興趣つきぬ日々

僅椒亭余白 (きんしょうてい よはく) の美酒・美味探訪 & 世相観察

不動車

2015-01-29 | チラッと世相観察

街角で「不動車」という言葉を見つけました。(上の写真)

この言葉、知りませんでした。

広辞苑などの辞書類には載ってないようですが、ネットで調べると、ありました。

「動かなくなってしまった車の総称」だそうです。(あたりまえじゃないか)

ネットでよく見ると、要するに中古車市場では価値がなくとも、車の修理業界では価値が生まれる車を不動車と言っているようです。
修理して動くようにしたり、部品を活用したりできるのでしょう。

また、修理とは別に、車検切れによって動かせなくなった車も「不動車」と言うようです。(これは手続き上の問題)

「不動車」は立派な‘業界用語’だったのですね。庭にほっとけば「不動産」になる車ではなかったのです。

 

 

 

         

        この言葉を見つけたところは、車の修理屋さんでした。


淹れ方知らずの茶葉談義

2015-01-21 | 余白の創作ことわざ

しばらくぶりに「余白の創作ことわざ」です。

淹れ方知らずの茶葉談義  いれかたしらずの ちゃばだんぎ


<意味>
お茶の旨さを上手に引き出す ‘淹れ方の基本’ も知らずに、茶葉の良し悪しを論ずること。肝心なところが抜けているのに、いっぱしの議論を展開することの愚かさを皮肉った言葉。

<さらに一言>
焙じ茶は熱湯で淹れてこそ香ばしさが立ち、美味しく飲めるが、茶葉によっては少しさまして、熱すぎないお湯で淹れるほうが、旨みとコクをより深く引き出すことができる。

煎茶や高級なお茶の代名詞玉露も、きゅうすに入れた茶葉に熱湯を直に注いでしまっては、味も香りも台無しである。淹れ方の基本も知らずに茶葉の特徴や品質を論じても意味がない。

<もう一言>
コーヒーも同じ。焙りタテ、挽きタテ、淹れタテの ‘三タテ’ のほかに、お茶と同様、熱すぎないお湯で淹れるほうが、豆の旨さをよりよく引き出せるといわれる。たしかに、たとえ挽きたての豆でも熱湯を注いでしまっては、産地や銘柄による味の違いも分かりにくくなる。
それでいて「タンザニアは酸味と苦味のバランスが絶妙なんだよ」などと、知ったかぶりをするのは、 ‘淹れ方知らずの豆談義’

七味唐辛子の場合は「保存方法」が基本である。わたしなど、「開封後は要冷蔵。早めに召し上がって」というビンの表示に気づかず、三年前に善光寺の参道で買った「八幡屋礒五郎の七味唐がらし」を、開封後もそのまま三年間、食器棚に置いておいた。
これで「七味はやっぱり八幡屋礒五郎だネ」などと言っても説得力がない。‘保存法知らずの七味談義’。

 
           

 

<さらにもう一言>
昨今かまびすしい改憲論議にも、これと似たような ‘基本抜け’ がある。

例えば「人権」。日本国憲法の

「すべて国民は、個人として尊重される」(第十三条)

を、「全て国民は、人として尊重される」という文言に変えたいとする人々がいる。<平成24年4月 自由民主党発表の「日本国憲法改正草案」>

「個人」が「人」に変えられている。
日本国憲法は、この第十三条で、抽象的な「人」ではなく、具体的に「個々人、一人一人の人権」を尊重しなさい、と為政者に命じているのであるが・・。

さらにこの「自民党の改正草案」では、現憲法で<基本的人権の本質>を謳った条文、

「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」(日本国憲法 第九十七条)

を全文、そっくりそのまま削除しようという ‘人権外し’ の念の入れようである。


この「基本的人権」のほかにも、日本国憲法(現憲法)には「主権在民」「平和主義」「立憲主義」など、いわば歴史の試練に堪えてきた人類の英知が詰まっている。
これを知ることなしに、いや知ろうともせず、ひょっとして理解できずに、軽々に改憲論議を展開してはならないと思う。

‘現憲法知らずの改憲論議’ となっては、せっかく現憲法に盛り込まれた「人類の英知」を台無しにしてしまうことにもなりかねない。

2015.1.21 

http://blog.goo.ne.jp/kyusan2/e/21b72b91d0df08343f6f895e61eb80de


美味ハム生活

2015-01-17 | 美酒・美味探訪

この冬二回目のハム作りをしました。

薫煙香の強い、肉の旨味の濃い、最高に美味しいハムが出来上がりました。


「君が作ってるんじゃなくて、奥さんが作ってるんだろ」
とブログを見た友人から、からかい半分でよく言われます。

その通りなのですが、塩・胡椒などで生肉を強く手早く揉みこむところ、薫煙前に晒しに巻いてタコ糸でキリリと締め上げるところ(実はこれが一番大事な工程なのだ!)は、わたしの仕事です。
つまりわたしも立派に参画しているのです。


写真は冷凍保存用に、真空パックをするところ。

ハムを2ミリくらいの厚さに薄く切り分け、10枚くらいずつを専用のビニール袋に入れて、上の機械で中の空気を抜き、口に熱をかけ密封します。

これを冷凍保存すると、これで二、三か月は‘美味ハム生活’を楽しめるというわけです。(すべて自家用)


新しい年にたくさん幸せがありますように

2015-01-07 | 韓国文化垣間見

日本で言う「新年 おめでとうございます」に当たる韓国語が、

 새해 복 많이 받으세요. (セヘ ボン マニ パドゥセヨ.)

であるのは、韓国語を習ったことのある人なら誰でもご存知のことと思う。

しかしこれは日本語の「おめでとうございます」というのとは、だいぶ語感が違うようである。

というのは、昨日わたしの習っている韓国人の韓国語の先生に、新年初めてお会いしたので、韓国語でこの言葉を言うと、返ってきた言葉は、

 감사합니다. (カムサハムニダ.)<ありがとうございます>

であった。

考えてみればこれは当然のことで、セヘ ボン マニ パドゥセヨ.という文字通りの意味は、

「新しい年、幸せをたくさんお受けになりますように」

ということで、そう言われれば「ありがとう」と反応する以外ない。
日本で「おめでとう」といって、互いに頭を下げあうのとはずいぶん違う光景である。


実はわたしは韓国語を習い始めてほぼ10年になるのだが、うかつにもこれまで、セヘ ボン マニ パドゥセヨ.と言われて、カムサハムニダと答えたことはない。
同様に セヘ ボン マニ パドゥセヨ.と言って、頭を下げるだけであった。

今回、韓国語の先生は、「余白さんも、セヘ ボン マニ パドゥセヨ.」と言ってくれたので、もちろん、「カムサハムニダ」と答えましたよ。

今年は日韓の言葉の「語感の違い」を、より深く理解する年にせねば。

*写真は西武池袋線で見た銀河鉄道999の電車。残念ながら、昨年12月20日でこの絵柄の電車はなくなったようです。


ほがらかな気分

2015-01-02 | 季節の移ろい

明けまして おめでとうございます

 本年もよろしくお願い申し上げます。



二日午前、初詣に行ってきました。
近くの氏神様です。

わたしはお賽銭をケチって、賽銭箱に10円玉を一個、カラコロと入れただけだったのですが、少し後に来て隣でお詣りしたおじさんは、両手いっぱいになるほどの小銭を、ジャラジャラと派手な音を立てて入れていました。

一瞬ひるみましたが、まあ、ご利益は変わらないことでしょう。

 

日々、安寧に過ごせますように、と祈ってきました。


「笑う門には福来る」といいます。

ほがらかな気分で日々を過ごしてまいりたいと思います。