チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

長男の嫁

2019年06月08日 | 自分ごと

雨、19度、90%

 41年前、長男である主人と結婚しました。昭和50年代です。今とは社会状況も家庭のあり方も違いました。長男の嫁でしかも一人っ子ですから、結婚当時からいつかは両方の親の面倒を見なくてはと思っていました。その後、日本を30年離れました。帰国して2年、日本は社会情勢も家庭のあり方も大きく変わってしまったことに気付きます。

 海外にいましたが、まずは私の母のパーキンソン氏病に始まった家でのケア、入院、施設への入所と「介護」と名のつくことの手配を進めました。母が逝き、義父の家庭での介護に疲れた様子を見せ始めた義母のためにと義父の施設を探しました。義父も逝き、今は義母が入退院、そろそろ施設を考え始めています。

 この10年に渡る親達の問題のことを書くと、皆さんから「よくお出来になりますね。」とか「お優しい。」とお言葉をいただきます。決して人間的に優しいのでやってきたことではありません。母も義母も「長男の嫁」です。ところが二人とも姑との仲が悪く、昭和初めの人ですが同居もせず、義理の親の最期を看取ったのは別の親族でした。母も義母も「長男の嫁」としてテイタラクです。主人の家に至っては本家に仏壇があるので、義父が亡くなるまで仏壇もなく義母は仏壇の祀り方すら知りませんでした。

 この二人の「長男の嫁」を見てきてとても情けなく思いました。高度成長時代を生きてきて派手な生活をして結局最後はどなたかに頼らなくては生きていけません。社会情勢の中で深く考えることなく生きてきた母や義母だと思います。情けないを通り越して、恥ずかしいとさえ思います。私が義理の両親に尽くす原動力は、そこにあります。優しいからではありません。恥ずかしいと思うようなことはしたくないだけです。「長男の嫁」としての矜持を持っているつもりです。そんなことを言っても同居するわけではありません。ご同居の方の苦労に比べれば大したことはしていないと思います。

 考えれば、一人息子のお嫁さんも「長男の嫁」です。今と昔では世間の考えも家庭のあり方も違います。極力息子のお嫁さんに迷惑をかけないようにと常々心しています。母、義母になかった古いタイプの「長男の嫁」を務めるつもりです。

コメント
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