長野から妙高高原に入り、新潟方面に行ってきました。
上の写真は、妙高高原池ノ平温泉郷近くの、いもり池から見た妙高山です。
コニーデ型の複式火山で、中央火口丘(標高2454メートル)の左右に見えるのは外輪山です。
全体になだらかな裾野を広げていることから、‘越後富士’ の別名を持っています。
妙高山は古くから信仰の山でした。その名は仏教でいう須弥山(しゅみせん) から来ているといいます。
須弥山とは “世界の中心にそびえ立つ山” のことで、サンスクリット語の発音を漢字にしたもの。 意味を漢字で表すと、「高く妙(たえ)なる山=妙高山」 となるのだそうです。
いもり池では、いもりを見ることはできませんでしたが、白い睡蓮の花がたくさん咲いていました。
こちらは、良寛の生誕地、新潟県の出雲崎町にある良寛堂です。
日本海の上に浮かんだように見える、いわば海の浮御堂です。
この日は西に雲が多く、見ることができませんでしたが、大気の澄んだ日には背景に佐渡ヶ島が見えます。
近くにある良寛記念館にも寄ってきました。
ちょうど企画展 「良寛の歌心・詩心」 をやっていて、良寛のたくさんの墨筆や、良寛を描いた画家の絵などが展示されていました。
わたしは安田靫彦の 「良寛と貞心尼 初対面の図」 の掛軸に、いたく心惹かれました。
良寛と貞心尼が、いろりと行灯をはさみ、向かい合ってすわっている絵です。
淡彩のシンプルな絵を、貞心尼のまとった黒い衣が引き締め、その黒さが貞心尼の横顔の白さを強調しています。
向かい合った良寛は、きっと貞心尼をかわいいと思って見ているに違いない、と思わせてくれる絵でした。
新潟県燕市にある五合庵。
国上山(くがみやま、標高313メートル) の中腹にある国上寺(こくじょうじ) の脇にあります。
良寛はこの小庵で晩年の二十年ほどを一人で過ごし、多くの漢詩や歌を生み出したといいます。
花無心招蝶
蝶無心尋花
これは、小賢しい策を弄せず、帝の則(自然の道)に従いなさい、という良寛の詩の一部です。
<ご参考まで>
↓ このサイトで 「良寛と貞心尼 初対面の図」 を見ることができます。
http://www.ryokan-kinenkan.jp/collection/picture.html