おはようございます。
あっという間に海の日3連休になってしまいました。このところ現場ばかり行っているので、時間か経つのが非常に早いです。
ネタはあるのですが、とにかくこのところ気分が乗りませんので、昭和ネタを引っ張り出しました。
飯田線の旧型国電で、終焉期に一番注目されていたであろう車両、合いの子流電ことクモハ53007です。
昭和58年6月6日
クモハ53007は、42系電車の中でも最終期に造られた車両。先に登場していた流電ことクモハ52の流美なスタイルを踏襲しながらも、運用に重点を置いて貫通型としたものです。
当初は同じスタイルであるクモハ43の最終グループの番号が与えられていますが、モーター出力増強によってクモハ53に変更されています。
ちなみに、合いの子流電は2編成4両が誕生し、1両は戦災により廃車になっています。残る3両のうち1両はクモハ43のままパンタ部を低屋根化し、身延線→大糸線で活躍しました。
飯田線においてはクモハ53007の先頭面を連結定位としていたため、4連運用の中間に挟まってしまい、なかなかその顔を拝むことができない、厄介な車両でした。
昭和58年2月23日 伊那松島機関区にて
007の顔を初めて拝むことができたときの写真です。飯田線に通うようになってから1年半も後のことです。
008は標準化改造により雨樋が普通の位置になってしまいましたが、この007だけは昔のままの非常に美麗なスタイルを最後まで貫き通しました。
今こうして見ても、戦前のデザインとは思えません。
昭和58年6月29日 浜松工場留置線
そして、とうとうお別れの時を迎えてしまいました。
119系がぼちぼちと増え始め、旧型国電の中でも先に運用を離脱して浜松工場へ送られるものが出てきました。
このときも「まさか」とは思いましたが、兄弟の008よりも一足早く留置場へと送られてしまいました。
個人的な好みの問題もありますが・・・何故こんな良い車両を保存してくれなかったんだろう・・・悔しいです。
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あっという間に海の日3連休になってしまいました。このところ現場ばかり行っているので、時間か経つのが非常に早いです。
ネタはあるのですが、とにかくこのところ気分が乗りませんので、昭和ネタを引っ張り出しました。
飯田線の旧型国電で、終焉期に一番注目されていたであろう車両、合いの子流電ことクモハ53007です。
昭和58年6月6日
クモハ53007は、42系電車の中でも最終期に造られた車両。先に登場していた流電ことクモハ52の流美なスタイルを踏襲しながらも、運用に重点を置いて貫通型としたものです。
当初は同じスタイルであるクモハ43の最終グループの番号が与えられていますが、モーター出力増強によってクモハ53に変更されています。
ちなみに、合いの子流電は2編成4両が誕生し、1両は戦災により廃車になっています。残る3両のうち1両はクモハ43のままパンタ部を低屋根化し、身延線→大糸線で活躍しました。
飯田線においてはクモハ53007の先頭面を連結定位としていたため、4連運用の中間に挟まってしまい、なかなかその顔を拝むことができない、厄介な車両でした。
昭和58年2月23日 伊那松島機関区にて
007の顔を初めて拝むことができたときの写真です。飯田線に通うようになってから1年半も後のことです。
008は標準化改造により雨樋が普通の位置になってしまいましたが、この007だけは昔のままの非常に美麗なスタイルを最後まで貫き通しました。
今こうして見ても、戦前のデザインとは思えません。
昭和58年6月29日 浜松工場留置線
そして、とうとうお別れの時を迎えてしまいました。
119系がぼちぼちと増え始め、旧型国電の中でも先に運用を離脱して浜松工場へ送られるものが出てきました。
このときも「まさか」とは思いましたが、兄弟の008よりも一足早く留置場へと送られてしまいました。
個人的な好みの問題もありますが・・・何故こんな良い車両を保存してくれなかったんだろう・・・悔しいです。
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