これは記録の掘り起こしというより、映画監督が監督に話を聞き出した本に、さらにその本から影響を受けた監督たちの話を聞くといった具合に作り手の連鎖とキャッチボールを描くことに主眼を置いているのだろう。
ヒッチコックとトリュフォーだけでなく同時通訳(しゃべっている最中からもう訳して話している)のヘレン・トーマスとカメラマンの存在が介在してくるのは当然とはいえ二人だけで作ったわけではないのがわかる。
実をいうといわゆる「作家主義」がどうもひっかかるのは、監督だけが映画の作家だという思い込みが流布し過ぎて、それを支えるスタッフの協力が無視されがちだということ。
完成した本からこぼれた部分も多いのがわかる。トリュフォーがヒッチコックに「あなたはカソリック信徒ですか」と最初に聞いた時は「ここは記録しないでおこう」と言っていたのが、二度目に聞かれると肯定している。
犯罪だけでなく罪に対する意識というのが重要なモチーフであることは確か。
このあたり、やはりカソリック作家であるスコセッシが食いついている。
ヒッチコックが想定している映画館の観客というのは2000人入る劇場の観客だというから、昔の大劇場だなあ、シネコンではないなと思わせる。
役者に対してどう接するかというのも揺れているところがある。古典的なハリウッドスターが何よりもまずタイプとして存在しているのを映画的なカット割りと再構成で監督の表現のための素材としていたのと、役者そのものが表現者として強く出てくるアクターズ・スタジオ式の行き方とでは水と油なのだが、時代とすると後者の方に傾いているわけで、無視はできなくなる。「引き裂かれたカーテン」でポール・ニューマンを使って、無色透明なまなざしができない、というかやろうとしないものでやりにくくって仕方なかったとヒッチコックは述懐している。
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