マドンナのナイショ話

あなたに話したいあれこれ

蝉時雨の中で

2005年08月01日 | 私の想い
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猫ひたほどの庭のケヤキに今日もたくさんの蝉。
蝉はとても早起きだ。
明るくなるのを待ち構えていたように鳴き始める。
蝉より早く起きた時は、雨戸を開けながら
「今日は蝉さんより早いわよ」と言うや否や
蝉は鳴き始める。

エアコン入れる前に少し淀んだ空気を入れ替えようと
窓を開けるとすごい鳴き声。
これは何ホーンの騒音として測定できるかしら?
そんなことを思いながら元気のいい蝉に元気をもらう瞬間。

先日、あさがお展を観に行った時、公園内を散策した。
そしてたくさんの蝉の抜け殻を見つけた。
面白いところで脱皮しているものもあった。

蝉は産卵から7年目にようやく成虫になるといわれる。
7年の歳月を暗い土の中で幼虫として過ごし
生まれゆく夏の日をじっと待つ。
そしてやっとその夏が訪れるとわずか一週間で命を閉じる。
その自然の摂理が儚なくて切ない。
だから生きている間、あんなにも自己主張しながら鳴いているのか。
蝉時雨を聞きながらいつもそんなことを思ってしまう。

蝉の鳴き声がどんなに騒音でも、私は決して嫌いではない。
短い命を全うするために、今日も一生懸命生きていると思っている。

人は生を受けて胎内に10ヶ月いてこの世に生まれてくる。
そして順調にいけば、80年・90年と生きる。
蝉に比べるとなんて幸せな人生なのかと思う。

最近、ヘビースモーカーで休日にはハメを外して
めっきりお酒の量が多くなった息子に注意したばかりだ。

「あなたの飲み方には節度がない」・・・と。
「もっと自分の体を大切にしなさい」・・・と。
「一度だけの人生、まず体が資本であることを考えなさい」・・・と。

そんなことを言っても若者は右から左へ聞き流すかもしれない。
「死」などたぶん考えたことがないと思う。
人は生まれた時から「死」へ向かって歩いている。
一日経てば、一日「死」が近づいて来る。

この世の中、生まれた時から不平等である。
男に生まれること、女に生まれること。
どちらがいいのかはわからないが、自分の選択肢ではない。
頭脳明晰な人、ハンサムな人、美人な人、スポーツが出来る人。
芸術的才能のある人、お金持ちの人。
そして平凡な人。

不平等な生を受けて、不平等な社会で暮らしている。
けれどひとつだけ神様は人間に平等を与えた。
それは「死」である。
生まれて来た者、必ず終焉が来る。
自分の人生を喜びの中で生きなきゃもったいないと思う。

私たちは自然に教えられることが多い。
草木や花たちに
動物や昆虫たちに教えられることが多い。
この世の儚さを教えてくれる「師」なのかもしれない。

窓を開け、蝉時雨の中で
今日も24時間、精いっぱい私らしく生きようと胸を張る。

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