一週間ほど前、2階の南西角の部屋に簾(すだれ)を掛けた。
南側の窓に一つ、西側の窓に一つ。
去年秋、家の外壁塗装をした際、古い簾を捨てて、そのままになっていたのだ。
この部屋の北側のすみっこに、わたしのささやかな書斎コーナーがある。
「ここが世界の中心です」
と紙に書いてあるのは建築家で社会事業家、ウイリアム・メレル・ヴォーリズ (1880-1964) の言葉。
わたしは昔この言葉を知って、 ‘自分の生きている今と、住んでいるこの場所をいちばん大切に’ という考え方であろうと理解し、ずっと大事にしてきた。
この書斎はまさに、わたしにとっての「世界の中心」なのだ。
ただ、この世界の中心は南西の角、盛夏には昼から夕方まで暑さが引かなない。
簾がどんなに有用なことか。
簾の効用は夏だけではない。春も秋も窓を開け網戸だけにしておけば、涼しい風を通してくれるし、外からの視線も遮ってくれる。
この春先から、簾を 「早く掛けよう早く掛けよう」 と思いつつ、時日を経、蒸し暑い梅雨に入ってしまった。
先日ようやく梅雨が明けて、そのタイミングで重い腰を上げたという次第。
この簾を窓枠に吊り下げるにあたっては、わたしが一つ工夫した点がある。
それは簾の下部を、窓の手すり(柵)にかたく結びつけてしまわないことだった。ヒモの長さにゆとりをもたせた。
風が吹いたとき、簾のすそがゆらゆらと揺れる幅をもたせるためだ。
簾の揺らぎは見ていても心地よいものだ、と思う。
そんなことから、わが書斎に名前を付けようと思いついた。
思いついたものをいくつかあげてみる。
揺簾庵(ようれんあん)、簾風庵(れんふうあん)、涼風庵(すずかぜあん、りょうふうあん)、
揺蘆庵(ようろあん)、風芦庵(ふうろあん)、揺葦庵(よういあん)、葦簀庵(よしずあん)など。
どれもイマイチである。何よりも、わたしの書斎ならではの意味付けがなされていない。
そんなことを考えているうちに、先日簾を吊るしているときに、簾にアブラゼミが留まったのを思い出した。
アブラゼミ(油蝉)をヒグラシ(蜩)に替え、
蜩庵(ひぐらしあん)
とするのはどうであろうか。
わたしは一日のほとんどをここで過ごす。「日暮らし」「朝から晩まで」「ひねもす(終日)」「日がな一日」ここにいるといってもいい。退屈もしない。(昼寝はするが)
蜩庵、わたしにピッタリではないか。・・などと今考えている。