冒頭のセリフが英語なので誰かと思うとエミリア・ローズベルト大統領夫人が戦後のソ連を訪問したところから始まり、1943年にアメリカがナチスドイツと本格的に戦うよう促すソ連の訪問団の一人として渡米したリュドミラの回想へ、さらにリュドミラが狙撃手として訓練を受け活動するようになる経緯を描く。
本来エミリアはリュドミラの来歴をさほど知らないはずで、構成的にはあまり整っていない。
ただ大戦中の米ソにこういう交流があったのかという興味は湧く。ソ連にばかりファシストと戦わせずアメリカも戦え、という演説をリュドミラがするのがクライマックスに置かれているのは戦後のアメリカを思うと違和感もあるが、このあたりはロシア映画ならではの視点だろう。
戦闘シーンは明らかに「プライベート・ライアン」の影響を受けていて、狙撃手といっても静かに敵陣に近寄って重要な標的だけ狙うといった余裕はなく、戦車に向かって連射して防弾ガラスを割って仕留めるなど大がかりな乱戦の中での戦いも目立つ。
また、戦闘機からの機銃掃射には手も足も出ず小さくなっているだけ、といった描写は珍しい。
女性主人公ならではの差別も逆に妙に庇護されたり利用されるところもあるのは、今に通じる。ソ連が女性兵をかなり登用しているのはそれだけ余裕もなかったのだろうがそれが外からは進んでいるように見えてしまったりしたのだろう。
クリスマスを祝っているドイツ兵たちに忍び寄り、クリスマス・ソングが流れる中、ひとりづつ素早く射止めるシーンなど典型的な音楽の対位法的な扱い。黒澤明が「酔いどれ天使」でカッコー・ワルツを対位法的に使った発想の原点の一つがソ連映画「狙撃手」だったというのも偶然ながら面白いところ。
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映画『ロシアン・スナイパー』 - シネマトゥデイ