興趣つきぬ日々

僅椒亭余白 (きんしょうてい よはく) の美酒・美味探訪 & 世相観察

ときたまの横浜

2018-09-23 | 散歩、時々旅

昨日(22日)、横浜に行ってきました。

上の写真は山下公園から見た氷川丸。

ほんとうは港の見える丘公園にある「大佛次郎記念館」に行きたかったのですが、地下鉄の「元町・中華街駅」で、反対側(遠いほう)の出口に降りてしまって、ここに来てしまいました。

氷川丸をこんなに近くで見たのは初めてです。これはこれでよかったのだ、ということにしましょう。

おかげで大佛次郎記念館までは結構遠く、しかも港の見える丘公園に行くには登り道で、少し蒸し暑い日、すっかり汗になってしまいました。

日頃は運動不足なので、これもこれでよし、ということにしましょう。(要するにどうでもいいんだね)

 

 

   

途中、CAFE Elliott Avenue Yokohama(アルファベットで書くところに横浜らしさがある)で昼食。
‘シアトル風’ と銘打ったサンドイッチと、エスプレッソコーヒー。
店長らしい青年がわたしの座ったテーブルまで来て、目の前でコーヒーを注ぎ、ハート型の花の絵を描いてくれました。
(一人客の、たそがれおじさんには、あまり似つかわしくなかったけど)

 

 

 
   

大佛次郎記念館(写真奥の建物)では、さる会合がありました。
建物も会議室も洒落ていて、会議室から専用の広いベランダに出ることもでき、ゆったりと気持ちよく、VIPになった気分で会に参加することができました。

会合の後は歩いて中華街へ。
横浜はときたま(たまに)しか来ない街ですが、食事も美味しかったし、山下公園もよかったし、汗もかいたし、いい一日となりました。

 

 

   

今日は、お彼岸の中日。家の近くの墓園にお墓参りに行ってきました。


「揺るるばってん、沈まんばい」

2018-09-22 | 随感・偶感・歳時感

上の写真は、この夏を北海道で過ごした友人から、お土産にといただいたお酒。
6日の北海道地震で棚から落ちたのだが、ビンが割れなかった一本とのこと。

「ラッキーな酒だから、飲むと幸運が舞い込むよ」
と冗談めかして言う友人は、重いのにわざわざ持ってきてくれたのだ。

 

 


   

よく見ると、ビンのふたの角がへこんでいる。
察するに落ちたとき、硬い床に頭から落ちたのだろう。
腹から落ちていれば、ひとたまりもなく割れてしまったにちがいない。

ところで、この割れるのをまぬかれた酒を見て、わたしはある方に教えてもらった一つの言葉を思い出した。

「揺るるばってん、沈まんばい」

という言葉だ。「揺れるけど沈まないぞ」という意味である。

佐賀出身のその方は、ヨットにも乗るので、‘ヨット乗り’ の間でいわれている言葉かもしれない。

「人生にも大波・小波、大風・小風はあるけど、帆と舵を上手く操って(工夫をこらして)、決してあきらめずに乗り切っていけ」
という意味が込められているとのことだった。

わたしはこの割れなかった酒瓶を見て、こんなこじつけをしてみたくなった。
「落ちるばってん、割れんばい」(落ちても割れないぞ)と。

人生にはいうまでもなく、さまざまな避けがたい不運や不幸が訪れるものだ。不慮の事故だってある。それを前もって気に病んでいても始まらない。
イザというときにはこのビンのように、むしろ頭から飛び込んでいきたいものだ。

2018.9.22


菜園も夏から秋へ

2018-09-19 | 菜園の四季

このところ畑を耕しに、近くに借りている菜園によく行っています。
今は植替え時期なのです。

菜園は家内がやっていて、わたしは耕すのをときどき手伝うだけ。いわば現代の苦力(クーリー)ですね。

上の写真は、今までナスとパセリが植わっていた畝で、これからザーサイとコブタカナを植えます。
まず鍬で掘り起こし、肥料(有機化成肥料、有機石灰、発酵油粕)をまいて、そのあとそれを混ぜ込みながら、シャベルでさらに深く掘り返したところ。

ふだん、布団より重いものをめったに持たないわたしには、これは重労働。すっかり汗になってしまいました。
まあ、運動不足解消には、少しは役立つかもしれません。

 

 

 




 

これは畑に植える苗です。

上の写真はコブタカナ。下はザーサイなど。来週くらいに畑に植え替えます。

去年はたしか9月後半から10月にかけて雨が多く、日照不足でしたが、はたして今年はどうでしょうか。


籐のチリ箱修理

2018-09-10 | My Favorite Things

上部がこわれていた籐製のチリ箱を、自分で修理しました。

 

 


   

修理前のチリ箱。
(色が白っぽく見えるのは、撮影時のカメラと光の加減です)

 

 

 

   

上部のこわれた部分を切り取り、最上部の黒っぽい蔓(籐)を、木工用ボンドで貼り付けました。
すぐに取れてしまうことはなさそうです。

今、籐製品は都市部ではなかなか手に入らず、雑貨屋などで見つけても、高くてちょっと手が出ない。
多少格好が悪くともこれで十分、ということにしましょう。

 

 

 

   

同じくこわれていた竹編みのチリ箱です。
これは直しようがないので、このまま使っています。破損部分が日々広がっています。

でも、やはりチリ箱は ‘通気性’ の良いのがいいですよね。(良過ぎだよ)

https://blog.goo.ne.jp/kyusan2/e/bb24b592dc450bcc460d0a4bf6a70b84


ゴマの収穫 2

2018-09-02 | 菜園の四季

菜園から刈り取ってきたゴマを数日間乾燥させ、さや(上の写真)から種(実のつぶ)を取り出します。
これがいわゆるゴマ(胡麻)ですね。

 

 

 

   

取り出したゴマを、ふるい(篩)にかけ、ゴミやホコリを取ります。

そのあと水洗いをしてきれいにするとともに、実入りの悪いゴマは浮いてくるので取り除く。
それをザルに取り、水を切って乾かす、という作業が続きます。


 

 

 

   

きれいにしたゴマをを土鍋で煎ります。
煎っているとゴマはパチパチと飛び跳ね、‘ゴマダンス’ を始めます。香ばしい香りが立上ってきました。

 

 

 

   

熱々のゴマをアップで写すと・・・。

 

 

 

   

これは、乾電池式の ‘ごますり器’。
ほんとうはすり鉢で擂ればもっといいのでしょうが、ごますり器は手軽で便利。手入れも楽です。

摺りゴマは一度に作ってもすぐには食べきれないので、さやから取り出す以降の作業は、回数を分けて1回に少しずつ行っています。


ところで、他人にへつらって自分の利益を図ることを「胡麻を擂る」といいますが、胡麻を擂ることがどうしてそういう意味になったのでしょう。

『故事俗信 ことわざ大辞典 第二版』(北村孝一・監修/小学館)には、
「すり鉢の胡麻が四方のあちこちにまんべんなく付くところから、人にへつらう意にたとえるとする説がある。」
とあります。

すり鉢で擂ることが前提にあって生まれた意味ですね(一つの説)

ごますり器を前提にすれば、「あちこちにベタベタ付くことはない(よけいな気は遣わない)。手際が良く、サッと仕事をこなす」(人だ)という意味が付加できそう。

「でも、なんだか面白みのないヤツだなぁ」などという評価も出てきそうですね。

ともあれ、穫れたて、煎りたて、擂りたての、自家製「三たて」ゴマは、栽培から考えるとたいへんな時間と手間がかかります。
でも、だからこそ最高に香りの立つ、この上なく美味しい胡麻を食べる贅沢が味わえる、ということなのでしょう。

https://blog.goo.ne.jp/kyusan2/e/b71c565c3cce0b120445063bf2262832


ゴマの収穫 1

2018-09-01 | 菜園の四季

わが家の菜園から、ゴマ(胡麻)を収穫してきました。

上の写真はゴマの植わっている畝です。
今年は暑かったせいか、とても生長がよかった。どれも1.5メートルを超えています。 

 


   

ゴマの穂。

3センチほどの「さや」の一つ一つに、種(実のつぶ)が詰まっていて、それが「ゴマ」です。 

 

 


   

コガネムシが、葉にとまっていました。

ゴマは種を煎って、擂ると、香ばしい香りがしますが、生長段階でも葉や茎から ‘良い香り’ が出ているのでしょうか。
コガネムシはその香りを求めて、やってくるのかもしれません。

よく見るとこのコガネムシ、葉にしがみついたまま事切れているようでした。
触っても動きません。

これを “ゴマに死す” といいます。(いわないって) 

 

 


   

刈り取ってきたゴマは葉をむしって、穂を数日間乾燥させます。
刈り取るときも、家に持ってくるときも、乾燥している最中も、破れたさやから、種のつぶがパラパラと落ちてきます。ブルーシートはそれを受けるためです。

ところで、日本のゴマの自給率は何パーセントかご存知ですか?
ネットを見ると、なんと0.1パーセントとのことです。ほぼ100パーセント輸入に頼っているのですね。

今回のわが家の菜園からの収穫で、0.2パーセントにアップすることでしょう。(まさか)

(この記事は次回「ゴマの収穫 2<煎る・擂る編>」に続きます)