チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

井伏鱒二 「荻窪風土記」

2020年05月13日 | 

晴、17度、62%

 毎朝、6本のメタセコイヤの樹の下を通ります。12月に入って細かい葉を落としたメタセコイヤの木に新芽が見られるようになりました。その様子を見ているうちに主人が昨年半年を過ごした街を思い出しました。その街には武蔵野に見られる大きな大きなメタセコイヤの木がいく本もありました。主人のマンションの玄関を出ると3本のメタセコイヤが並んで見えていました。昨年の5月、その木たちは緑に包まれ始めているところでした。

 メタセコイヤを思い浮かべていると急に昔読んだ「荻窪風土記」のことを思い出しました。メタセコイヤのことが書いてあったのか内容も記憶にないほど昔に読んだ本です。井伏鱒二の本は幾冊か手元にあります。本棚を探しますが「荻窪風土記」はありません。海を渡る幾度かの引越しで始末したと思われます。調べると昭和57年刊行、初版で求めた本ですがもう40年近く前の本です。そこでアマゾンの古本で単行本を注文しました。

 ちょうど刺繍を始めたばかり、刺繍を始めると椅子に釘付けになりますが、本も気にかかる、そこで、丸2日、刺繍を止めて椅子を庭に出し本を読み始ることにしました。最初2行で目が留まりました。荻窪の地主の名前が出ています。この方は主人がこの30年ほどお世話になっている方です。私がこの本を始めに読んだ時にはまだ存じ上げなかった方です。現在の地主の方とまだお元気だったお母様と香港の返還記念のその日を香港の雑踏の中で迎えた懐かしい記憶が蘇ります。

 本は昭和2年から始まります。井伏鱒二が荻窪に家を建てるところからです。物語ではなく昭和2年から書かれた昭和50年後半までの荻窪の土地の話に文壇の人たちの動向が書かれています。きっと初めこの本を手にした40年前はこの文壇の人たちのことを私は読みたかったのではないでしょうか。今は荻窪の街の移り変わりに興味が移っています。

 主人は荻窪の駅からバスで5つの停留所のところに住みました。昨年は私もよく通いました。荻窪駅から青梅街道をいくバスです。この家に行く度、朝のジョギングは荻窪駅に向かいました。行きは青梅街道を走り帰りは裏道を走ります。無案内な街が走るたびに身近になりました。地名も一つ一つ覚えます。面白いお店も発見します。

 本を読みながらその街の様子が浮かびます。昭和の初めにはまだ乗降客も少なかった荻窪駅の周りの店々、ただ変わらないのは青梅街道の道です。読み終えて、東京のあの街を肌に感じます。主人の家のベランダからは遠く新宿の高層ビルが見えていました。

 メタセコイヤの木の新緑が40年前の本に連れて行ってくれました。今頃武蔵野のメタセコイヤも小さな葉をたくさんつけていると思います。

コメント
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