興趣つきぬ日々

僅椒亭余白 (きんしょうてい よはく) の美酒・美味探訪 & 世相観察

教養とは

2015-06-25 | 余白の創作ことわざ

          写真は都電荒川線(大塚駅付近にて)。本記事とは関係ありません。

カテゴリー 「余白の創作ことわざ」 に、今回から創作ことわざとともに創作警句(アフォリズム)もアップしてまいります。

一回めの創作警句です。


教養とは、例えば「自分の知らない人も乗っているバスの中では声をひそめる」というようなことである。


<いわずもがなの一言>
「教養」の定義はむずかしいが、定義づけはできなくても、教養というものは自分の生き方や社会人としての在り方の中に、自然に、しかも具体的に表れてくるように思う。

<さらに一言>
社会生活のマナーが洗練されていることのほかに、‘教養ある人’ にはこんな特徴があるのではないだろうか。
穏やかである、知ったかぶりをしない、鋭い観察・深い思考が話の端々に結果としてにじみ出てくる、人の話をよく聞く、話が簡明である、簡素で清潔感のあるお洒落ができる・・・。
わたしもそんな人になることを目指したいと思っています。


「鮨屋で飲む」愉しみ

2015-06-21 | 美酒・美味探訪

いいお鮨屋さんを見つけた。

この一年ほど、2~3か月おきに通っている。

ネタが良く、その割に高くない。
料理物も味がいい。煮物など薄味で素材の味が活きている。
プロの板前の腕だ。

なによりわが家に比較的近く、遠い都心まで行かなくていい。鄙(ひな)にはまれな名店と思う。

鮨好きな家内を一度連れていったら、すっかり気に入って、2か月も間が空くと「また行こう」と催促される。

上の写真は ‘中トロと白身の仲間たち’ 。(正式名称ではありません)

 

 

 

 

これは上寿司一人前。


ところでわたしは昔から、酒飲みにとっては、鮨屋で飲むのがいちばん贅沢なのではないか、と思ってきた。

2~30年前、仕事でお世話になった画家のI先生(故人)に誘われ、その方の馴染みの鮨屋で何回かご馳走になったことがある。

先生は寿司をつまむ前に、毛蟹をさばいてもらったり鮎を焼いてもらったりして、ゆっくり酒を楽しんでおられた。

「鮨屋で飲む。なんて粋な飲み方なんだろう」
と、そのときわたしは心底そう思った。いつかわたしもあんな風に飲みたいものだと。

しかしながらその後、わたしは鮨屋には、それほど頻繁には行けなかった。概して居酒屋より高いからだ。


でもこれからは、飲む回数を減らし、あちこち違う店に行くのでなく、この鮨屋をメインしようかと思っている。


それはどこの何という鮨屋? とこれをお読みの方は思われるだろうが、あえて名前をふせておきたい。
繁昌店で、今でも予約がとりにくいからである。

わたしの隠れ家ということで、お許しいただきたい。

2015.6.21


シオカラトンボ?

2015-06-17 | 季節の移ろい

庭にトンボがやってきました。

トンボを見たのは今年初めてです。

シオカラトンボのようですが、シオカラトンボにしては胴体が黒すぎる。
ネットの「図鑑」で調べても、分かりません。

 

 

 



鉄の棒(植木鉢吊り下げ用)にとまって、しばらくして飛び立ち、また同じ鉄の棒にとまりました。

鉄が好きなようです。

‘安定指向’ のトンボです。(まさか)


ところで、ムギワラトンボというのは、シオカラトンボとは別の種類のトンボかと思っていましたが、そうではなくシオカラトンボの雌だったのですね。
ネットの図鑑を見て、初めて知りました。

長い人生を生きてきて、今の今まで知りませんでした。


手作り・紙製チリ箱

2015-06-14 | My Favorite Things

の手さげ袋で チリ箱(ゴミ箱)を作りました。

これを長く使おうというわけではありません。すぐに汚れてきたり、ヘナヘナになったりしますから、そうなったらチリ箱ごと捨てようというわけです。

 

 

 


なぜ紙製チリ箱を作ったかというと、昔から使っていた竹編みのチリ箱と籐製のチリ箱が、こわれてしまったからです。

書斎で使っていた細長い竹編みのチリ箱(左)など、わたしがまちがって倒し、踏んでしまったのです。


今、こういう籐や竹で作ったチリ箱は、商店街などでは売っているところがなくなってしまいましたね。

ホームセンターを2~3か所見てみましたが、ありません。プラスチック製に取って代わられています。

でも、プラスチックでは通気性が悪く、湿気をふくんだゴミなどムレてしまうことでしょう。 

昔ながらの荒物屋(雑貨屋)にも、たまたま前を通りかかった折に2か所ほど聞いてみましたが、置いていませんでした。

だいたい荒物屋自体がなくなってきています。(「荒物屋」という言葉も、今は知らない人が多いのではないでしょうか)


地方に旅した折などに、ザルやカゴなどの竹編み製品を見つけることがあります。チリ箱もだいたいあります。
今度そんな機会があったら、少々荷物にはなっても、買ってこようかと思います。


ところで、上の紙製チリ箱を作っていて、「イカどっくり」を思い出しました。
スルメで作ったとっくり(徳利)です。

酒を入れて、とっくりとして1~2回は使えますが、しだいにスルメが軟らかくなってきて、酒が漏ってきます。
そうなったらイカどっくりは、徳利としての役割を終えます。(ツマミになります)

いずれ、みずからもチリ箱としての役割を終える紙製チリ箱も、それに似ているとは思いませんか?


イカどっくりも普通の商店街には売っていません。海辺の観光地などにはありそうですが・・・。
今度見つけたら、買ってこよう。


加藤登紀子50周年記念コンサート

2015-06-07 | 時には芸術気分

加藤登紀子さんのコンサートに行ってきました。(6月5日、サンシティ越谷市民ホール)

「百万本のバラコンサート with ラトビア・リエパーヤ交響楽団」です。

家内に半ば無理やり ‘お供’ させられたのですが、結果的にわたし自身、心から楽しんでくることができました。


歌もさることながら、加藤登紀子さん、‘語り’ がとても上手かった。話し方に肩肘張ったところがまったくなく、自然で、内容にも味がありました。

「人生とは、とどのつまり、愛だ」

とさりげなくおっしゃったのに、とりわけ深く共感しました。

例えば、「百万本のバラ」に歌われた孤独な画家の無限の愛、それがずっと長く、聴く者の心に響いてきたのでしょう。

“愛の讃歌”(今回のプログラムにもありました)、・・・それは歌手生活50年を迎えた加藤さんの歌の基本テーマであるにちがいありません。

 

 

 

 

リエパーヤ交響楽団はバルト三国の一つ、ラトビアから来たオーケストラです。

なぜわざわざラトビアから来たのかというと、「百万本のバラ」の原曲がラトビアで生まれたからということのようです。

総勢20名ほどの小編成のオーケストラなのですが、ほとんどが女性で、驚いたことにみなさんとてもきれいな方々ばかりでした。
背が高くスマートで、小顔で鼻が高く、目がパッチリの、お人形さんみたいなヴァイオリン奏者もいましたよ。


紫陽花には水滴が似合う

2015-06-03 | 季節の移ろい

雨が上がったところです。

わたしは雨降りはあまり好きではありませんが、雨上がりは好きです。
シットリした潤いがあります。
 

四国、中国、近畿で梅雨入りとか・・・。

関東も、この様子ではもうすぐ梅雨入りでしょう。

梅雨と紫陽花。こんなに相性のよい組み合わせは、めったにあるものではありません。

 

 

 




こちらはカシワバアジサイ。

雨上がりは涼しいようでも、ちょっと歩くとすぐに汗ばんできます。
湿気が多いからでしょうね。

 

 

 



 

ところで、この四月から家内が家の近くに小さな畑を借りて、野菜作りをしています。

赤カブ、小松菜、春菊、インゲンなど、もうずいぶん食卓に上りました。
ナスもトマトも、ハーブ類も、だいぶ大きくなってきました。


5月は雨が少なかったので、蒔いた種が根づかないのでは、芽が出ても、水不足で枯れてしまうのではと、山の神はしょっちゅう心配していました。
雨の予報が外れると、テレビの気象予報士に真剣に怒っていたものです。

近郊農家の人たちも同じような心境だったのでしょうか。立場によって人はものの見方が変わるものです。


梅雨は農作物にとっては恵みの雨になります。降りすぎないように、ほどよく降ってくれればいいのですが・・・。


殿ヶ谷戸庭園

2015-06-01 | 散歩、時々旅

国分寺の都立殿ヶ谷戸(とのがやと)庭園に行ってきました。

さほど広くはない庭園ですが、中は高低差があり、湧水を利用した池もあって、変化に富んだ景観が楽しめます。

今の時季、緑がとてもきれいでした。

 

 

 

 

奥に見えるのは本館。

岩崎弥太郎の別邸として昭和9年に建てられたものだそうです。 

庭園全体、手入れが行き届いていて、静かで、気持ちよく散策することができました。

 

 

 

 

茶室、紅葉亭。

座るところがあり、来園者はここでひと休みできます。

と言って、お茶のサービスを受けることができるわけではありません。

庭園内には自販機もありません。外で飲み物を買って訪れるとよいでしょう。

入園料150円(65歳以上70円)。遠くの観光地に行って疲れて帰ってくるより、時にはいいかもしれません。

 

 

 

紅葉亭からの庭を望む。