興趣つきぬ日々

僅椒亭余白 (きんしょうてい よはく) の美酒・美味探訪 & 世相観察

熱海のパワースポット

2015-11-30 | 散歩、時々旅

先週末、熱海に一泊で行ってきました。

さる会の研修会、懇親会出席のためです。

上の写真は来宮(きのみや)神社。
熱海郷の地元の神で来福・縁起の神、来宮大明神を祀っています。

主に縁結び、商売繁盛、酒断ちに、ご利益があるそうです。
わたしもほんとうは、ここでお祓いをしてもらうといいのでしょう。 酒断ちの・・・。

 

 

 

   

来宮神社で有名なのは、樹齢二千年を超えるという 「大楠」 です。

「日本最樹齢の樟」、「本州一位の巨樹」 という説明表示がありました。

来宮神社が 「日本屈指のパワースポット」 といわれる所以が、この大楠の持つ神秘的な美しさと力強さにありそうです。

 

 

 

  

周囲が23・9メートル。

この木を一周すると寿命が一年のびると聞いていましたが、それを忘れて一周せずに帰ってきてしまいました。 残念。

でもきっと、この巨樹のパワーはいただくことができたことでしょう。

 

 


 

来宮神社わきのこの辺り、熱海市西山町は、冬は暖かく夏涼しく、昔から別荘や会社の保養所の多かったところとのことです。

佐々木信綱や谷崎潤一郎など、文士の旧居もありました。

上の写真の右手の道を上っていった先にある小さな温泉旅館で、われわれの会合はありました。


ハンドルネームを変えました

2015-11-23 | このサイトについて

ブログ用の、わたしのハンドルネームを少しいじりました。

「余白」 から 「僅椒亭余白(きんしょうてい よはく)」 にしたいと思います。

この名前に込めた意味は、本ブログトップページの自己紹介欄にもすでに書きましたが、

「人生には僅かなスパイス (胡椒) と心の余裕が要る」

ということです。
人生、何の刺激も、何の変化もなければ、きっと 「興趣」 も 「尽きてしまう」 ことでしょう。

なぜ変えようと思ったかというと、余白は人名らしくない上に、インパクトが弱いからです。
余白とは、文字のない空きスペース、絵でいえば色のついてない白場(しろば)のことをいう一般名詞です。
個性が感じられません。

ハンドルネームとして 「余白」 を使い始めて10年近く経つのに、わたしのブログを読んでいると言ってくれる友人たちの中にさえ、この名前がなかなか浸透していってない感じがします。
中には10年以上前まで使っていた古いハンドルネームで、わたしのことを呼ぶ人もいます。

それともう一つ、わたしは 「○○庵○○」、「○○亭○○」 というような ‘筆名’ が以前からほしかったのです。それがようやく今回かないました。

「僅椒亭余白? なんか落語家の名前みたいだね」
と、先日、日頃親しくしている友人に言われてしまいました。ハンドルネームを変えることを話してみたのです。

まあ、その通りではありますが、二葉亭四迷という作家もいたことですし、これでよしとしましょう。
大作家とわたしを同列には論じられませんが・・・。

しかし実際問題として、僅椒亭余白に変えたといっても、わたし自身、これからも 「余白」 とだけ名乗ることが多いような気もします。変わらず余白と呼んでいただいてかまいません。

ともあれ今後とも、拙ブログをよろしくお願い申し上げます。


http://blog.goo.ne.jp/kyusan2/e/e1d4827200e19f965ab648c829959598

*上の写真はわが家の庭に咲いたプレイボーイというバラです。


キャッツの 「メモリー」・曲の力

2015-11-15 | 随感・偶感・歳時感

先日、散歩の途中、家の近くの喫茶店に入りボンヤリしていると、美しいバックグラウンドミュージックが流れてきた。
ミュージカル 「キャッツ」 の中で歌われた 「メモリー」 である。

‘初めて会ったその日から、恋の花咲く’ 人もいるようだが、わたしは初めて聴いたその時から、この曲が好きになった。
十年の余も前のこと。 テレビでソプラノ歌手が歌っていたのだ。

(キャッツの中の曲か・・・、なんてきれいなメロディなんだろう)
一目惚れならぬ、‘一耳惚れ’ であった。
https://www.youtube.com/watch?v=8UNumhhRM58

その後わたしは、キャッツの舞台を実際に観たくて、かつて五反田にあったキャッツ・シアターの劇団四季の公演に行った。

冒頭、舞台を中心に放射状に伸びた客席通路を、後方から舞台に向かって、何か声を発しながら小走りに走り抜ける猫たち(猫の衣装とメイクの演者たち)に驚き、舞台での彼らのキビキビとした踊りと歌、演技に圧倒され続け、やがて流れてきたこのメモリー。
それを聞いてわたしは、思わず目頭が熱くなった。

正直なところ、その時、このミュージカルの筋や主張はよく理解できなかったが、この歌の美しさは、素直にわたしの胸にしみたのである。

美しい曲は言葉を超え、それだけで人を感動させる力があるのだと思う。

わたしにとって ‘一耳惚れ’ の経験は、このメモリーだけではない。
サラサーテのツィゴウネルワイゼン、ドビュッシーの小組曲、ラベルの亡き王女のためのパヴァーヌなど、ちょっと考えただけでもいくつか思い浮かぶ。

でも、それらの一耳惚れ群の中には、このメモリーのようにたまたま聞く機会がなければ、死ぬまで忘却の淵に沈んだままになる曲もあるのではないかとも思う。

そう考えると少しさみしい気もするが、それも出会いと別れの一つの形なのであろう。 人との出会いと別れ、好意を寄せた人との出会いと別れのように・・・。

2015.11.15


もつ煮込みと糖質制限ダイエット

2015-11-13 | ダイエット

大衆酒場の定番メニュー、 「もつ煮込み」 は、糖質制限ダイエットになるそうだ。
ネットか本か、どこかで読んだことがある。

それは、たしかにそうかもしれない。

もつ(牛か豚の内臓肉)のほかは、一般的には野菜が多く入っている。
大根、人参、牛蒡などをこまかく刻んだものに、豆腐やコンニャクが入り、たっぷりの刻みネギを上に載せる。
糖質、でんぷん質はほとんどない。

しかも、もつがよく煮込まれていて、余分な脂質が抜けているので、まさにダイエット向きである。

これに刺身でも少しとって、酒も1~2本に抑えれば、 「飲んで太る」 ことはない。
それを、もつ煮込みのほかに、タンだ、ハツだ、レバだ、何だかんだと ‘やきとん’ をしこたま食うから太るのである(自戒)


上の写真は、池袋西口 「やきとん 三福」 のもつ煮込み。

塩味ベースの薄味で、もつの旨味が味わえる。

写真ではよく分らないが、中に大きめの豆腐が入っていて、小どんぶりと言っていいような大きめの鉢で供される。
(右の徳利は二合徳利。おチョコもやけに大きい)

これで450円。

 

 

 



この三福は、大衆酒場というには値段がやや高めであるが、やきとんの切り身も大きく、損した気にはならない。
店員のお兄さんたちもイキイキしていて感じがよく、いつもお客でいっぱいなのがうなずける。

ただ、これまで2~3回行ったのだが、もつ煮込みのもつの量がその都度微妙に違い、薄味でなく濃いめの味になっていたこともある。

でも、居酒屋ではこの辺のバラつきは御愛嬌である。 また覘いてみよう。 食べ過ぎないように・・・。


奥会津、感動の出会い旅

2015-11-04 | 散歩、時々旅

先週末、奥会津に一泊で行ってきました。男ばかり五人の車旅です。

毎年秋、同じメンバーで会津各地を旅してきて、今年はなんと四回目。

今回は福島県南会津町から北へ昭和村を抜け、金山町(かねやままち)で一泊。翌日は西に只見町まで足をのばしました。

上の写真は南会津田島の「道の駅 たじま」で見た紅葉です。

東北自動車道西那須野塩原インターで降りてからここまで、今がちょうど紅葉のピーク。
美しい景観をたっぷり堪能することができました。

 

 


荒海(あらかい)農産物直売所でお昼。

香り高く美味しい新そば。その名も「会津のかおり」。

 

 

 

 

このあと田島から野尻川に沿って国道400号を北上し、昭和村、金山町へ。

昭和温泉しらかば荘と、金山町の恵比寿屋旅館の二軒で温泉に浸かりました(入浴のみ)
上の写真は恵比寿屋旅館の湯です。

 

 

 

このあと宿泊の「温泉民宿 文伍」へ。上は文伍の露天風呂。

 

 

文伍の夕膳。

テーブルには、ご主人の採ってきたなめこ、舞茸などのキノコ尽くし、金山町特産の金山赤カボチャの煮物、自家製こんにゃくの刺身、土地の鮎の塩焼きなど10品目が並び、これに松茸ご飯とお吸い物が付きました。

松茸を食べたのは何年ぶりでしょう。

ビールとそのあと酒は南会津の地酒「花泉」。酒好きな男五人、話も尽きず、その量はご想像ください。

文伍のご主人、文伍さんは、多額の借金までして、個人で温泉を掘り当てた人です。
農業の傍ら製材業なども手掛けた事業家で、大変おもしろいユニークな方でした。

人との出会いも、旅の醍醐味ですね。

 

 

 



只見川と金山町の景観です。

この辺は日本有数の豪雪地帯。文伍さんによると毎冬3~4メートルは積るとのこと。
天気も新潟県に近く、毎日の天気は新潟の予報をテレビで見るそうです。

二日目はあいにく雲が低くたれこめた日となりました。 

 

 

 

        

只見町では大塩温泉の共同浴場に入ったあと(またかい)、河井継之助記念館に寄りました。

河井継之助は幕末の越後長岡藩の家老です。
長岡藩の家老なのになぜこの福島県の只見町に記念館があるのかというと、継之助はこの地で亡くなったからです(別に長岡にも記念館があります)

1868(慶應4)年、北越戦争(戊辰の役)の折、長岡軍は長岡で西軍を相手に善戦するも、最後は圧倒的な西軍の力に敗走を余儀なくされ、継之助自身も左足に銃創を負いつつ会津に向かいます。

しかしながら継之助は足の傷が悪化し、8月16日、会津に行く途上のこの只見で、42年の生涯を閉じるのです。

新潟県の長岡で中学・高校を過ごしたわたしには、河井継之助は郷土の先人。記念館の展示と解説ボランティアの方の話をとても興味深く見、聞くことができました。

上の写真は継之助の書です。

 一忍可以支百勇 一静可以制百動   蒼龍窟
 (一忍以て百勇を支(ささ)うべく 一静以て百動を制すべし)

と脇の解説板にあります。「忍耐」と「静思」の大切さを語っているのでしょうか。
蒼龍窟とは継之助の号です。

 

 

 

二日目のお昼は国道289号沿いの八十里庵で。ここでも蕎麦をいただきました。

写真は八十里庵の庭。少し日が射してきました。銀杏の葉もだいぶ散っています。

 

 

 

JR只見線(小出~会津若松)には今、不通箇所があります。

平成23年の新潟・福島豪雨のため途中鉄橋の落下などがあり、今、只見駅~会津川口駅間が運転を取りやめています。
草が茂り、線路が錆びついているのが痛々しく見えました。地元の人の利便はもちろん、観光客集客のためにも早く復旧してほしいものです。

 

 

 



田子倉ダムで水が貯えられた田子倉湖です。

田子倉ダムは日本で最大級のダム、田子倉湖は最大級の人造湖です。

 

 

 

 

30分、遊覧船で湖内をぐるりと回りました。

 

 

 

新潟方面に抜ける途中、山の上から俯瞰した田子倉湖。雄大な景観でした。

 

 

 

 

そのまま小出(新潟県)に抜け、関越自動車道で帰ってきました。

写真は途中で見た只見線の鉄橋です。


日本の原風景が広がる奥会津。美しい自然。最高の美酒と美味。そして住む人たちの柔らかい人情。

たくさんの出会いと感動に巡り会えた旅でした。


*写真は同行のY.T.さんのご協力もいただきました。


エディブル・フラワー

2015-11-01 | 季節の移ろい

わが家の庭に、食用菊が咲きました。(写真)

「もってのほか」と呼ばれる食用菊かと思ったのですが、これを植えた家内に聞くと、

「もってのほかじゃないんじゃない? もってのほかは紫色だし」

と言います。

もってのほかとは品種が違うのかもしれません。でも、食用菊ではあるとのこと。
エディブル・フラワー(食べられる花)です。

この菊の花びらを酢の物にすると、さっぱりしてとても美味しい。

 

 

 

 

もってのほかなど、食用菊は山形県でよく作られています。

両親が山形県出身だったので、わたしは、食用菊を小さいころから食べていました。たぶん両親の実家から送られてきたのでしょう。

昔むかしのことです。

そういえばそのころ食べた菊は、黄色ではなかったような気もします。


ところで、菊が食用として今も山形でよく作られているのは、上杉鷹山の ‘倹約政策’ との関係があるのでしょうか。

江戸時代中期の米沢藩主、上杉鷹山は、藩財政の窮乏を打開するため、藩内に大倹約令を出し、藩費を徹底して抑えたほか、さまざまな農業改革と産業振興(養蚕など)を行いました。

その政策の一つが非常時に食べられる植物の栽培を奨励、普及することでした。生垣(いけがき)用の低木植物「ウコギ」(五加木)の栽培がその例です。

ウコギは春に芽生えた若葉を食べることができ、それを乾燥すれば保存もできたそうです。

もちろんそんなウコギだけで空腹を満たすことはできませんが、穀物と炊き合わせると嵩(かさ)を増やすことができたのです。


わたしは米沢の隣町、高畠にある母の実家で、10年ほど前、ウコギの葉のお浸しを食べたことがあります。
そこは今も、ウコギの生垣を大切にしているのです。

その味はというと、うろ覚えながら、美味しかったという記憶はありません。

それに比べれば、食用菊は結構美味しく食べられます。鷹山の食用植物栽培戦略の中にも、きっと食用菊があったことでしょう。


上杉鷹山は名君として、時代を超え、国を超えて知られています。

藩が窮乏の淵に沈んだとき、藩主である鷹山みずから一汁一菜の食事をし、普段着は木綿で通すなど、節約・倹約を率先して実行したそうです。
鷹山は自分のことより領民のこと、藩の将来のことを思って藩政を行ったのです。

今、日本に、そんな鷹山のような政治家がいるのでしょうか。