違うのは娘がダウン症ではなくふつうの子であることと、それほど激しいホモフォビアや理不尽な行政の介入を受けないことで、要するにこれまでの荻上直子監督作同様にドラマとしても演出タッチも激しい波風を立たないように仕立ててある。
そうなると生活描写の細かいところに目がいくことになるわけだが、困ったことにそこでいちいち何か小骨がひっかかるのだな。
具体的に言うと、冒頭で干してある洗濯物がしわしわでなくきれいで、おそらく叩いてから干してある、つまり手をかけているから割ときちんと家事をしている家なのかと思うと、もっぱら娘にコンビニのおにぎりを食べさせている、つまり食事に手を抜いているという描写になり、それだったらカップラーメンやスナックやお菓子類を食べさせるのではないかと思うし、洗濯には手を抜いていないのと矛盾する。
さらに新しい家でちゃんとした食事を食べさせてもらって感激するのだが、そのメニューが鳥の唐揚げで、いきなりどんときれいに揚げた唐揚げが大皿に盛ってあるという描写になるのだが、ちゃんと作っていたらその間音も匂いもするわけで、そばにいた娘が気づかないわけがないのだ。感激するのだったら、その段階にならないのか。
さらにタコさんウィンナーが入ったお弁当をもったいなくて食べるのが遅くなったからお腹を壊すというとになるけれど、そこまでウィンナーって足が速いものかと思うし、預かっている子供がお腹壊したらもう少し慌てると思う。まして生田斗真は介護の仕事をしているという設定だ。
さらに生田は見たところ女装した男にしか見えないわけで、あれで老人ホームで反発する入居者は出てこないのだろうか。小池栄子の同級生の母親は一目で気持ち悪がって、息子にあんな人たちと付き合ってはいけませんと言い出すわけで、とするとより年配の人が常識的にいってもっと違和感を覚えるものではなかろうか。
映画のウソとして割り切ろうとするには描写の約束事のラインがどうもぐらぐらしていて、落ち着かない。
LGBTをごく普通の存在として描いているには違いないのだけれど、その普通自体が実在する普通にあまり見えないのだな。
なんだか文句ばっかり並べたが、役者はみな良いし、全体に見せ方が落ち着いているだけでなく芝居場でメリハリがつくようになった。特に去年の「怒り」にせよ良い男が同性カップルを演じるリスクをとるようになったのは進歩だと思う。
(☆☆☆)
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