興趣つきぬ日々

僅椒亭余白 (きんしょうてい よはく) の美酒・美味探訪 & 世相観察

見目を気にするより 表情に気を配れ

2015-02-25 | 余白の創作ことわざ

「余白の創作ことわざ」です。

見目を気にするより 表情に気を配れ    みめをきにするより  ひょうじょうにきをくばれ


<意味>
顔の印象を作り出しているのは、目鼻立ちや容貌(見目)より顔の表情によるところが大きい。顔の表情には無意識のうちに喜怒哀楽、自信や不安、心の構え、ときには人に対する好悪の情まで表れてしまう。顔立ちを気にするより、表情に気を配ったほうがよい。

<さらに一言>
先日の夕方、駅始発のバスに乗ろうとバス停に行くと、二人の女子高校生がすでに並んでいた。
見ると、二人ともおにぎりをほおばっている。家に帰って晩ごはんを食べるまでのつなぎなのであろう。バス停脇のコンビニで買ったようだ。

おもしろかったのは、二人ともわたしを見ると、等しくきまり悪そうな表情を浮かべたことである。
行儀の悪さを自覚した、恥じらいとも照れ笑いともつかぬ顔。それは、背格好も顔の造作も違う二人が、まったく同じ表情であった。
表情は顔の作りを超えるのである。

<もう一言>
このように、顔にはその人の心がそのまま映し出されてしまう。それだけに自分の心を日頃どう保つかが大切になる。

戦国武将・上杉謙信の残した家訓には、
 一、心に誤りなき時は人を畏(おそ)れず (自分が正しければ堂々としていられる)
 一、心に貪(むさぼ)りなき時は人に諂(へつら)うことなし (無欲であれば人におもねることもない)
 一、心に我儘(わがまま)なき時は愛敬失わず (我をすっぱり捨て去れば気持ちも晴れる)
など、十六カ条にわたって心の持ち方を説いた文言がある。(「上杉謙信公 家訓十六カ条」、括弧内の訳は余白

どれも現代を生きるわたしたちにも、そのまま役立ちそうなものばかりである。(ネットで検索できます)

また、精神科医であった大原健士郎氏は、「君が笑えばみんなが笑う。君が泣けば君一人で泣くのだ」という英国の女性詩人ヴァージニア・ウルフの言葉を引用して、このように述べている。
「・・立腹しても、泣きたいほど悲しくても、じっと我慢して笑顔で相手と接すると相手は安心して笑顔を作る。・・『君が笑えばみんなが笑う』ことを知れば、周囲の人たちにとって自分が、いかに重要な存在であるかが自覚できるはずである・・」(2004.2.29の日本経済新聞コラム「君が笑えば周りも」より)

笑顔には、周囲も自分も変えるほどの大きな力が秘められているのだ。
大原氏の文章に感銘を覚えたわたしは、この記事を切り抜いて今も手元に持っている。

<さらにもう一言>
「見目より心」(または「人は見目よりただ心」)ということわざがある。
ことわざ辞典の決定版で知恵の宝庫、『故事俗信 ことわざ大辞典・第二版』(北村孝一・監修/小学館)には、「人間は、顔かたちの美しさよりも、心の美しいことがたいせつである」とある。

つまり美しい心が根底にあれば、ちょっとした言葉にも、とっさの行動にも、そして顔の表情にも、本物の美しさが自然に表れ出るということなのだと思う。

2015.2.25


浦島時間

2015-02-21 | 散歩、時々旅

JRの田端駅前、夕方5時40分。

日が長くなってきました。
どことなく春の気配が感じられます。

昨日20日、金曜日、この日は比較的暖かい一日でした。

 

 

 

       

居酒屋「初恋屋」前、5時44分。

近くの会社に勤めている人たちでしょうか。
駅方面に向かう人がたくさん通ります。

 

 

 

     

初恋屋の中、7時04分。

昨日は親しい仲間、6人が集まりました。


このあと気がつくと、時計はなんと10時少し前を指しているではありませんか。
気がおけない仲間との楽しい時間は、アッという間に過ぎ去ります。

 ♪ 時間の経つのも 夢のうち

浦島太郎が龍宮城で乙姫様と過ごした時間も、きっとこんな感じだったのでしょう。

われわれに‘玉手箱’のお土産をくれる人はいませんでしたが・・・。


妖怪道中膝栗毛シリーズ、6、7巻 好評発売中!

2015-02-17 | 時には芸術気分

大好評のエンタテイメント児童書「妖怪道中膝栗毛シリーズ」です。

今回は一挙に第6巻と第7巻をご紹介します。

第6巻道中膝栗毛 陸(六) 時空をこえて魔鏡マジック

第7巻道中膝栗毛 漆(七) 旅の終わりは妖怪ワールド(完結編)

(いずれも、三田村信行・作 十々夜(ととや)・絵 あかね書房・刊)

100年後の未来から、タイムマシンを使って江戸時代に逃亡した大妖怪、山ン本(さんもと)五郎左衛門

その五郎左衛門を追って、同じ未来から江戸時代にタイムスリップした小6の蒼一夏実信夫の三人。

三人はこの6、7巻でも、引きつづき五郎左衛門の動向を把握する目的で五郎左衛門を追い、妖怪「大寄合(おおよりあい)」が開かれる京都を目ざします。
(少し遅れて、夏実の叔父で妖怪研究の第一人者、大河原博士も登場) 

第6巻では、この巻の山場で五郎左衛門と妖怪・青坊主が、妖怪のボスの座をかけ、手に汗にぎる決闘をくりひろげます。

第7巻では、全国から妖怪を集めて京都で開かれた「妖怪大寄合」が、途中大荒れに荒れることになり、また、そのあと大河原博士は夏実たち三人に、驚きの秘密を明かします・・・。

奇想天外・摩訶不思議な妖怪アドベンチャー物語。子ども向けとはいえ、大人もぐいぐい引き込む良質なエンタテイメント。
これを読めばあなたも、すばらしい“妖怪ワールド”に、たっぷり浸れること請け合いです。

お子さん、お孫さんへのプレゼントには小学校3、4年生からが目安。これまでの全7巻一冊一冊が、それぞれ独立した物語としても楽しむことができます。

*「妖怪道中膝栗毛シリーズ」ラインナップ
 (1) 旅のはじまりは タイムスリップ
 (2) よろずトラブル 妖怪におまかせ
 (3) 旅はみちづれ 地獄ツアー
 (4) 船で空飛ぶ 妖怪クルーズ
 (5) 夜の迷路で 妖怪パニック
 (6) 時空をこえて 魔鏡マジック
 (7) 旅の終わりは 妖怪ワールド
  定価は各巻とも1,200円+税 

http://www.akaneshobo.co.jp/search/info.php?isbn=9784251045164
http://www.akaneshobo.co.jp/search/info.php?isbn=9784251045171


評論家の功罪

2015-02-14 | 時には芸術気分

オランダ出身の世界的名指揮者、ベルナルト・ハイティンク(1929~)のことを、わたしは長いあいだ誤解していた。凡庸な指揮者であると・・・。

最近、ハイティンクのCDを2枚立て続けに買った。ハイティンクのレコード・CDをわたしが買ったのは初めてである(マーラー4番、シューマン1~4番の交響曲)。
聴いてみると、どれもなんとすばらしい演奏であることか。

曲の流れが自然で、奇を衒うところのない堂々とした演奏である。それでいて緩急・強弱が自在。間合いも絶妙。名門オーケストラ(コンセルトヘボウ)を完全にコントロールしている。
凡庸どころか、名人の技だ。

なぜ長いあいだわたしがハイティンクを凡庸な指揮者と思っていたか。それは、かつての‘音楽評論家’たちのレコード評による影響が大きいと思っている。

わたしがクラシック好きになった数十年前、中・高生の頃である。小遣いの少なかったわたしは、ほしい曲の‘決定盤’を選ぶのに、レコード評の載った本や音楽雑誌によく目を通したものだ(ほとんど立ち読み)。
そこにあった音楽評論家たちのハイティンク評は、総じて「個性に乏しい、地味である」というようなものであった。

自分でレコードを聴き比べる機会もなく、ラジオのクラシック番組にかじりつくほかは何の情報もなかったわたしが、それに影響されないわけがない。

その後社会人となり、わたしは忙しさもあって長いことクラシック音楽をじっくり聞かなかった。それが数年前から、また音楽鑑賞の世界に首を突っ込むようになり、そこで知ったのは、かつてとは様変わりしたクラシック音楽界であった。

新旧交代が進み、若い、新しい指揮者たちがどんどん世界の主要オーケストラを振っている。数十年前に青年だったハイティンクは、いまでは立派に大家の一角を占めている。

考えてみればそれは至極当然のことである。ハイティンクは超一流オーケストラ、アムステルダム・コンセルトヘボウの音楽監督・正指揮者を20年以上も務めたのをはじめ、半世紀の長きにわたって世界の第一線で活躍してきているのだ。
つまり実力を実績で証明してきたのである。凡百の評論家が口をはさめる世界ではない。

これからは、わたしは彼のブラームスやチャイコフスキーなどもゆっくり聴いてみようと思う。

ところで、一般論として言うと、わたしは評論家というものをあまり信用していない。わたしの関わった仕事(出版)の中でも、それはつねづね感じてきたことである。

「言うは易く、行うは難し」というが、評論の世界も同じではないだろうか。「批評は易く、実践は難い」のだ。評論家には、‘上から目線’で作品とその作者(実践者)を簡単に批評するのでなく、もっと広い視野から、真に優れた実践と優れた才能を見出だし、光を当ててほしいと思う。
2015.2.14

*上の写真のCDは、左がマーラーの交響曲第4番(Avro-輸入盤)、右がシューマンの交響曲1~4番他(DECCA・2枚組)。(いずれもハイティンク指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)


バンペイユ

2015-02-12 | 美酒・美味探訪

上の写真の左がバンペイユ(漢字で書くと「晩白柚」)
柑橘類で、文旦(ザボン)の仲間です。

熊本県八代(やつしろ)市の特産。ネットで見て取り寄せました。

大きいでしょう?
左右幅17センチの余もあります。
(右にあるのはわが家の庭で生ったレモン。大ぶりのレモンなのですが・・・)

ついてきたパンフレットを見ると、「果実王」とあります。
「柑橘類ザボン区分で重量世界一」と認定された品種なのだそうです。

 

 

 




中を開けると、こうなっています。

肉厚です。

ほとんどが皮、といっていいくらい。

実が少ないじゃないか、と言ってはいけません。この果皮がまた利用できるのです。

 

 




      

白い内皮を、熱湯でアクを抜いてから砂糖とともに煮ると、格好の‘スイーツ’になります(「晩白柚漬」と言うようです)

上の写真がその出来上がり。

色が茶色っぽくなって、奈良漬のような風合いです(甜菜糖を使ったからかもしれない)

外見は瓜の奈良漬でも、食べてみると軟らかい食感、いや、歯ごたえのない食感です。
味も、甘み以外にとくにコレといった特徴はありません。

でも、お茶請けにはぴったり。とくに紅茶に合いそうです。

中の実は生食用。酸っぱすぎず甘すぎず、結構美味しかったです。


渋谷夕景

2015-02-08 | チラッと世相観察

昨日は会合があって、渋谷に行ってきました。

ここは渋谷駅前のスクランブル交差点です。
サッカー・ワールドカップで日本が負けたとき、若者たちが大勢繰り出して大騒ぎしたところですね。

つい最近聞いた話ですが、昨年のハロウィンのときには、ハロウィンの仮装をした若者たちであふれかえり、それが夜遅くまで続いたそうです。

わかりません。
騒ぎたいなら、仲間内でそれぞれ勝手に騒げばよかろうに、知らぬ人たちと集団になりたがるとは・・・。


 

 

 

 

       

こちらは、スクランブル交差点近くのハチ公前広場。

電車は東急井の頭線で使っていた車両です。
中には、英語のできるスタッフのいる観光案内のコーナーもあるようです。

 

 

 

       

昨日は渋谷で「立てこもり事件」があったようですね。
わりと近くで飲んでいたのですが、知りませんでした。

上の写真は一軒めのトルコ料理のお店。
結構美味しかったです。