『竹取物語』を読みかえしました。
(現代語訳の方ですが、、、)
改めて、なんて素晴らしいファンタジーだろうと感心しました。
『竹取物語』は「天の羽衣伝説」などを巧みに取り込み、
実際に存在した貴族たちを実名で書き、しっかり組み立てられた物語です。
竹取りという、田畑もなく、農民ですらない最下層の貧しい翁が、
光る竹の中から小さな女の子を見つけます。
そののち、翁が竹を切ると中には金が入っていて翁は長者になります。
小さな少女は3か月で(竹の成長と同じ)光り輝く娘に成長し、かぐや姫と名づけられます。
国中から娘を見ようと人々が殺到、中でも執着した5人の貴族に娘は難題を出し、
貴族たちはそれぞれ策を労しますが失敗、かぐや姫は帝の求婚も拒みます。
竹から生まれて20余年経った満月の夜、悲しむ翁を残し、
かぐや姫は月へ帰っていく、という誰でも知っているお話なのですが…
映画のない時代に、光と影の、まるで映像が眼に浮かぶような見事に美しい物語の展開です。
最後には当時活動していた富士山からたなびく煙が天に昇っていく様子も描かれて、
視覚的な印象が一層心に残ります。
月、竹、富士、まさに自然そのものです。
どんなに偉そうにしたところで、どんなに金があろうが、権力をもっていようが、
自然界の魔法にはかなわないということを宗教的な説教や道徳的な押しつけもなく、
さらっと物語っているところはほんとにすごい。
これが現存するもっとも古い物語で、今から千年以上も前に書かれたというのですから、驚きです。
(書かれたのは平安時代、舞台は奈良時代を設定。)
かぐや姫がお金や身分に左右されず、
ウソを見抜く賢くてきっぱりとした強い女性として描かれているところが特にいいです!
すごいキャストで映画化もされているようですが、
かぐや姫は実は宇宙人で宇宙船が迎えに来て帰っていくという陳腐な設定で、観る気を失います。
映画を公開する時にアメリカでは無理矢理でも最後をハッピーエンドにしないと客が入らない、
フランスではハッピーエンドにしたら客が入らない、と聞いたことがあります。
日本もハッピーエンド型かな?
でもハッピーエンドが好き嫌いは別にして、
かぐや姫が帝と結婚してハッピーエンド、ではただのおとぎ話になってしまいます。
『竹取物語』が文学としての価値を含んで、琴線に触れてくるのは、やはりラストシーンにあるのでしょう。
月日が煙となって消えてしまう『浦島太郎』もお姫様物語や勇者の物語にはないじんわりとした読後感があります。
中世に書かれたそれらの物語には現実世界に切り込む力が潜んでいた、と思います。
今、流行のファンタジーにそんな力があるでしょうか?
もっと時が経てば見えてくるものがあるかもしれません。