この「マドンナのナイショ話」のブログで
「マイブーム」のエントリを何度か書きました。
1回目、防滴CDプレーヤーのお風呂で音楽♪
2回目、フレッシュジュースで元気ハツラツ♪
3回目、フットマッサージ器で健康家族♪
4回目、養命酒で明日もがんばる♪
今日はこの2ヶ月間、密かなマイブームだったお話です。
実は私の中でリバイバルしたものがありました。
1981年10月からフジテレビで放送された
倉本 聰脚本の「北の国から」です。
21年間放送された日本の「国民的ドラマ」
それが私の中でいきなり火がついたのです。
「拝啓、恵子ちゃん、僕は今・・・・・てなわけで」と
小学4年生の黒板純(吉岡秀隆)がとつとつと語る名セリフ。
北海道の富良野を舞台に繰り広げられる家族愛の物語。
そのドラマの全巻のビデオをやっと観終えました。
1981年10月からスタートした連続ドラマは
24回シリーズで、1982年3月に終了しました。
その後、1982年~2002年までの20年間で
12回のスペシャル版として登場しています。
当時小学生だった純と蛍は中学生になり
高校生になり、看護学生になり、社会人になり
社会の厳しさの中で大人になり
父親の愛情を一心に受けながら大きく成長していく二人。
幾つかの恋をして、恋に破れ・・・
最後には本物の愛を見つけ幸せになる。
25年前に観た時とはまた別の感動が伝わってきました。
全部で36話のビデオを観ましたが
そのほとんどが昼間の時間帯。
1話ごとに必ず泣かせるシーンがあり
リビングで一人大泣きして
こんな時玄関のチャイムが鳴ったらどうしようと思いました。
倉本 聰の素晴らしい脚本です。
心に沁みないはずはないですね。
「国民的ドラマ」を
もう一度味わってみたいということもありましたが
私がこの36話のドラマを観たかったのは
舞台になった北海道の富良野を満喫したかったからです。
どうしてこんなに富良野に魅かれるようになったのか。
それはネットで知り合った二人の男性の影響が大です。
私のネットの友人を紹介しますね。
先ずは北海道の健太郎さん
帯広に住んでらっしゃるとてもジェントルマンの方です。
北海道と大阪、かなり離れていますが
実は私は健太郎さんご夫婦とはもう3度もお会いしているのです。
いわゆるオフ会というのでしょうか?
健太郎さんご夫婦は毎年秋に京都へ紅葉を観に来られます。
その時1日だけ京都をご案内させて頂いて
素敵なご夫婦と楽しいひとときを過ごさせて頂いています。
健太郎さんの下さる
私のHPの掲示板へのカキコは優しさに溢れるもの。
いつも私のHPのギャラリーの感想を一言くださいます。
この一言が私にとってどれほど嬉しいことか。
大げさなようですがきっと「筆舌に尽くし難い」とはこのようなことかも。
そんな言葉に支えられて
私は今3年2ヶ月連続無休更新出来ているのだと。
健太郎さんの優しさには心から感謝しています。
もう一人の男性は北海道の旭川にお住まいのHikaruさん
掲示板のカキコやブログのコメントには
「マドンナ姉さん」と呼ぶ正真正銘、可愛い弟です。
実際にこんな弟がいたらいいなぁ・・・と思う。
一生懸命がんばっている彼を応援してあげたくなる。
Hikaruさんとも1度だけお会いしたことがあります。
彼が会社の慰安旅行で大阪に来られた時
USJや難波をご案内させて頂きました。
「大阪に来たらマドンナ姉さんにお任せよ」なんて
私は年下には姉御風を吹かせたくなる大阪のおばちゃん。
もちろん男女問わずね。
この素敵な二人の男性が私の掲示板に
富良野や美瑛の写真をペッタンしてカキコしてくれるうちに
私はその大自然の素晴らしさに魅せられました。
旭川に住むHikaruさんところと美瑛は近い。
彼のHPの美瑛の写真は息を呑むほど素晴らしい。
これはもうプロ並みの作品だと確信している。
ドラマ「北の国から」を私の前に復刻させたのは
健太郎さんやHikaruさんから頂く北海道の写真。
富良野の四季に出会いたくて・・・・
ドラマ「北の国から」を36話制覇しました。
幸い、足の指の骨折で、自宅療養を余儀なくされて
このところはどっぷり「北の国から」モードで暮らしていました。
純と蛍の父親になりきっての田中邦衛さんの体当たりの演技に
何度も何度も泣かされました。
2ヶ月間
私は密かなマイブームで楽しい時間を過ごしていました。