曇り、22度、94%
「読売新聞」を朝だけ取っています。地元の地方紙を購読する人が圧倒的に多いようで、早朝から新聞を配っているのは「西日本新聞」です。「読売新聞」が我が家に配達されるのは6時前、この時間もこの3年間でずんずん遅くなりました。
先日、6時半になっても新聞が来ません。急に配達の人が代わって入れ忘れがあったのかしら、と待ちますが一向に新聞はやって来ません。そこで、販売所に電話を入れました。出て来たのはおばさん、家を空ける時「新聞を休みます。」と電話する時必ずこのおばさんが電話に出ます。届かない旨伝えると「今日は寝坊して慌てて出て行きました。」とお返事です。「わかりました、お待ちします。」と答えると「いえ、今からお届けします。」「その必要はありません。待っていますから。」と電話を切りました。
庭に降りて水遣りをしていると、インターフォンが鳴ります。木戸から顔を出すと玄関前に新聞を持ったおばさんが立っています。「わざわざ申し訳ありません。」「こちらこそ遅くなって。」と新聞を受け取りました。
家に入って新聞を広げました。コロナ以来新聞広告がほとんど入らなくなって心もとないほど薄く感じる新聞の中からビニールの包みが落ちました。お詫びの台所用のビニール袋です。テーブルの脇に置いて新聞を読み始めました。ふと見るとそのお詫びの袋に「10円玉」が引っ付いています。セロテープでつけられた「10円玉」でした。すぐに「あっ、電話代。」と気付きます。
電話代10円。ずいぶん昔の話です。固定電話を使ったお客様が帰った後に電話台に「10円玉」を見つけることが昔はありました。今は皆さん個人の電話をお持ちです。一通話がいくらかすら私は知りません。でも昔ながらに「10円玉」をこんな形で返してくれました。久々に「10円玉」をじっくり見つめます。
実はこのおばさんと実際に会うのは初めてです。配達のお兄さんには時たま会うことがあります。新聞の月々の支払いは銀行振替、以前のように盆暮れなどはありません。新聞配達所の人の顔を知らずに生活しています。おばさんはほぼ私と同じ世代の方でした。「10円玉」の発想は私年代以上の方のものです。
実際にお顔を見ること、そしてこの「10円玉」に何かホッとしたものを覚えました。わざわざ届けてくださったその気持ちと共にまだ「10円玉」を取らずに眺めています。