”You might think todey's hot fish.”
「云うまいと思えど、けふの暑さかな。」
ばかばかしいけど面白い!
こんなダジャレを父はたくさん知っていました。
ドイツ語で「オストアンデル」とは「まんじゅう」のことやで、
と言われた時小さかった私は一瞬信じました。「押すとあんが出る」のでまんじゅうと言うわけです。
平方根の言い換えなどもどこまでも言っていました。
そして人の話をよくおかしな風に聞き間違え?ていました。
今思えば、一昔前の雰囲気がある言葉を持っている人でした。
父の父はもっと一層古い京都の言葉をしゃべっていましたが、
今聞いたらきっとおもしろいだろうな、とたまに思い出されます。
「云うまいと思えど、けふの暑さかな。」
ばかばかしいけど面白い!
こんなダジャレを父はたくさん知っていました。
ドイツ語で「オストアンデル」とは「まんじゅう」のことやで、
と言われた時小さかった私は一瞬信じました。「押すとあんが出る」のでまんじゅうと言うわけです。
平方根の言い換えなどもどこまでも言っていました。
そして人の話をよくおかしな風に聞き間違え?ていました。
今思えば、一昔前の雰囲気がある言葉を持っている人でした。
父の父はもっと一層古い京都の言葉をしゃべっていましたが、
今聞いたらきっとおもしろいだろうな、とたまに思い出されます。
一瞬、沈黙の後、大笑いすることが多かったように記憶しています。
マリヤンカさんのようによくは覚えてないんですが
生真面目な母だけがいつまでもわからなくて笑えず
「いつも、のけもんや!教えてえな!」
と怒っていたのを思い出します。
父は単に語呂合わせみたいなのもよくやっていました。
暑い夏は裸同然の恰好で、ビールを飲みながら、
ひとりで、あっはっは…。
我家は母も私もシャレにはいささか鈍感で…
今ならうんと笑うんだけど…
高校生の時「百人一首」がダジャレの宝庫と知ってびっくりしました。
そうなんですか?
いつかまた、教えてくださいね。
父のダジャレ、思い出そうとしてるんですが
なかなか思い出せません。
何かの時に
「こんな時、こうゆうてたなあ・・・」
なんて思い出せたらいいなあ・・・。
って思ってます。
でも高校の時の古典の先生がそのような表現をしていたように思います。
掛け言葉、とか縁語とか…
言葉遊びの技がみごとです。