先週末、奥会津に一泊で行ってきました。男ばかり五人の車旅です。
毎年秋、同じメンバーで会津各地を旅してきて、今年はなんと四回目。
今回は福島県南会津町から北へ昭和村を抜け、金山町(かねやままち)で一泊。翌日は西に只見町まで足をのばしました。
上の写真は南会津田島の「道の駅 たじま」で見た紅葉です。
東北自動車道西那須野塩原インターで降りてからここまで、今がちょうど紅葉のピーク。
美しい景観をたっぷり堪能することができました。
荒海(あらかい)農産物直売所でお昼。
香り高く美味しい新そば。その名も「会津のかおり」。
このあと田島から野尻川に沿って国道400号を北上し、昭和村、金山町へ。
昭和温泉しらかば荘と、金山町の恵比寿屋旅館の二軒で温泉に浸かりました(入浴のみ)。
上の写真は恵比寿屋旅館の湯です。
このあと宿泊の「温泉民宿 文伍」へ。上は文伍の露天風呂。
文伍の夕膳。
テーブルには、ご主人の採ってきたなめこ、舞茸などのキノコ尽くし、金山町特産の金山赤カボチャの煮物、自家製こんにゃくの刺身、土地の鮎の塩焼きなど10品目が並び、これに松茸ご飯とお吸い物が付きました。
松茸を食べたのは何年ぶりでしょう。
ビールとそのあと酒は南会津の地酒「花泉」。酒好きな男五人、話も尽きず、その量はご想像ください。
文伍のご主人、文伍さんは、多額の借金までして、個人で温泉を掘り当てた人です。
農業の傍ら製材業なども手掛けた事業家で、大変おもしろいユニークな方でした。
人との出会いも、旅の醍醐味ですね。
只見川と金山町の景観です。
この辺は日本有数の豪雪地帯。文伍さんによると毎冬3~4メートルは積るとのこと。
天気も新潟県に近く、毎日の天気は新潟の予報をテレビで見るそうです。
二日目はあいにく雲が低くたれこめた日となりました。
只見町では大塩温泉の共同浴場に入ったあと(またかい)、河井継之助記念館に寄りました。
河井継之助は幕末の越後長岡藩の家老です。
長岡藩の家老なのになぜこの福島県の只見町に記念館があるのかというと、継之助はこの地で亡くなったからです(別に長岡にも記念館があります)。
1868(慶應4)年、北越戦争(戊辰の役)の折、長岡軍は長岡で西軍を相手に善戦するも、最後は圧倒的な西軍の力に敗走を余儀なくされ、継之助自身も左足に銃創を負いつつ会津に向かいます。
しかしながら継之助は足の傷が悪化し、8月16日、会津に行く途上のこの只見で、42年の生涯を閉じるのです。
新潟県の長岡で中学・高校を過ごしたわたしには、河井継之助は郷土の先人。記念館の展示と解説ボランティアの方の話をとても興味深く見、聞くことができました。
上の写真は継之助の書です。
一忍可以支百勇 一静可以制百動 蒼龍窟
(一忍以て百勇を支(ささ)うべく 一静以て百動を制すべし)
と脇の解説板にあります。「忍耐」と「静思」の大切さを語っているのでしょうか。
蒼龍窟とは継之助の号です。
二日目のお昼は国道289号沿いの八十里庵で。ここでも蕎麦をいただきました。
写真は八十里庵の庭。少し日が射してきました。銀杏の葉もだいぶ散っています。
JR只見線(小出~会津若松)には今、不通箇所があります。
平成23年の新潟・福島豪雨のため途中鉄橋の落下などがあり、今、只見駅~会津川口駅間が運転を取りやめています。
草が茂り、線路が錆びついているのが痛々しく見えました。地元の人の利便はもちろん、観光客集客のためにも早く復旧してほしいものです。
田子倉ダムで水が貯えられた田子倉湖です。
田子倉ダムは日本で最大級のダム、田子倉湖は最大級の人造湖です。
30分、遊覧船で湖内をぐるりと回りました。
新潟方面に抜ける途中、山の上から俯瞰した田子倉湖。雄大な景観でした。
そのまま小出(新潟県)に抜け、関越自動車道で帰ってきました。
写真は途中で見た只見線の鉄橋です。
日本の原風景が広がる奥会津。美しい自然。最高の美酒と美味。そして住む人たちの柔らかい人情。
たくさんの出会いと感動に巡り会えた旅でした。
*写真は同行のY.T.さんのご協力もいただきました。