興趣つきぬ日々

僅椒亭余白 (きんしょうてい よはく) の美酒・美味探訪 & 世相観察

自分がすればロマンス

2021-09-10 | 余白の創作ことわざ

韓国におもしろい ‘四字熟語’ がある。

    내로남불

これを日本語に訳すと、「自ロ(カタカナ)他不」となる。
意味は韓国語で「가 하면 맨스,이 하면 륜」、日本語で「分がすればマンス、人がすれば倫」。
(내=自分、わたし 로맨스=ロマンス 남=他人 불륜=不倫)

実体が同じでも、自分のことであればロマンスと美化し、他人がすれば不倫と悪く言う。
ものごとを自分に都合のいいように解釈し、主張する人の身勝手さを、端的に、皮肉をこめて表している。

これは四年ほど前の朝鮮日報の、政治論評コラムの中にあった言葉だ。
わたしがこの言葉を知ったのは、そのコラムがかつてわたしの通っていた韓国語講座の教材の一つに、たまたま使われたからだ。

編集委員と肩書のついた筆者は、この文の中で「내로남불が勢力をふるう時代」と書き、立場が変わって主張をコロッと変えたさる政治家を、痛烈に皮肉っていた。
この내로남불は、当時(今もか)韓国でよく使われていた言葉なのであろう。

今の日本でも状況は同じように見える。政界においても ‘내로남불人間’ は掃いて捨てるほどいる。
例えば、数年前、大臣になったとたん、自分のブログで脱原発を主張してきた記事をあっさり削除してしまった政治家もいた。

それはともかく、わたしもこの내로남불を下敷きに、「創作四字熟語」を作ってみたくなった。
苦吟の末できたのがこれ。

  自必他偶

意味は「分が上手くやれれば然、人が上手くやれば然」である。

この創作意図は、「人はとかく自分の幸運は自分の実力のなせるわざ(必然)と過大評価しがちで、他人の成功はその人の幸運にすぎない(偶然)と過小評価したがる」というものだ。

ひねくれ者の人間観と言われれば、そうかもしれない。

ついでながら、この「自必他偶」とその「意味」を、わたしなりに韓国語に訳してみた。間違いや改善点があれば、お教えいただきたい。

내필남우
가 잘 하면연,이 잘 하면연」
(잘 함면=上手くやれば 필연=必然 우연=偶然)

2021.9.10


【最近共感した言葉】
(小沢一郎氏の 9月9日ツイッターから)
信念は政治家の命。誰しも総理を目指すのはそれを実現するため。
今回の総裁選候補の一人は脱原発を信念として掲げてきた。ところが大臣になった途端、「所管外です」と封印。
仮にこの人物が総理になったとしたら実現できる立場になる。
もし権力欲のために信念を曲げるなら、もはや政治家とは言えない。


*上の写真の花はペチュニア。本文と関係ありません。


備えは手堅く 身支度 手早く

2018-10-01 | 余白の創作ことわざ

ひどい風でした。近所の家のベランダが半分壊れてしまったそうです。
昨晩夜中に強風をもたらした「台風24号」のことです。

わが家は、明け方庭に出てみると、どこかの家のツッカケ片方を、強風が運んできていました。

 

 

   

地面には、咲いたばかりのキンモクセイの花が、大量に落ちていました。

 

 


   

でも、ほとんどの花は、まだしっかり付いていて、辺りによい香りを放っています。

 

 


   

ウンシュウミカンはすべて無事。今年は豊作です。
わが家は今回は、幸いにも、とくに大きな被害はなかったようです。


 備えは手堅く 身支度 手早く   そなえはてがたく みじたく てばやく

これは、わたしが最近作った ‘創作警句’ です。

今年は全国的に地震や台風、火山の噴火、集中豪雨、猛暑日の多さなど、例年にない規模の災害や異常気象の多い年となりました。

自然の脅威は避けがたいものです。結局は、自分の身は可能な限り自分で守るしかない、ということなのでしょうか。
(わが家でも水や食料などの「緊急持ち出し品」をリュックに入れています)

ツッカケなどは飛ばされないよう、台風の前日には玄関にでも入れておきたいものです。


のろくても 止まるよりは まし

2018-07-28 | 余白の創作ことわざ

今回はひさしぶりに「創作警句」です。

Better slow than stop.  のろくても 止まるよりは まし

<意味>
たとえ動作がのろくても、進むのが遅くても、やりたいこと、やるべきことはやったほうがよい。実践の大切さを表した言葉。

<ここで一言>
これは電車の車内広告で、Better late than never.という言葉を見つけ(ECC外語学院の広告)、それを少しもじったもの。

この Better late than never.は『故事俗信 ことわざ大辞典 第二版<北村孝一・監修/小学館>にも載っていて、「遅れてもしないよりまし」と訳され、「時機を逸したとしても、やるべきことはやるほうがよい。」という解説がついている。
この「遅れても(late)」を「のろくても(slow)」に替え、その関連で never を stop にしてみた。

歳のせいか動作が鈍くなり、物忘れが増したと感じているわたし自身のためのことわざである。

<さらに一言>
とはいえ実際に、わたしの身の周りにも、若い人に負けず仕事に趣味にスポーツに、積極的に取り組んでいる人たちがたくさんいる。

わたしが10年ほど通っていた、さる大学の「韓国語 社会人講座」にも、そんな ‘熟年’ が多かった。
幸いにもそんな方々と今でも交流がある。わたしも「歳のせい」などとは言ってはいられない。

<もう一言>
韓国語学習の関連でいえば、韓国におもしろいことわざがある。

 외국어는 시간을 들여서 배워라. ウェグゴヌン シガヌル トゥリョソ ペウォラ

「外国語は時間をかけて学べ」という意味である。たしかに語学は、一夜漬けでは身につかない。

韓国語も焦って、速く、一度に覚えようなどと思わず、例えば韓国のドラマや映画を観たり、ラジオ講座を聴いたり、可能ならば韓国旅行をしたり、自分なりの工夫を重ねながら、ゆっくりと(slow)、しかも楽しく勉強するのが、逆にいちばん確実な上達法なのかもしれない。

*写真は西武池袋線を走っている「西武ライオンズ デザイン電車」。本記事と関係ありません。


早見えより腹見え

2016-01-29 | 余白の創作ことわざ

ひさびさの「余白の創作ことわざ」です。
今回は創作ことわざ編。

早見えより腹見え   はやみえより はらみえ

<意味>
人の話を聞くときは、早く理解すること(早見え) より、話し手の真意(腹) を掴むことが大切である。瞬時に気の利いた受け応えができなくても、深く理解できれば、それはおのずと相手に伝わるものだ。(「腹」は「肚」、または「胆」とも書く)

<ここで一言>
このことわざの創作意図は、理解の早いことを示そうと瞬時に反応したり、気の利いたことを言って相手や周りの ‘受け’ を狙ったりしなくてよい。それより話し手の言わんとすることを正しく把握せよ、ということです。わたし自身の自戒のために作りました。

たしかに世の中には、間髪を容れず面白いことを言って周りを愉快にさせてくれる人、何気ない話題を軽妙に操り、楽しませてくれる人もいます。でも、これは一つの才能(タレント)でしょう。皆が皆、そのようにできるわけではありません。

<さらに一言>
「早見え」 は囲碁・将棋の世界でよく使われる言葉のようです。いくつかの手筋が瞬時に読めること、または天才肌の棋士のことをいいます。しかしながら、囲碁に詳しい人に聞いてみると、早見えだから強い、ということではかならずしもないようでした。‘遅見え’ でも強い人は強いのだそうです。

<もう一言>
自分がその場で思いついたことを即、そのまま声に発し、長ったらしい話を延々としゃべる人をときどき見かけますが、ほんとうに賢い人は、回りくどい話はしない。むしろ他人の話をよく聞く人だと思います。耳を澄まし、相手の心の奥底にひそむ本音(腹) を見透かすのです。

2016.1.29

*上の写真は新橋駅前ビル1号館前の「開運狸」。大きな腹が見えていますが、本記事とは関係ありません。


教養とは

2015-06-25 | 余白の創作ことわざ

          写真は都電荒川線(大塚駅付近にて)。本記事とは関係ありません。

カテゴリー 「余白の創作ことわざ」 に、今回から創作ことわざとともに創作警句(アフォリズム)もアップしてまいります。

一回めの創作警句です。


教養とは、例えば「自分の知らない人も乗っているバスの中では声をひそめる」というようなことである。


<いわずもがなの一言>
「教養」の定義はむずかしいが、定義づけはできなくても、教養というものは自分の生き方や社会人としての在り方の中に、自然に、しかも具体的に表れてくるように思う。

<さらに一言>
社会生活のマナーが洗練されていることのほかに、‘教養ある人’ にはこんな特徴があるのではないだろうか。
穏やかである、知ったかぶりをしない、鋭い観察・深い思考が話の端々に結果としてにじみ出てくる、人の話をよく聞く、話が簡明である、簡素で清潔感のあるお洒落ができる・・・。
わたしもそんな人になることを目指したいと思っています。


見目を気にするより 表情に気を配れ

2015-02-25 | 余白の創作ことわざ

「余白の創作ことわざ」です。

見目を気にするより 表情に気を配れ    みめをきにするより  ひょうじょうにきをくばれ


<意味>
顔の印象を作り出しているのは、目鼻立ちや容貌(見目)より顔の表情によるところが大きい。顔の表情には無意識のうちに喜怒哀楽、自信や不安、心の構え、ときには人に対する好悪の情まで表れてしまう。顔立ちを気にするより、表情に気を配ったほうがよい。

<さらに一言>
先日の夕方、駅始発のバスに乗ろうとバス停に行くと、二人の女子高校生がすでに並んでいた。
見ると、二人ともおにぎりをほおばっている。家に帰って晩ごはんを食べるまでのつなぎなのであろう。バス停脇のコンビニで買ったようだ。

おもしろかったのは、二人ともわたしを見ると、等しくきまり悪そうな表情を浮かべたことである。
行儀の悪さを自覚した、恥じらいとも照れ笑いともつかぬ顔。それは、背格好も顔の造作も違う二人が、まったく同じ表情であった。
表情は顔の作りを超えるのである。

<もう一言>
このように、顔にはその人の心がそのまま映し出されてしまう。それだけに自分の心を日頃どう保つかが大切になる。

戦国武将・上杉謙信の残した家訓には、
 一、心に誤りなき時は人を畏(おそ)れず (自分が正しければ堂々としていられる)
 一、心に貪(むさぼ)りなき時は人に諂(へつら)うことなし (無欲であれば人におもねることもない)
 一、心に我儘(わがまま)なき時は愛敬失わず (我をすっぱり捨て去れば気持ちも晴れる)
など、十六カ条にわたって心の持ち方を説いた文言がある。(「上杉謙信公 家訓十六カ条」、括弧内の訳は余白

どれも現代を生きるわたしたちにも、そのまま役立ちそうなものばかりである。(ネットで検索できます)

また、精神科医であった大原健士郎氏は、「君が笑えばみんなが笑う。君が泣けば君一人で泣くのだ」という英国の女性詩人ヴァージニア・ウルフの言葉を引用して、このように述べている。
「・・立腹しても、泣きたいほど悲しくても、じっと我慢して笑顔で相手と接すると相手は安心して笑顔を作る。・・『君が笑えばみんなが笑う』ことを知れば、周囲の人たちにとって自分が、いかに重要な存在であるかが自覚できるはずである・・」(2004.2.29の日本経済新聞コラム「君が笑えば周りも」より)

笑顔には、周囲も自分も変えるほどの大きな力が秘められているのだ。
大原氏の文章に感銘を覚えたわたしは、この記事を切り抜いて今も手元に持っている。

<さらにもう一言>
「見目より心」(または「人は見目よりただ心」)ということわざがある。
ことわざ辞典の決定版で知恵の宝庫、『故事俗信 ことわざ大辞典・第二版』(北村孝一・監修/小学館)には、「人間は、顔かたちの美しさよりも、心の美しいことがたいせつである」とある。

つまり美しい心が根底にあれば、ちょっとした言葉にも、とっさの行動にも、そして顔の表情にも、本物の美しさが自然に表れ出るということなのだと思う。

2015.2.25


淹れ方知らずの茶葉談義

2015-01-21 | 余白の創作ことわざ

しばらくぶりに「余白の創作ことわざ」です。

淹れ方知らずの茶葉談義  いれかたしらずの ちゃばだんぎ


<意味>
お茶の旨さを上手に引き出す ‘淹れ方の基本’ も知らずに、茶葉の良し悪しを論ずること。肝心なところが抜けているのに、いっぱしの議論を展開することの愚かさを皮肉った言葉。

<さらに一言>
焙じ茶は熱湯で淹れてこそ香ばしさが立ち、美味しく飲めるが、茶葉によっては少しさまして、熱すぎないお湯で淹れるほうが、旨みとコクをより深く引き出すことができる。

煎茶や高級なお茶の代名詞玉露も、きゅうすに入れた茶葉に熱湯を直に注いでしまっては、味も香りも台無しである。淹れ方の基本も知らずに茶葉の特徴や品質を論じても意味がない。

<もう一言>
コーヒーも同じ。焙りタテ、挽きタテ、淹れタテの ‘三タテ’ のほかに、お茶と同様、熱すぎないお湯で淹れるほうが、豆の旨さをよりよく引き出せるといわれる。たしかに、たとえ挽きたての豆でも熱湯を注いでしまっては、産地や銘柄による味の違いも分かりにくくなる。
それでいて「タンザニアは酸味と苦味のバランスが絶妙なんだよ」などと、知ったかぶりをするのは、 ‘淹れ方知らずの豆談義’

七味唐辛子の場合は「保存方法」が基本である。わたしなど、「開封後は要冷蔵。早めに召し上がって」というビンの表示に気づかず、三年前に善光寺の参道で買った「八幡屋礒五郎の七味唐がらし」を、開封後もそのまま三年間、食器棚に置いておいた。
これで「七味はやっぱり八幡屋礒五郎だネ」などと言っても説得力がない。‘保存法知らずの七味談義’。

 
           

 

<さらにもう一言>
昨今かまびすしい改憲論議にも、これと似たような ‘基本抜け’ がある。

例えば「人権」。日本国憲法の

「すべて国民は、個人として尊重される」(第十三条)

を、「全て国民は、人として尊重される」という文言に変えたいとする人々がいる。<平成24年4月 自由民主党発表の「日本国憲法改正草案」>

「個人」が「人」に変えられている。
日本国憲法は、この第十三条で、抽象的な「人」ではなく、具体的に「個々人、一人一人の人権」を尊重しなさい、と為政者に命じているのであるが・・。

さらにこの「自民党の改正草案」では、現憲法で<基本的人権の本質>を謳った条文、

「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」(日本国憲法 第九十七条)

を全文、そっくりそのまま削除しようという ‘人権外し’ の念の入れようである。


この「基本的人権」のほかにも、日本国憲法(現憲法)には「主権在民」「平和主義」「立憲主義」など、いわば歴史の試練に堪えてきた人類の英知が詰まっている。
これを知ることなしに、いや知ろうともせず、ひょっとして理解できずに、軽々に改憲論議を展開してはならないと思う。

‘現憲法知らずの改憲論議’ となっては、せっかく現憲法に盛り込まれた「人類の英知」を台無しにしてしまうことにもなりかねない。

2015.1.21 

http://blog.goo.ne.jp/kyusan2/e/21b72b91d0df08343f6f895e61eb80de


ソラマチは人でいっぱいでした

2014-04-13 | 余白の創作ことわざ

昨日(12日)は、足立区のほうに用があったついでに、東京スカイツリーに行ってきました。

展望台に登ったわけではありません。
ソラマチ・イーストヤード9階の、郵政博物館に行きたかったからです。


東武線「とうきょうスカイツリー駅」に降りたのは初めてです。

駅の外に出て見上げたスカイツリーは、近すぎて全体がカメラに入り切りませんでした。(上)

ここで突然ながら、‘余白の創作ことわざ・番外編’です。
 

 高塔は下から見えず  こうとうは もとから みえず

 

 

 

<意味>
高い塔は、真下にいてはその全体像が見えない。どんなに立派なものも、間近にあるとその素晴らしさが分かりにくいものだ。また何事も、対象に近寄りすぎると、それを客観視することがむずかしい。

<ここで一言>
これは、「灯台下(もと)暗し」のもじりです。ほんとうは「高塔下見えず」と語呂を合わせたかったのですが、そうすると‘高い塔の上からは、塔の足元が見えない’という意味にもとれてしまうので(「灯台下暗し」に近い意味になる)、上のようにしました。

<さらに一言>
‘どんなに立派な人も、身近な人に正しく評価されるとはかぎらない’ということですね。
家内によく言っておこう。

 

さて、話題を元ににもどすと、郵政博物館に行ったのは、今やっている「蕗谷虹児展」で、蕗谷虹児(ふきやこうじ)の絵の絵はがきを手に入れたかったからです。
(「蕗谷虹児展」は5月25日(日)まで) 

幸い売店は展覧会場の入口前にあり、中に入らずに済みました(時間もなかったし、蕗谷虹児展はこれまでに何度も見ているのです)
http://www.postalmuseum.jp/event/2014/01/fukiyakoji.html

絵はがきは10枚ほど買ってきました。


 

 

 



 

郵政博物館のあとは品川まで行きました。高校の同期会があったからです。 
 

JR品川駅。

周囲に高いビルが増えたのに、駅舎(高輪口)は以前のままなのですね。
いずれ高層化されるのでしょうか。


帰って歩数計を見ると、16,000歩ほど。
疲れましたが、盛り沢山な充実した一日でした。


誰しも 見たいものしか 見ていない

2014-02-11 | 余白の創作ことわざ

「余白の創作ことわざ」です。

誰しも 見たいものしか 見ていない   だれしも みたいものしか みていない
 

<意味>
人は自分の興味、関心のあるものしか見ていないものだ。自分では物事を広く見聞きし、なんでも分かっているように思っても、実際は周囲のごく限られた範囲のものしか見ていないことが多い。何事にも謙虚に、意識して他者の意見や見方に耳を傾けることが大切である。

<ここで一言>
わたし自身の体験でいうと、昔、といっても社会人になってからですが、英語を勉強し直そうと思った時のこと、電車に乗ってもやたらに英会話スクールの壁面広告、車内吊り広告が目に飛び込んできたものです。
家を買おうと思う人なら、きっとマンションや住宅販売の広告がすぐ目に入ってくることでしょう。

またある日、通勤途上、駅から会社への毎日歩いている商店街の一軒が、建て替えのためこわされ、きれいに片づけられていたことがありました。ここにはこれまで何の店があったっけ、といくら考えても、まったく思い出せませんでした。
普段それだけ意識して見ていなかったからでしょう。

<さらに一言>
といって、普段から怠りなく周囲に目配りしておきなさい、ということではありません。関心のないものが目に入ってこないのは、誰しものことでしょう。
大切なのは、広い社会には自分の知らないこと、考えの及ばないことが必ずあるということを自覚することだと思います。これはわたし自身の自戒です。

<もう一言>
わたしの英語の勉強がその後どうなったかというと、とくに英会話スクールには行かず、NHKのラジオ講座、テレビ講座をよく聞いたものです。大きな成果が上がったとは言い難いのですが・・・。

 

*上の写真は都電荒川線(大塚駅前)。本記事とは関係ありません。


市場と酒場は近場にかぎる

2013-12-15 | 余白の創作ことわざ

久々に「余白の創作ことわざ」です。

市場と酒場は近場にかぎる    いちばと さかばは ちかばにかぎる

<意味>
市場(いちば)と酒場は近場がよい。日々使う生鮮食料品や日用品は家の近くの店で買うのが便利であり、居酒屋も家から遠くないところのほうが帰りが楽でよい。

<さらに一言>
安くて新鮮な魚や野菜を売っている店が自宅の近くにある人は、幸運な人です。生活必需品を毎日、電車やバスを使って買いに行かねばならないとしたら、これは大変なことです。
今、お店が遠い、高齢で買い物に行けない、などの理由で、「買い物難民」、「買い物弱者」になる人たちが増えているともいわれています。

そこにいくと酒場は、近くにないからといってさほど深刻な問題ではないかもしれませんが、わたしのような‘飲み助’にとっては、決して小さい問題とはいえません。 飲んでから電車やバスで、時間をかけて帰るのは大変なのです。
近場に、しかも歩いていけるところに、安くて気の利いたお店を持っている人は、幸福な人です。
乗り越しの心配もないし・・・。(汗)

<もう一言>
ほかに、家の近くにあったほうがいいものは、思いつくかぎりであげてみると、一つは銭湯で、もう一つは花見の場所ですね。
銭湯が遠ければ湯冷めしてしまうし、花見で楽しく飲んだあと、また遠くまで帰るのは興ざめなものです。
 

*上の写真は板橋区大山の居酒屋「鏑屋(かぶらや)」。本記事とは直接関係ありません。


ボンヤリ好き

2012-01-06 | 余白の創作ことわざ


昨日5日、今年の仕事始めのお昼は、ここ 「古瀬戸珈琲店」 で香り高いコーヒーとホットサンドをいただきました。

昼前、たまたまほかに客もなく、独り、店に流れていたバッハのチェロ独奏曲を聴いていると、心がどんどん澄んできます。

‘皆といっしょに賑やかに’ もいいけど、 ‘一人静かにボンヤリと’ もいいものです。










 
 思考は口を閉じたあとに始まる (余白の創作ことわざ番外編)


  ・・・・・今年は少し口数を減らそう。


謝意は急げ

2011-11-27 | 余白の創作ことわざ

(写真は朝の出勤風景。 本記事とは関係ありません)

「余白の創作ことわざ」です。

謝意は急げ、立腹は置け     しゃいはいそげ、りっぷくはおけ

<意味>
感謝の気持ちと謝罪の気持ちは、時を置かず相手に伝えたほうがよく、怒りの気持ちはすぐには表さず、冷静になってから状況に対応するのがよい。

<さらに一言>
「善は急げ悪は延べよ」 (善いことはためらわず実行し、悪は延ばせるだけあとに延ばせ『ことわざ大辞典』小学館>のもじり。

礼状は (お礼のメールも)、日を置いてしまうと、書きにくくなるものです。
またお詫びも、タイミングを逸すると話がこじれて、修復できなくなってしまうことが多い。

一方、腹が立った時に腹立ちまぎれにものを言ってしまうと、相手は、たとえ自分が悪いと思っても素直に聞くことができない。
逆に反感をつのらせてしまう。

一呼吸置いてものを言うのも大切ですが、解決を急がないものであれば、その場はそのまま置いといて、後日対処するのが良い。
日が経つうちに、正しいと思っていた自分がほんとうは誤っていたことに気づくこともあるし、周囲の状況が変わることだってあるものです。

また、反論なり抗弁が必要であれば、時を改め、落ち着いて、できるだけ理詰めに、毅然として行ないたいものです。

ところが、実は、わたしにはこれが難しい。
腹立ちまぎれにものを言って、これまで何度失敗してきたことか・・・。

<もう一言>
「怒りは溜めておけ」
と、高校時代に国語のY先生が、授業の雑談の中で言っていたのを思い出します。

(怒りを溜めたら、どこかで爆発するよ)
と思ったものですが、そうでもないらしい。「 お金と怒りは溜(貯)まりにくい」 もののようです。


一つ先の青信号

2011-07-31 | 余白の創作ことわざ

久々に 「余白の創作ことわざ」 です。

一つ先の青信号 [に走るな]   ひとつさきのあおしんごう [にはしるな]

<意味>
点滅を始めた青信号や、3~40メートルも離れた先の青信号に間に合おうと、焦って走ることはない。 次を待てばよい。 何ごとにも自分の歩みに合ったタイミングというものがある。

<さらに一言>
「駆け込み乗車はおやめください。 ドアはもう閉まっています!」
というアナウンスを、地下鉄などの朝のホームでよく耳にします。
電車を見ると、ドアはまだ開いているのに・・・。

「なに、ドア、まだ閉まってないじゃん」
と思うのは考えが浅い。 目の前の電車はすでに乗っている人たちのもので、 ‘駆け込み’ をしたい人たちには 「閉まっている」 ものなのです。
それを無理やり跳び乗ろうとするから、電車の遅れが増幅していくのですね。

黄色に変わりかけた青信号も遠くの青信号も、これと同じことなのでしょう。 まだ青くてもそれは自分の渡るものではなく、前に歩いている人たちのものなのです。

人生もこれと似ていないでしょうか。 同期のアイツが先に昇進した、後輩のサキちゃん(仮)が先に結婚した・・・。
顔で笑って心で泣いて。 「おめでとう」 と言いながらも心は穏やかでない。

でも、これも考えようです。 たとえ 「遅れ」 をとったとしても、必要以上に落胆したり焦燥感にさいなまれることはない。 自分には自分に与えられたタイミングがあると割り切ることも大切なようです。

人間万事塞翁が馬。 待てば海路の日和あり。 一歩一歩地に足をつけて、焦らずに自分の人生を歩んでいきたいものです。

<もう一言>
最近とても面白い本を読みました。 『英米のことわざに学ぶ 人生の知恵とユーモア ― 日英のことばと文化』 (奥津文夫・著/三修社・刊) です。
英米のことわざを多数引きながら、軽妙かつ滋味あふれる文章で人生の真実に迫っています。

この本の中から、今回の ‘創作ことわざ’ の意に近い英語のことわざを二つほどご紹介します。

Every cloud has a silver lining. どの雲にも銀の裏地がついている。(人間万事塞翁が馬)
It is a long lane that has no turning. 曲がり角のない道は長い道である。(待てば海路の日和あり)
                                     
(日本語訳は奥津文夫氏)
http://www.sanshusha.co.jp/np/details.do?goods_id=3708


結果化粧

2010-12-01 | 余白の創作ことわざ

(写真はソウルの江南にある奉恩寺<2009年12月撮影>。 本記事とは関係ありません)

「余白の創作ことわざ」 の第12回です。

結果化粧  けっかけしょう

<意味>
化粧はその過程を他人に見せるものではなく、家ですませ、結果を見てもらうものだ。 人生には人目をはばからねばならないものがある。

<さらに一言>
人の美しさは、外面よりも内からにじみ出る慎みと恥じらいの中に表れるものではないでしょうか。
電車の中で、周りの目を気にせず化粧にいそしむ人の姿には、美しさは微塵も感じられません。

社会生活においては、何ごとであれ、自分の都合だけでなく他人の目も意識し、少なくとも社会人として恥ずかしくない程度の気は使いたいものです。
みずからを律し、抑制する中にこそ、真の美しさも品位も生まれてくるように思います。

<もう一言>
「文章には含羞が感じられなければならない」
これは児童文学作家川村たかし氏の言葉ですが、 「ものを書く」 ということも同じなのでしょう。

何でも書けばいい、すべてを晒せばいいというものではなく、素材を選び、推敲を重ね、余分なものをそぎ落とす過程を経て初めて、奥行きのある  “結果文章” が生まれるのだと思います。
これは実は、わたし自身の課題です。



*お断り
この 「余白の創作ことわざ」 は、毎月月初めに掲載してまいりましたが、12回(一年)の今回を区切りに、今後は不定期での掲載に変えさせていただきます。
これまでコメントやご声援をお寄せくださった皆さまに、この機会に篤く御礼を申し上げますとともに、今後ともよろしくお願い申し上げます。


酒は舐めて飲め

2010-10-31 | 余白の創作ことわざ

(写真は神楽坂 「伊勢藤」 にて。 本記事とは直接関係ありません)

「余白の創作ことわざ」 の第11回です。

酒は舐めて飲め
  さけは なめて のめ

<意味>
酒は舐めるように、ゆっくり飲むのがよい。 そのほうが酒をよりよく味わうことができ、飲み過ぎを防ぐこともできる。

<さらに一言>
「焼酎は噛うで(噛んで) 飲め」 ということわざが種子島にあるそうです。 (古市春彦編 「種子島のターキ<ことわざ>」 による)
噛むようにして味わって飲め、ということでしょう。

また、わたしの敬愛する大先輩に、吟味した日本酒を、ススッと啜(すす) るように口にする方がいらっしゃいます。
美酒はそのほうがたしかに香りが立ち、より深く味わうことができるのです。

酒は、とくに日本酒は、啜って、舐めて、噛んで・・・、ゆっくり味わいながらいただくのがいいようです。

<もう一言>
ところが、わたしには、これがとてもむずかしい。 ついハイピッチで飲んでしまいます。
これは、本当は、わたし自身が 「自戒のことば」 としなければならない ‘ことわざ’ なのです。