興趣つきぬ日々

僅椒亭余白 (きんしょうてい よはく) の美酒・美味探訪 & 世相観察

感動は時空を超える

2023-12-31 | 随感・偶感・歳時感

ビデオ録画していた映画「小公子」を、先日カメラ屋さんでDVDにダビングしてもらった。

ビデオ再生機ははるか昔に捨ててしまい、見る術(すべ)のなくなった古ビデオ(テープ)が家に山ほどあったので、わたし自身の ‘終活’ とも思い、ぜんぶ捨てることにした。

その際、思い入れがあってどうしても捨てられないものが数本あり、それを今回DVD化した。映画「小公子」はそのうちの1本だ。

 

 

 

   

この「小公子」をどうしても捨てられなかった理由は、きわめて感動的な映画だったという明確な記憶があったからだ。
今回ダビングされたDVDで、久しぶりに見返してみて、やはりストーリーの随所で目頭を熱くさせられた。





   

19世紀末のイギリス。ドリンコート伯爵家を舞台に、二人の伯父と父の死により突然貴族の跡継ぎとなったアメリカ育ちの少年、セドリックの物語。

感動したのは、セドリックの純真で愛情深い心、慈しみのこもった心に、である。
自然な何気ない言動で、お城(伯爵家)で働く使用人たちや領民たちの心をほどなくとらえてしまい、やがてかたくなで傲慢な祖父、ドリンコート伯爵の考え方や心もしだいにとかし、和らげていった。

セドリックとともにイギリスに来たセドリックの母、エロル夫人の愛情豊かな、それでいて毅然とした態度もすばらしい。
セドリックの幸せを第一に考え、人としての在り方を教え、伯爵のアメリカ人一般や自分に対する偏見には一歩も引かない。

セドリックのやさしさも、強さも、他者の幸せを考えることのできる資質も、この母の育て方によるところが大きかったのだろう、と思わせてくれた。

 

 

   

「小公子」の原作者はフランシス・ホジソン・バーネット。1886年に「LITTLE LORD FAUNTLEROY」という題でアメリカで出版された。
以来世界各国で翻訳出版され、日本でも1890年、若松賤子の翻訳、「小公子」というタイトルで初めて紹介された。

原作出版から140年、その間映画化も数度におよび、映画だけでなくアニメなどさまざまな媒体でも広く取り上げられてきた。
日本では原作の新訳もいくつかある。

名作は時代を超え、国を超え、表現媒体をまたいで広がっていくものだと思う。感動は時空を超え伝播していくのだ。


*今回わたしがDVDにダビングした映画のキャスト等の一部をここに記しておきたい。
  セドリック:リッキー・シュローダー
  ドリンコート伯爵:アレック・ギネス
  エロル夫人:コニー・ブース
  監督:ジャック・ゴールド
  制作:ノーマン・ローズモント
  脚本:ブランチ・ハナリス
  音楽:アリン・ファーガソン
  原作:フランシス・ホジソン・バーネット
  制作年:1981年、イギリス

*わたしがビデオに最初に録画したのは1988(S63)年8月6日、NHK総合で放映されたもの。今から35年前。
*最初のビデオ録画のせいか、今回のDVDへのダビングのせいか、音声が日本語吹き替えのみになっていた。(冒頭画面ではBILINGUAL<二か国語>とあったのに)
これが唯一残念である。でも吹き替えの声優の方々はとても上手く、役柄にピッタリであった。


控えめに香りを放っている

2023-12-25 | 季節の移ろい

黄色いバラは、フリージアという名前のバラ。厳寒の今の時季にも咲くたくましいバラだ。

本ブログに登場するわが家のバラの中で、まちがいなくいちばん登場回数が多い。初夏にはもちろん、夏にも秋にも、そしてこのように冬にも咲くからだ。

わたしにとっては ‘ブログネタに困ったときのフリージア’ である。

鼻を近づけてみると、わずかながらもちゃんと香りを放っている。


 雨にも負けず 
 夏の暑さにも 冬の寒さにも負けず 花開き
 いつも控えめに 香りを放っている
 なにごとも周りのせいにはせず 
 ひたすら わが道を歩む フリージア
 そういう者に 私はなりたい (賢治風) 


タケノコイモのホクホク感

2023-12-12 | 菜園の四季

土の中に埋けておいたタケノコイモ(サトイモの一種)の一部を、きのう菜園から掘り出してきた。
三週間ほど前に畑から収穫し、そのまま畑のわきに掘った穴に埋めておいたのだ。

土の中に埋けておくと保存にもなり、追熟も進むようだ。

 

 


   

家に持ち帰り、きれいに洗ったタケノコイモ。

普通のサトイモより大きく、長く太い。タケノコイモの名前は、この形状から来ているようだ。
色はサトイモより明るいめの茶色である。

 

 


   

鶏肉といっしょに煮物にした。

味はサトイモよりぬめり感が少なく、ホクホク感が強い。甘みもあり煮物にはピッタリである。

クセもないので、さまざまな素材との相性もよさそう。煮てもよし、揚げてもよし、工夫次第でさまざまな料理に使えそうである。

タケノコイモの収穫と穴埋め - 興趣つきぬ日々 (goo.ne.jp)


鍾乳洞初体験:福島の旅2023後編

2023-12-07 | 散歩、時々旅

友人たちとの福島一泊旅。二日目は小野町からとなりの田村市に入り、「あぶくま洞」に寄った。

あぶくま洞とは、1969年(昭和44年)9月に田村市滝根町の石灰岩採掘現場で、採掘中に偶然発見されたという鍾乳洞。

ここでは、現在確認されている3000メートル以上の長さの鍾乳洞の一部、700メートルほどを、洞内観察の有料公開コースにしている。歩いて約1時間ほどの、見学兼観光コースだ。

上の写真はあぶくま洞入口付近の山の景観。

山腹全体に、削られたような白い岩石が山肌の表面に無数に飛び出ている。この辺一帯がかつては石灰岩採掘場だった跡だろうか。

 

 

   

ここは鍾乳洞入口から入って、少し歩いてきたところ。

鍾乳洞は、二酸化炭素をふくみ酸性化した雨水や地下水が、石灰岩層に浸み込み、浸食が進み、気の遠くなるような年月をかけて造り上げた大自然の造形である。

わたしは鍾乳洞を写真や映像で見たことはあったが、直に中に入り、現物を目の当たりにしたのは今回が初めて。その意味では貴重な体験であった。

 

 


   
   

照明も、場所により違う色でライトアップされている。
白磁の滝、妖怪の塔など、場所の特性や鍾乳石の形により、興味深いネーミングをほどこしていた。
鍾乳洞のでき方を教える解説板も見られ、見学者を惹きつけるさまざまな工夫がなされているのが、見てとれた。

 

 

   

ただ、正直なところ、日頃運動不足の老人(わたし)にとってはたいへんしんどいコースでもあった。
コースには比較的広いところ、天井の高いところもあるが、狭いところ、かがんで歩かなければならない天井の低いところがあちこちにあった。

岩に頭をぶつけつつ、同行の友人にリュックを持ってもらったり、手を引っぱってもらったり・・。
汗だくになってやっと出口に近づくことができた。友人たちには、心から感謝である。

 

 


   

ゆっくり休んで、次に向かったのは、同じ田村市常葉町の山中にある磯前神社(いそざきじんじゃ)

ここには、山腹の崖地によりかかるように建てられた社殿があった。(上の写真)

「懸造り」と呼ばれる建て方で、階段下の説明板によると、
「土台の三隅を自然石に架け、もう一隅を高さ2メートルの太い束(つか)(柱)で支えている」
のだそうだ。

建物の周りにスペースがないので、社殿に上がるには、床下のせまい空間をかがんで通りぬけ、反対側にかけられた小さいはしごを使って登る。

「あぶくま洞」で疲れ果てたわたしは、この社殿への参拝を、友人たちにことわってパス。
神様、お許しください。

 

 

   
   

田村市の中心部、船引町にある「丸信ラーメン」で昼食。
チャーシューラーメンと餃子。これもたいへん美味しかった。

 

 

 

     

今回の福島旅でも日本酒の蔵元2軒を訪ねた。田村市の玄葉本店と三春町の三春酒造である。
ただ両方とも残念ながら、入口は開いてなかった。

今は酒の仕込みの多忙期で、そのためのようだった。

上の写真の「三春駒」は、三春町のスーパーで購入。地元でしか売ってない酒である。大事に飲もう。


今回の福島旅は、わたしにとっては、自分の体力の限界をいやというほど知らされた旅でもあった。
日頃からウオーキング、筋トレに励まねば・・。


写真協力:Y.T.氏


心遣いの宿:福島の旅2023前編

2023-12-06 | 散歩、時々旅

先週末、友人たちと4人で、福島への一泊旅行に行ってきた。 ‘湯と酒と人情を福島で味わおう’ という毎年恒例の車旅である。

わたしたちはほぼ毎年、11年間、会津を中心とした福島の鄙びた宿と日帰り温泉巡りをしてきた。(神社仏閣や博物館、道の駅などにも行ったけど)

今年訪れたのは、訪問順にいわき市、小野町、田村市、三春町である。

上の写真は、いわき市常盤湯本町の、「いわき湯本温泉 さはこの湯」。
江戸末期の建物様式を再現したという独特の外観の日帰り湯。今年はここが皮切りだった。

内部の雰囲気も古めかしい。広い湯船に浸かりながら、建物最上部の湯気逃がしと採光の窓をゆったりと見上げることができる。なんと贅沢な気分か。

観光客向けというより、地元の人たち向けの入浴施設である。平日だったせいか、お年寄りを中心に、昼前からたくさんの人たちがくつろいでいた。

 

 


   

ここは、太平洋に面したいわき市にある塩屋埼(しおやさき)灯台。

美空ひばりの唄った「みだれ髪」の歌詞に、「塩屋の岬」として出てくる岬にある灯台だ。(作詞:星野哲郎/作曲:船村徹)

 

 

   

近くに「みだれ髪」の歌碑があった。
ここはいわき市の観光スポットの一つ。小型バスで来ていた人たちなど観光客も少なからず見かけた。

 

 

塩屋埼灯台の上部から見た太平洋。

われわれの11年間の福島旅では、これまで会津、中通りが多く、今回初めて海の見える浜通りに来た。

 

 


    

いわき市遠野町の「手打ちそば うつつ庵」で昼食。
天ぷらそば。コシのある美味しい蕎麦だった。

 

 


いわき市を離れてとなりの小野町へ。ここは標高659メートルの山、東堂山中腹にある満福寺。
1000年以上前に、奈良の高僧徳一大師によって開山されたといわれる古刹である。

巨大な自然石の上に建ち、近世木造建築の粋を集めた鐘楼。
昭和60年から奉安が始まり、すでに500体ほどの羅漢像がある「昭和羅漢」。
そして参道の杉木立が有名なお寺だ。

上の写真は鐘楼。

 

 

     

昭和羅漢。
(羅漢とは「仏、宗教的聖者」の意)

羅漢の奉安は今も受け付けられていて、カラオケを歌っている羅漢など、新しい世相を映したものも登場してきている。

 

 

      

この日の宿は、小野町の「小町温泉 太田屋旅館」。

‘小町温泉’ というのは、この小野町には小野小町(おののこまち)生誕伝説があり、多くの温泉宿で名前に入れているようであった。

太田屋旅館では、ご年配の上品な女将さんが、笑顔で迎えてくれた。

 

 


   

これは翌朝の朝食。

残念ながら、この日の夕食は、話に夢中になり写真を撮り忘れてしまった。

その夕食の内容を、思い出しながら書いてみると、4人のテーブルの真ん中に、豚肉と野菜たっぷりのチゲ風大鍋。
そのほか一人一人には、マグロとブリの刺身、カレイの煮つけ、野菜の煮物など盛りだくさん。それを一度に並べるのでなく、女将さんが順次運んできてくれた。

冬至に食べるという「小豆粥」もご馳走になった。
女将さんの育った茨城では小豆粥は甘い味付けだったが、嫁いできたここ小野町は塩味の、甘くない小豆粥だったのだそうだ。

塩で薄く味付けされた小野町風小豆粥は、お粥の旨みが出ていて、たいへん美味しかった。

わたしたちはいつものことながら、ビールに加え、お酒も燗でたくさんいただいたことを付け加えておこう。

ここ太田屋旅館、お風呂も湯がたっぷりで、ストーブが点いているのに布団には大きな湯たんぽを入れてくれていた。細部にまで心遣いの利いたあたたかい宿だった。

友人たちとの福島一泊旅、一日目はこれで終わり。二日目は田村市と三春町を訪れる。
それは稿をあらためて書くことにしたい。

写真協力:Y.T.氏

 みだれ髪 - YouTube (「みだれ髪」美空ひばり)