興趣つきぬ日々

僅椒亭余白 (きんしょうてい よはく) の美酒・美味探訪 & 世相観察

たくあんが旨くなってきた

2025-01-19 | 美酒・美味探訪

昨年12月初旬に家内が漬けたたくあんが、食べごろになってきた。

ダイコンの品種は三太郎。わが家の菜園で育ててきた。

 

 

 

   

このところ三、四日に一本ずつ、樽からあげている。そのたびにどんどん旨みが増しているのが分かる。
発酵が進んでいるのだ。

とくに樽からの上げたて、切りたて美味しい。

 

 

   

干して、漬けるときは白かったダイコンが、糠と塩とザラメなどで漬け込むと、ほぼ一カ月で、ここまで黄金色に色づいてきている。

微生物の力で発酵が進むと、素材の分解が進み、アミノ酸や酵素が増え、それで美味しくなるのだそうだ。

消化、吸収もしやすくなるので、腸を患っている人にもいいと聞いたことがある。

味噌や納豆などの発酵食品も、味が良いだけでなく体にいいのは同じ理由であるようだ。

 

 

   

わが家では、残ったたくあんは細かく切って、醤油で煮る。これがまた美味しくて、おかず、つまみの格好の一品になる。


2025 わたしの今年の漢字は「寛」

2025-01-14 | 随感・偶感・歳時感

「わたしの今年の漢字一字」2025年は、「寛」で行こうと思う。

寛容の寛、寛大の寛である。

辞書で寛を引くと、「ひろびろとしてゆとりがある。くつろぐ。ゆるす」などの意味がある。(岩波国語辞典)

音読みでは「かん」、訓読みでは「くつろぐ」と読む。

人は年を取ると、とかく頑なになりがちである。
人の話はよく聞かず、自分の話ばかりする。自分には甘く、人の過ちはすぐ咎め立てする。
正直なところ、わたしもそうなってきていると感じないでもない。

したがって他人には「寛」に、自分には「厳」に、と言いたいところだが、老いては自分にも「寛」でいいではないか、とも思う。

実際、自分にゆとりがないと、他人にも寛容になれないような気がする。

この一年、自分をゆるし、ゆとりを持って、大いに寛ぐ(くつろぐ)ことにしよう。

*上の写真はわが家の庭に咲いたムルチコーレ。(撮影2022年3月)


初詣2025

2025-01-05 | 季節の移ろい

  明けまして おめでとうございます
   本年も よろしくお願い申し上げます


2日の午前、近くの氏神様に初詣に行ってきた。わが家の年初恒例の行事である。

今年も家族皆の健康を祈願し、御札を買い、おみくじを引いてきた。

 

 


     

おみくじはめずらしく大吉であった。

去年は末吉だったので、大幅にランクアップである。

といっても末吉の去年はまずまずの一年であったし、今年もまずまずであればいいな、と思わないでもない。

でもそれを言っては身も蓋もないので、今年は縁起がいいことを信じて、明るい気持ちで過ごそう。(宝くじでも買おうかな)