サラリーマンをやめ、外出することが少なくなってから、爪の伸び方が早く(速く)なったような気がする。
「爪がよく伸びるのは ‘楽爪(らくづめ)’ といってね、日頃、楽ばっかりしているからだよ」
と、小さいころ母に言われたことがある。
人間は働き者でなくちゃだめだよ、という教訓のニュアンスがあった。
いま考えると、楽爪というのは、ほんとうのことかもしれないと思う。
実際、足の爪も、かつては毎日硬い革の革靴に圧迫され、ひしゃげて卑屈に丸まっていた小指の爪が、いまは素直にまっすぐ伸びるようになった。
ちなみに楽爪を辞書で調べて見ると、「楽爪」単独では載っておらず、「苦髪楽爪(くがみ らくづめ)」として載っていた。
その解説には「苦労しているときは髪が早く伸び、楽をしているときは爪が早く伸びるということ。」とある。(デジタル大辞泉)
ところが、ややこしいことに、この辞書には「苦爪楽髪(くづめ らくがみ)」という言葉も、別なところに載っていて、「苦労しているときは爪の伸びが早く、楽をしているときは、髪の伸びが早いということ。」と説明されている。
髪のことはここでは置いておくとして、爪だけを見ると、爪が早く伸びるのは「楽をしているときか苦労しているときか、どっちやねん」と言いたくなる。
でも、同じ辞書でもこのような食い違いが出るのは、しごく当然のこととも言える。なぜなら「苦髪楽爪」も「苦爪楽髪」も科学的に実証された事実というより、俗信であり、それぞれに共感する人がいて、それぞれが独自に、長く人々に語り継がれてきたものだからだ。
わたしとしては、繰り返しになるが、「楽をしているときに爪が早く伸びる」ほうにより共感を持つ。
そして、できれば爪だけでなく、仕事も人生もこうありたいものと思う。
何かに過度に圧迫されることなく、といって怠けるわけではなく、少なくとも精神的には「楽」な状態にあるのでなければ、人には創意も工夫も生まれないし、なにより自主性というものが湧きにくいだろう。
2018.11.30