チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

落ち葉の季節

2020年11月20日 | 日々のこと

曇、19度、84%

 街路樹の銀杏は黄色に染まり大きな音を立てて葉を散らしています。川沿いの桜の葉は赤く道端に葉溜まりを作っています。落ち葉の季節です。

 我が家でも落ち葉が庭中に散っています。庭が四面、それぞれの木の落ち葉です。裏庭の「モチノキ」の落ち葉は緑のままです。「モチノキ」は常緑樹、一年中葉を染めることはありません。古い葉の下に新しい葉が出来始めると、古い葉を落とします。我が家の「モチノキ」は古木でずいぶん大きな木です。聞くところに依ると、「モチノキ」は春までに全ての葉の新旧交代をするそうです。大きくない葉ですが大木に付く葉の数は知れません。「モチノキ」のある裏庭は緑の絨毯になります。 

 昨年はちょうど今頃家を空けて上京していました。帰宅して、裏庭を見て積もった「モチノキ」の落ち葉にうんざりしました。1日一度は庭掃除をしないと、重労働になります。しかも「モチノキ」の落葉はひと月に渡ります。

 ご近所でも一番多い我が家のゴミ出しです。ほぼ庭から出るゴミです。 福岡市の一番大きなゴミ袋に3日分の落ち葉を詰めました。1日で45リットル分の落ち葉を集めます。葉を集めても風が吹くとまた舞い上がります。 葉を集めてさあ袋に入れようとすると、やって来て葉っぱを蹴散らすココさんもいます。やれやれです。

 一番多い「モチノキ」の落ち葉ですが、木々によっては秋以外にも落ち葉します。夏の終わりは「マキ」でした。冬が進むと「コナラ」も葉を落とします。一年中落ち葉と向き合う我が家の庭です。

 

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干し柿とクリームケーキ

2020年11月19日 | おやつ

曇、21度、76%

 干し柿を吊るして2週間が経ちました。ずいぶん小さくなりました。時折、手のひらで包んで揉んでやりました。 一時期寒くなったものの、ここ数日、20度を越す陽気です。昼間は半袖で十分。寒に当てないといい「干し柿」はできないと言われますが、そろそろ食べ頃です。カラカラの干し柿より中がトロッとした方が好きです。

 我が家の冷蔵庫にはいつもクリームとスポンジを合わせただけの「クリムケーキ」か「ロールケーキ」が入っています。 シンプルなケーキに果物やジャム、時にはお羊羹を一緒におやつにします。生の柿よりも乳製品との相性のいい「干し柿」です。 ケーキを一口、「干し柿」をちょっとかじります。自然の甘さがクリームといい具合いに口に広がります。生の柿やリンゴではこの美味しさは得られません。渋かった柿に一手間加えて干したらこんなに美味しくなるなんてと改めて「干し柿」礼賛。

 食べる度に紐から外します。シャープなチーズと一緒にワインのお供も努めます。だんだん減っていく「干し柿」を見るのは寂しい気がします。来週に入ると気温も平年並みに下がるそうです。その頃には「干し柿」は軒先から姿を消しているでしょう。

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ジューサー

2020年11月18日 | 身の回りのもの

晴、19度、92%

 毎朝、1杯のジュースを作ります。にんじん、リンゴのジュースです。20年以上作り続けています。何がきっかけでジュースを飲み始めたのか、どうも思い出せません。この1杯のジュースのおかげで元気でいるような気がします。

 ジュースを作るには「ジューサー」が必要です。台所家電の中でもお高くない「ジューサー」です。この20数年で8台以上は壊しました。搾汁中に急に動かなくなります。慌てて電気屋に走ったこともありました。香港ではにんじん、リンゴ以外にセロリも入れていましたが、日本ではセロリがお高いので諦めました。毎朝、ジューサーの爆音が家中に響きます。音が煩いので主人が寝ている間はジューサーは回しません。

 帰国時に買い替えたのがスローな「石臼式のジューサー」です。じわりじわりと野菜を轢いてジュースにします。音が少ないのが幸いです。上下に分かれるのですが、力を支える下部は非常に重く出来ています。カウンターに上げるのに「よっこらしょ。」

 10台近い「ジューサー」を使って来ました。使えば洗います。フレッシュで飲むジュースですから衛生的に保ちたいと思います。なのにどの「ジューサー」も洗うのが面倒です。小さなところに野菜のクズが入り込みます。ブラシで丹念に落としても高温時には黒っぽくカビが出ることもあります。朝からこの「ジューサー」の部品だけでも洗いかごはいっぱいです。それを20年以上続けて来ました。「面倒だわ。」「改善できないのかな?」毎朝思います。なのに止めようとは思いません。

 日本製も中国製もマレーシア製も使いました。この石臼式は韓国製です。複雑な電化製品ではないのにどれも洗うのだけが面倒です。それともう一つ、デザインがどれもパッとしません。カウンタートップに出し放しではないので、さほど気にならないのですがトースターやスタンドミキサーに比べると野暮ったく見えます。

 これからも「ジューサー」にお世話になるつもりです。「洗い易いジューサーを作ってください。」「見栄えの良いデザイン性のあるジューサーを作ってください。」と、思います。

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岩手米、三種食べ比べ

2020年11月17日 | 日々のこと

曇、17度、92%

 香港の30年間、私はほとんど「タイ米」を食べていました。日本米とは違うロンググレインで香りがあり軽くお腹にもたれません。日本から輸入されてくる日本米を食べるのは主人です。値段の差は歴然、日本米はタイ米の当時7倍近かったと思います。香港人は中国米よりタイ米を好みます。粘りがなく、お腹にもたれないのが私の好きな理由です。香港在住の日本人の方でタイ米を常食にしている方は少ないと思います。

 日本帰国後、日本中からお米をいただきました。今では北海道でも美味しいお米が取れることを知りました。有名なブランド米も確かに美味しく、甲乙付け難く思います。自分で買い求めるのは地元の福岡産のお米です。九州各地のお米が並ぶ中、福岡産の普通のお米を買います。これも美味しい、どのお米も美味しい私は「お米の味音痴」なのかもしれません。

 先日、岩手のお米のセットをいただきました。岩手米は初めてです。3種類入っています。洒落た贈り物です。贈り主にお礼を出すと、「食べ比べてみてね。」と「お米の味音痴」の私にはハードルが高いお返事でした。それから3日、一回に食べれるだけの量を炊きました。

 小さな一人用の土鍋で炊きます。 まずは、「ひとめぼれ」と書かれた赤い袋から。次が「金色の風」最後に「銀河のしずく」を食べました。

 お粘が多いのが赤い袋、 艶、香りも一番です。金色の袋は、 お粘は少なく、とぎ汁もほとんど白くなりませんでした。艶はないけど、日本米の香りが立ちます。銀色の袋は、 とぎ汁がやや白濁、お粘もちょうど中間、しっかり炊き上がりました。

 甘みが強いのは赤い袋でした。噛み締めて「うまい。」と思ったのは銀色の袋でした。

 銘柄が違うとはいえ同じ地域のお米でも差があることをこの3日間学びました。米粒の大きさ、とぎ汁、お粘、艶、香り、食感、旨味、甘み、こんなに観察しながらご飯を食べたのは初めてのことです。改めて、お百姓さんのご苦労を感じます。

 まだお米が残っています。ゆっくりと楽しませてもらいましょう。

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色の名前

2020年11月16日 | 自分ごと

曇、17度、82%

 毛糸売り場で並ぶ毛糸の玉、色とりどりです。たくさんある色を見るのが好きです。 これは私の刺繍糸を仕舞ってある缶、様々な色の糸が入っています。緑、青、どれも微妙に明度を変えていく種類も入っています。ところが毛糸も刺繍糸も色も区別は番号です。グリーンの毛糸に色の名前はありません。ただ「21」番。素っ気なく番号で区別されています。

  これはサクラ「クレパス」です。この巻紙には一本一本名前が書かれています。日本の色の名前ではありません。英語名の色の名前です。「深緑」ではなく「MOSS」一本一本手にとっては、英語名を日本語に置き換えます。英語の色の名前も素敵です。「モーブ」「バーガンディ」言葉の響きとその色が共鳴しているように感じます。

 色を何かに例えて名付けるのはどこの国でも同じようです。「すみれ色」が「バイオレット」すぐにどんな紫かわかります。「すみれ色」と言う時と「バイオレット」と言う時では、目の前に浮かぶ色が若干違うのを感じます。この「若干」は言葉の響きによるものかもしれません。

 色の名前、日本は昔からの色の呼び名があります。「金春色」などと書かれていてもすぐには色が思いつきません。鮮やかなブルーです。昔からの呼び名は、数百もの呼び名で区別されています。日本古来からの「色の名前」は着物の世界や染色の世界では今でも使われています。 「色の名前」を集めた本で漢字と色を確かめます。自然界由来の名前が多い中、時には歌舞伎役者の名前由来の色名まで飛び出してきます。古い日本の色の名前は興味が尽きません。名前の由来、染料は何か、何度も読むこの本ですがいつまで経っても覚えきれないほどの色の数です。

 幼稚園に上がって買ってもらった「クレヨン」、10色ぐらいの小さなものでした。空は「水色」、髪の毛や目は「黒」どの子もみんな同じ色を使いました。小学で少し大きな「クレヨン」を買ってもらいました。、その中にほとんど使わない色が一本ありました。色も好きではありません。それにも増してその色の名前が嫌いでした。「黄土色」です。なぜ嫌いなのか今だにわかりません。「黄土色」の言葉の響きが頂けないのだと思います。

 「はしばみ色」と言う日本名が気に入ってその色を確かめました。かすれたような薄茶です。英語名は「ヘーゼル」、声に出して色の名前を確かめます。好きな色は名前もまたいいと思います。

 私の色鉛筆は一本一本に英語名とドイツ語名が書かれています。言葉の違いはあっても「色の名前」を探るのは私の楽しみの一つです。

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秋の庭仕事もひと段落

2020年11月15日 | 庭仕事

晴、11度、86%

 園芸店にはパンジーやビオラの苗が並び始め、色を取り戻しています。帰国以来、表の庭にはビオラをたくさん寄せ植えにして置きました。雪を被っても花を咲かせます。11月から6月ごろまで咲き続けます。一年草ですので、夏に入る頃には枯れ始めます。枯れたら、夏から秋にかけての一年草を寄せ植えにして置きました。この苗の代金だけでもかなりの金額でした。苗を買ってきて植えるだけですから手間がかかりませんが、一時的なことではありません。

 出来るだけお金もかけずに庭を維持することを考えます。これも3年目に入った余裕です。近くのお宅の草花を観察しました。いつ頃咲いて枯れてしまうのか、葉だけは残るのか、増え具合は、と自分が買わない花まで見せてもらえます。この春から宿根草の植え込みを始めました。緑を保ちながら、花が無い時期を短く、虫も付きにくいものをと考えます。

 「ビオラ」「ノースポール」を寄せ植えにしていたところに植え込んだ春咲の「デージー」や「マム、菊」が夏の暑さの後再び花をつけ始めました。春よりも花数は少ないものの、表の道行く人の目にはこの時期の明るい花は目に留まるようです。

 植えっぱなしの球根も私の手間を省いてくれます。時々どこに植えたか忘れて、芽が出てきて気付くこともあります。「オキザリス」が芽吹き始めています。掘り返しておいた球根も「チューリップ」は昨年のものに同じ数だけ新しい球根を足して植え込みました。「水仙」は早咲きのものが土から覗いています。

 私が好きで植えるハーブ多草花が決まってきました。ハーブは以前から種を取って次の季節に蒔いて育ててきました。この春の終わりには「ビオラ」の種取りをしました。砂粒より小さな「ビオラ」の種でした。本当に種かな?と半信半疑で10月に蒔きました。今やっと本葉が出始めています。 この「ビオラ」に花が咲くのは年明けかもしれません。植物の成長も待つことが肝心です。「ガーデンシクラメン」も夏を越して庭に戻しました。友人からいただいた「サフラン」も夏は土から上げて9月に再び植えたら芽が出始めています。今年も「サフラン」の収穫が期待できます。

 新しい苗を求めることなく、庭に咲く花、緑を絶やさないためにはそれなりの計画が必要です。種を取る、球根を増やす、挿し芽をする、4年目に入ろうとする私の庭仕事、四季の回りを体感しながら先の見通しが出来つつあります。欲張らずに少しずつ。

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この車に乗り続けます。

2020年11月14日 | 日々のこと

晴、11度、84%

 数日前、「エンジンアラーム」が灯りました。ちょうどディーラーがお休みの日でした。3年前、香港からの帰国時にたくさんの書類を作って持ち帰った車です。最後の引越しと思っていたものの、家財道具、車、モモさんと私の引越しは大掛かりでした。私より随分早く香港を出た車がこの家に着いたのは私たちよりも数週間後のことでした。車到着前には、日本での書類の手続きがたくさんありました。車を見たときは嬉しかった。

 アラームが灯った車を前に半日、「車の買い替え」を考えました。古い車です。香港の街を走った思い出深い車です。大きな車ではありませんが、日本の道事情にはそぐわない車です。燃費の悪い車です。しかも2人しか乗れません。日本に来てからは気候変化もあり、故障もずいぶん出ました。モモさんの最後ひと月の毎日の通院には活躍してくれました。義母が入院を繰り返す中、交通連絡の悪い主人の実家への往復はこの車なしでは考えられませんでした。

 ディーラーに持って行くと、エンジントラブルはマイナーなものだと言うことでした。ただ、バッテリーがすでに7年を過ぎていると言われ、そう言えば前回替えたのはずいぶん前だったなあと思い出します。昨日、小さな部品交換とバッテリーを替えるために、半日ディラーに入院させました。

 私はこの9ヶ月、公共交通機関に乗ったことがありません。車を預けて歩いて家に帰ります。お迎えに行くときも歩いて行きました。歩きながら「車の買い替え」が頭の中をよぎります。

 整備の整った車を暗くなり始めたディーラーの車庫に見つけました。「やっぱりまだしばらくはこの車に乗ろう。」助手席に座るモモさんはいつも、 

こうして私の横顔しか見ていませんでした。この瞳が忘れられません。

 「車さん、もう少し頑張ってね。」モモさんも後押ししてくれているかのように、ヘッドライトが灯る道を快調に家に向かいました。

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ケルト音楽

2020年11月13日 | 音楽

晴、10度、92%

 長い手仕事の間、YouTubeの長時間向けにアレンジされた曲を流していることがあります。スピーカーに接続しているので音量もスマホやPCよりはるかに良く、手を止めなくても3時間次々に曲がかかります。

 ボサノバやジャズを聴いていることが多いのですが、気温が下がり始め、袖の付いたものを着る頃になると聴きたくなるのが「ケルト音楽」です。気温の変化と聴きたい音楽の変化、なぜでしょう?

 「バグパイプ 」の透き通っているのに何処かくぐもったような音の広がりが寒さに向かう頃の気持ちにそぐうのかもしれません。曲の題名を知っているわけではなく、歌詞もなく「バグパイプ」 の緩やかな曲、時にはダンス用の楽曲も聴き取れます。「ケルト音楽」はケルト民族の音楽ですがその規定ははっきりしていません。ブリテン島を中心にスコットランドなどに伝わる音楽です。

 石造りの家に寒さが来る頃の様子を思い浮かべます。私の木造の家とは音の反響が全く違う空間です。そんな中に自分がいるのを想像しながら、手を動かします。ケルト民族が暮らした地域は寒さも厳しく、昔は生活も豊かではなかったそうです。彼らの心には「バグパイプ 」の響きが子守唄でもあり、お祭りの音でもあり、人を送る時の曲でもあったのでしょう。

 秋は一番好きな季節です。少し物悲しさを伴い、寒さに向かう気持ちを奮い立たせてくれます。やっと街の木々も色づき始めました。葉が落ちてしまうまでのあと少しの時間を「ケルト音楽」と共に過ごします。

 

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巣こもりのココット

2020年11月12日 | 朝ごはん

晴、10度、82%

 寒くなり始めると朝ごはんに一品足したくなるものの一つが「巣こもりのココット」です。「巣こもりのココット」は勝手に付けた名前です。卵が巣の中にいるように見えるので、まだ小さかった息子に「巣こもりのココット」と言ったのがはじまりです。でも我が家で「ココット」と言えばこの簡単料理です。

 「ココット」は小さな円形の器を指す言葉だそうです。鉄製の大きな鍋でも丸く深さがあれば「ココット」と呼ばれることがあります。卵一つの料理からムール貝を蒸し焼きにして出される大盛りの料理まで「ココット」は活躍します。

 「ココット」の器に冷蔵庫にある野菜を切って入れ、卵を割り落としてオーブントースターで焼くだけでできる「巣こもりのココット」です。周りの野菜が鳥の巣、その中にポットンと卵。オーブントースターの天板に少しお湯を入れておくと、柔らかな「巣こもりのココット」が出来ます。

 キャベツを使ったのので、色目がはっきりしません。ホウレンソウだと色鮮やかに出来上がります。この時の卵は硬めよりトロリと流れるくらいが美味しいかと思います。表面の白身がうっすらと膜を張ったようになると食べ頃です。スプーンを入れると、 ふわっと黄身の匂いが立ち上がります。「ココット」に塗ったバター、最後にほんの少し回し入れた生クリーム、出来上がりに塩胡椒、ソース、お醤油、なんでもお好みで味をつけてください。ぐしょぐしょにかき混ぜて食べると、程よく卵の黄身の甘さを感じます。

 半熟の目玉焼きと似ていますが、火の入れ方が直火ではありません。「蒸し焼き」にした卵は半熟のゆで卵とも違います。この「巣こもりのココット」は蒸し焼き卵料理です。卵はどんな料理も好きですが、「蒸し焼き」にした卵は一番優しい味や香りを持っているように思います。それだからでしょう、寒い朝に欲しくなる「巣こもりのココット」です。半熟ならオーブントースターで10分、お茶を入れたりパンを切ったり、待つ時間も楽しみな「巣こもりのココット」です。

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父の刀

2020年11月11日 | 日々のこと

晴、9度、80%

 我が家のは「脇差」が1本ありました。父が生きている頃はその刀を出して来て、ポンポンと丸い粉袋を叩いては眺めていました。薄暗い電気の明かりの中、キラリと光る刀を怖いと思いました。小さい頃のこの家の座敷でのことです。父が逝ってすでに半世紀が経ちます。最後に父が刀を持っている姿を見たのは本当に昔のことです。

 母は不用心だと言い、この刀を銀行の貸金庫に預けたままでした。金属製の貸金庫が取り出されてくると中には赤い金糸の布の袋に入った刀が目を引きます。母は刀には目もくれませんでした。母亡き後、貸金庫を解約してからは家に保管していました。帰国してすぐに一度、鞘から刀を抜こうとしましたがビクとも動きませんでした。50年以上、鞘から抜けたことのない刀です。いつも心のどこかに刀のことが引っかかっていました。刀剣保持許可書はやっと文字が読めるくらいに古びています。鮮やかだった布袋も色が冷め、布自体が朽ちて来ました。 

 昨日、この「父の刀」を刀剣専門に扱う店に引き取ってもらうために持って行きました。売るのではありません。捨てるわけにもいかず、それなりのことを弁えていると思った刀剣屋さんを選びました。

 店は私の不慣れな街の一角にありました。男性が3人、刀を研いでいる姿が見られます。最近「日本刀ブーム」なのだそうです。年配の方が道具を使って「父の刀」を抜いてくださいました。子供の頃見た美しい光は放っていません。どんよりと曇って錆びついた刀になっていました。「お願いいたします。と」頭を下げ、役にも立たない布袋を添えて店を後にしました。

 港に近いその街、空はどこまでも青く晴れていました。最後に見た「父の刀」の哀れな姿が心から離れません。家に戻り父の写真に向かって「ごめんね。」と一言。

 父母の遺品を整理して来て申し訳ないと思ったことが一度もありませんでした。残した物を見て主人が「よくここまで捨てたね。」と言ったほどでした。なのに必要もない「父の刀」を始末した後の私の心は済まない気持ちでいっぱいです。錆びついて曇った「父の刀」の姿は心から離れそうにありません。

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