はベテランドライバー。巧みに悪路を切り抜け、目的の宿にたどり着くことができたのでした。

 

 

 

谷川の湯は、思いのほか大きな建物でした。‘ポツンと一軒’ と思っていたせいもあるかもしれません。

あとで聞くと、舗装された道が別にあって、近くまで来ているのだそうです。
そうでなければ、旅館業など営むことはできないでしょう。

ああ、それを先に知っていれば、林道であんなに苦労しなくてよかったのに・・・。

 

 

 

宿では年配の女性が、笑顔でわれわれを迎えてくれました。

通されたのは玄関わきの大きな部屋。(二間を襖を取り去って使っている)

この日の客はわれわれ4人だけで、二度の食事も夕食後の ‘二次会飲み’ も、ここをゆったりと使わせてもらうことができました。(休んだのは2階の一部屋)

その女性(以下「おかあさん」)の話では、昨年10月に「ポツンと一軒家」で放映されると客が急に増えたけれども、今年はコロナの影響で大きく落ち込んだそうです。

ここにもコロナは影を落としていたのですね。

 

 

 

お風呂。

 

 


夕食。

久慈川でとれた鮎の塩焼き、野菜たっぷりの豚肉の小鍋、刺身に野菜の天ぷらなど、なかなかの御馳走です。

お膳の真ん中の小皿は、歯触り舌触りからすると、大根おろしのかかったキノコのようでしたが、形状がはっきりせず、なんのキノコか分かりません。(おかあさんに聞けばよかった)
でも箸休めにはピッタリ。山の宿ならではの一品です。

料理はどれも味がよく、美味しくいただきました。

食事のあと、われわれはこたつで数時間 ‘二次会飲み’。

食事のときもビールと酒を少なからず飲んだのに、来る途中スーパーで買って、ここに着いた早々業務用冷蔵庫で冷やしておいてもらった四合瓶の酒が、2本とも空になりました。
友人との旅の醍醐味は、この夕食後の時間にあるのかもしれません。


翌朝の朝食は写真を撮り忘れました。焼いた塩鮭と目玉焼きに納豆・・ご飯も味噌汁もとても美味しかった。




     

この「谷川の湯」、とてもリラックスできた宿でした。

おかあさんもご主人(翌朝会いました)も気がよく、酒の持ち込みもOKという寛容さと大らかさがあり、遅くまでの  ‘二次会飲み’ もそっとほっといてくれました。

料理にも手間と心がこもっているのを感じました。翌朝発つときには、なんとお土産にと、一人二個ずつのおにぎりまでいただきました。

「湯と酒と人情」を求めて、秋ごとに福島の各地を巡ってきた9年目のわれわれの一泊旅、どの宿も ‘外れ’ はありませんでしたが、今回も ‘大当たり’ でした。


今回の「福島県中通りの旅」は、前半と後半に分けて書くつもりでしたが、宿の描写が長くなってしまいましたので、ここでいったん終え、2日目を「湯と酒と人情を味わう旅・・福島県中通り2020 3」にまわしたいと思います。(後日アップします)

2日目は棚倉町の都々古別神社2社、棚倉城跡(亀ケ城公園)などを訪れます。

https://blog.goo.ne.jp/kyusan2/e/6fdc7160b10458f68dc371da176c6a2f

写真協力:Y.T.氏


湯と酒と人情を味わう旅・・福島県中通り2020 1

2020-11-03 | 散歩、時々旅

先週末、福島県の中通り南部、白河市、棚倉町、塙町、矢祭町へ、友人たちと一泊で行ってきました。

会津など福島県の「湯と酒と人情」を求めて巡る男ばかり4人の車旅。毎年秋に続けてきて、今年はなんと9年目になります。

今年はコロナ禍で、少しためらいましたが、過去8回の充実した旅の思い出に引きずられ、思い切って決行。
その心意気が天に通じたか、二日間とも絶好の秋日和に恵まれました。


友人の一人が運転する車で、浦和インターから東北道に入り、順調に白河インターに到着。
腹が減っては軍(いくさ)は出来ぬとばかりに、まずは白河市の「手打生蕎麦 花扇」で腹ごしらえ。(上の写真)

そのあと古代の関所、白河関跡(しらかわのせきあと)へ向かいました。

 

 

 

 

ここから入ったところが白河関跡。

白河関は、奈良時代、蝦夷(えみし)対策のため勿来(なこそ)関、念珠(ねず)関とともに奥羽の三大関門として設置されました。

古代、大和政権から異民族視されていた北の人々(蝦夷)の入りを、ここでチェックしていたのですね。

 

 


 

中に入ると、そこは背の高い木々におおわれた、ゆるやかな起伏の丘陵地でした。

上の写真は、「古関蹟の碑」。
江戸時代、西暦1800年、そのとき白河藩主だった松平定信が、ここが白河関のあった場所であることを正式に認定した、と書かれています。

 

 

 

従二位の杉。
鎌倉時代に植えられた推定樹齢800年、周囲約5メートルの巨木です。

木々の先からは周囲の平地を見晴らすことができます。展望が利くこと、それがここに関所を設けた理由だったのでしょうか。

ついでながら、白河関は平安後期以降は有名無実となり、「白河関」という言葉が歌枕(和歌に読み込まれる名所・旧跡)として残りました。

 

 

 

このあと中通り最南端の矢祭町まで行き、ここにある矢澤酒造店(清酒「南郷」の蔵元)を訪れました。
創業天保四年(1833年)の歴史のある蔵元です。

工場のわきにある事務所兼売店には、年配の品のいい男性と若い女性がいて、われわれの応対をしてくれました。

実は最近わたしは、ふだんの晩酌には「純米」でも「吟醸」でも「大吟醸」でもなく、普通の酒が最適なのではと思うにいたりました。
本醸造酒や普通酒には、飲み飽きしない美味しい酒が結構多いことを知るようになったからです。

そこで、ここ矢澤商店でも本醸造酒を注文し、上記の ‘ふだん酒談義’ をその男性の方にしてみたのです。

するとその方は「わが意を得たり!」とばかりに、「それならうちでは『佳撰(かせん)』がいいですよ」と言い、売店になかった本醸造酒を工場に取りに向かった女性を呼び戻し、本醸造酒でなく普通酒の「佳撰」を持ってくるように伝えました。

 

 

 

    

これがその「南郷」の普通酒「佳撰」(4合瓶)です。(帰宅後撮影)

値段は税込みで800円ほど。「南郷」銘柄の各種の酒のなかでいちばん安く、それでいて美味しく、地元の人々に最も愛されている酒なのだそうです。

「どんな蔵元の酒でも、その蔵の基本となる普通酒を飲んで、それが美味しければ、その蔵は本物なのですよ」
とその方は付けくわえました。

あとで知ったのですが、この方はこの蔵の前社長とのこと。少しでも高い酒を売りつけようというのでなく、醸造家としての哲学と誠意を語ってくれているのを感じました。

この「佳撰」まだ飲んでいませんが、開けるのが楽しみです。

 

 

 

 

次に向かったのは塙町の湯岐(ゆじまた)温泉、山形屋。ここの岩風呂に入るためです。

岩風呂は本棟とは別の、専用の建物の中にありました。(上の写真)
地元の日帰り入浴客も多いようです。

 

 

大きな岩の一部を湯船に取り込んでいます。そのそばの湯底が大きくくびれ、岩肌を足でなぞることができる。
遊び心のある、おもしろい作りです。

湯はやや温めながら、一時間でもゆっくり入っていたい気分にさせられる素朴な岩風呂でした。

 

 

    

このあと向かったのが今回の旅の宿、塙町の「谷川の湯(やかわのゆ)」。

ここはテレビの「ポツンと一軒家」で取り上げられたところです。里の集落から離れていて、車で行くのがほんとうに大変でした。

途中、狭い登り道が続き、下手をするとタイヤを踏み外して、ゴロっと谷側に車ごと落ちてしまいそう。
高い木々の重なっているところに来ると、まだ4時前なのに薄暗くなってしまいます。(後部座席から撮った写真がブレてしまっている)

でこぼこ道で車は大きくゆれる。道に落ちていた枯れ枝か、ガタンゴトンとときどき車の床に下からぶつかる音がする。

落ち葉が降り積もったところでは、ズルズルと車輪が空回りし、前に進まない。やっと動いたと思ったらまたすぐに空回り。

運転の友人は運転歴の長いベテランで、いわば運転の名人ですが、チラッと顔をうかがうと、これまで見たことがないほど真剣な表情です。

さて、このあとどうなったか。はたして無事宿にたどりつけたのか、この続きは後日アップする後半「湯と酒と人情を味わう旅・・福島県中通り2020 2」で・・・。

*写真協力 Y.T.氏