prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「パイレーツ・ロック 」

2009年11月02日 | 映画
ほとんど男ばかりのメンバーで唯一の女はレズ、というのが可笑しい。
男と女の話は船の中と外との間に限られて、船の中ではセックスぬき、というのが一般のロックの世界のイメージとは少し違い、ユートピアがかって見える。一種のネバーランドというか。いきがった反体制ではなく、もっと自由奔放な明るさが魅力。

使われている曲の選択はずいぶん幅広くて、プロコル・ハイムの「青い影」や、エンニオ・モリコーネの「夕陽のガンマン」までカバーしている。
ロックの時代に対する団塊的なノスタルジアは薄い。

原題はThe Boat That Rockedなのだけれど、邦題でパイレーツという言葉を入れた分、不羈奔放なニュアンスがうまく出た。

体制側の代表をやっているのがケネス・ブラナーというのがちょっと皮肉。
(☆☆☆★★)


本ホームページ


パイレーツ・ロック - goo 映画

「ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~」

2009年11月01日 | 映画
オープニングの卒塔婆の後生車を回してみて逆回転すると地獄に落ちるという言われた子供が何度試みても逆回転してしまう、というシーンは太宰の初期の短編「思い出」からのものだが、同時に脚本の田中陽造の「地獄」('79)にもこの後生車を使ったシーンがあったのを思い出した。よっぽど昔から太宰に思い入れがあったらしい。

同じ小説家のいくつかの作品を巧みに組み合わせて一つにまとめるというのも、内田百の「サラサーテの盤」「山高帽子」「冥土」をまとめた「ツィゴイネルワイゼン」の先例がある。いずれにせよ、よほど小説家の全体像に通暁していないとできない技だろう。

佐藤正午の「小説の読み書き」という本に、無頼派の作家であるためには家庭を持たなくてはならない、というくだりがある。無頼であるからには家庭を省みない男でなくてはならず、家庭を省みないためには家庭がなくてはならないから、というわけ。妙にナルホドと思った覚えがある。

まさにどういうわけか家庭を持っている無頼派の作家はとうぜん太宰その人と思わせ、どこからどう見てもどうしようもない男であることは確かだけれど、その「いわく言いがたい魅力」やら「別れない業」を理屈づけるナルシズムときっぱり手を切っているのがいい。
生き恥をさらしても生き続けるところが違うようで、こういう具合に一種喜劇的に生き延びるのも作家としてのもう一つのありえた「生き方」だったのではないかと思わせる。これは太宰の作品の映画化というより作家太宰の映画化という感じ。太宰で作者と作品を切り離すのは不可能だろうし。
もちろん実際は自殺しているのだから無理な話ではあるのだが、もうひとつありえた作者像の提出も、後発の作者の創作の特権でもあるだろう。

テレビで見たメイキングで知ったことだが、松たか子が口紅を塗るワンカット、実は唇にピンポイントでライトを当てているそうだけれど、見ていてもそれとはわからない。なんでもないようなところにすごい手がかかっている感じの楷書体の造り。
(☆☆☆★★★)


本ホームページ


ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~ - goo 映画