糺の森の南がわにあるこの碑が前から気になっていました。
『糺の森・下鴨神社(京都新聞社刊)』によれば
明治6年から大正6年まで操業していたそうです。
寒天製造工場のばい煙が川向うに出来た繊維工場に悪影響を与える、
という理由で亀岡に移転した、とありますが、
それはちょっと疑問です。
繊維工場から出る水は高野川に流されていたので、
むしろ寒天工場がそのために困ったのではないかと?
もちろん寒天作りには豊富な地下水を使っていたと思いますが。
でも何よりこのあたりの冬の気温が寒天の製造には適さなくなったのではないかと思います。
ネットでも調べてみたらいろいろ興味深いことが判りました。
特に愛知県の「てんぐさ、糸寒天専門店、森田商店」の
寒天、てんぐさに関するレポートは写真入りの力作です。
↓ ↓
http://www.tengusa.jp/reports/sakuin_kanten.html
寒天の発祥地は伏見、「寒天」の名をつけたのは伏見の万福寺のあの隠元和尚だそうです。
(隠元和尚は1600年代の人、インゲン、煎茶他様々の物を中国から伝え、
今の日本料理の元を形作ったとされています)
現在も、三宅島、伊豆、高知や長崎、三重などで海女さんが潜って「てんぐさ」を採っています。
洗って、貝や石など取り除いて乾して出荷します。
それを、水に浸し、煮て(煮方でゼリーの強度などが決まる)最後に
上澄みが固まったら種類によっていろいろな形に押し出して外気にさらし、
凍結、融解、乾燥を繰り返して出来上がるそうです。
晴れていて、気温がー5度~ー10度が最適だそうです。
和菓子には必需品です、が、ここでまたびっくり、
細菌等の培地としても寒天は非常に重要で、
戦争中に戦略的に輸出禁止されるまで世界中に輸出されていたそうです!!
バイオテクノロジーの研究にも大切なものらしいです。
*テングサは海草ではなく、胞子で増えるので、海藻だそうです。
『糺の森・下鴨神社(京都新聞社刊)』によれば
明治6年から大正6年まで操業していたそうです。
寒天製造工場のばい煙が川向うに出来た繊維工場に悪影響を与える、
という理由で亀岡に移転した、とありますが、
それはちょっと疑問です。
繊維工場から出る水は高野川に流されていたので、
むしろ寒天工場がそのために困ったのではないかと?
もちろん寒天作りには豊富な地下水を使っていたと思いますが。
でも何よりこのあたりの冬の気温が寒天の製造には適さなくなったのではないかと思います。
ネットでも調べてみたらいろいろ興味深いことが判りました。
特に愛知県の「てんぐさ、糸寒天専門店、森田商店」の
寒天、てんぐさに関するレポートは写真入りの力作です。
↓ ↓
http://www.tengusa.jp/reports/sakuin_kanten.html
寒天の発祥地は伏見、「寒天」の名をつけたのは伏見の万福寺のあの隠元和尚だそうです。
(隠元和尚は1600年代の人、インゲン、煎茶他様々の物を中国から伝え、
今の日本料理の元を形作ったとされています)
現在も、三宅島、伊豆、高知や長崎、三重などで海女さんが潜って「てんぐさ」を採っています。
洗って、貝や石など取り除いて乾して出荷します。
それを、水に浸し、煮て(煮方でゼリーの強度などが決まる)最後に
上澄みが固まったら種類によっていろいろな形に押し出して外気にさらし、
凍結、融解、乾燥を繰り返して出来上がるそうです。
晴れていて、気温がー5度~ー10度が最適だそうです。
和菓子には必需品です、が、ここでまたびっくり、
細菌等の培地としても寒天は非常に重要で、
戦争中に戦略的に輸出禁止されるまで世界中に輸出されていたそうです!!
バイオテクノロジーの研究にも大切なものらしいです。
*テングサは海草ではなく、胞子で増えるので、海藻だそうです。