マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

国鉄 飯田線 42系:クモハ53007

2011-07-16 09:35:00 | 旧型国電
おはようございます。

あっという間に海の日3連休になってしまいました。このところ現場ばかり行っているので、時間か経つのが非常に早いです。

ネタはあるのですが、とにかくこのところ気分が乗りませんので、昭和ネタを引っ張り出しました。

飯田線の旧型国電で、終焉期に一番注目されていたであろう車両、合いの子流電ことクモハ53007です。



昭和58年6月6日

クモハ53007は、42系電車の中でも最終期に造られた車両。先に登場していた流電ことクモハ52の流美なスタイルを踏襲しながらも、運用に重点を置いて貫通型としたものです。
当初は同じスタイルであるクモハ43の最終グループの番号が与えられていますが、モーター出力増強によってクモハ53に変更されています。
ちなみに、合いの子流電は2編成4両が誕生し、1両は戦災により廃車になっています。残る3両のうち1両はクモハ43のままパンタ部を低屋根化し、身延線→大糸線で活躍しました。

飯田線においてはクモハ53007の先頭面を連結定位としていたため、4連運用の中間に挟まってしまい、なかなかその顔を拝むことができない、厄介な車両でした。




昭和58年2月23日 伊那松島機関区にて

007の顔を初めて拝むことができたときの写真です。飯田線に通うようになってから1年半も後のことです。
008は標準化改造により雨樋が普通の位置になってしまいましたが、この007だけは昔のままの非常に美麗なスタイルを最後まで貫き通しました。
今こうして見ても、戦前のデザインとは思えません。



昭和58年6月29日 浜松工場留置線

そして、とうとうお別れの時を迎えてしまいました。
119系がぼちぼちと増え始め、旧型国電の中でも先に運用を離脱して浜松工場へ送られるものが出てきました。
このときも「まさか」とは思いましたが、兄弟の008よりも一足早く留置場へと送られてしまいました。

個人的な好みの問題もありますが・・・何故こんな良い車両を保存してくれなかったんだろう・・・悔しいです。

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クモエ21 田町電車区

2011-07-05 08:02:00 | 旧型国電
おはようございます。

またパソコンのレスポンスが悪いです。時間がなくなってしまったので1枚だけ。



昭和55年頃 田町電車区にて


救援車のクモエ21です。
電車区の片隅に居座り、有事の出番を待ちます。しかし、それほど有事というのがある訳ではありませんので、大体は出番のないまま一生を終わってしまう車両が多いのではないでしょうか?
輸送機関に事故はつき物。しかし、無ければ無いに越したことはありません。だから、古い車両を改造しているものが多いのでしょう。

そんな彼も、殆ど出番が無く、知らない間にひっそりと消えていきました。
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クハ79「回送」:鶴見線

2011-06-14 07:39:00 | 旧型国電
おはようございます。

また昨夜はパソコンの調子が悪くてアップできませんでした。

時間が無いので1枚だけ。



昭和54年12月 鶴見線 弁天橋電車区にて

綺麗に写っており、ネガの再現性も良かったのですが・・・「回送」じゃね(笑)。

窓を開けて基地を撮る。昔は良くやってましたが、今は窓を開けることさえ勇気が必要です。

今どこぞの路線では、窓をあげて放送禁止の言葉を書いたプラカード出して妨害、喜んでいる基地外が居るそうですね。母校岩倉の生徒だというウワサも。
地に落ちたね。

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身延線 旧型国電 クモハユニ44 (その2)

2011-05-23 07:04:00 | 旧型国電
おはようございます。

昨日はあまりにも変化に富んだ?天気で、身体も生活も付いていけなかった感じです。
しかも、9時丁度に大会への送迎?「カシオペア」が同時刻に大宮発なのに・・・。
さらに、14時頃から急に雨が降り出しましたね。これで夕刻の「カシオペア」&貨物タイムも終了!まあ、こんなもんですか。


近々のネタもありませんので、久し振りに旧型国電から。

過去ログ『身延線 旧型国電 クモハユニ44 (その1)』で次回予告をしてから2年近く経ってしまいました。

身延線の主的万能電車「クモハユニ44」。続きなので説明は省略させていただきます。



昭和56年7月23日 鰍沢口~落居間にて

ローカルな雰囲気満点、山奥の線区を走る4連。ロケーションは障害物があってあまり良くないですが、徒歩テツなので時間的な限界があったのだと思います。



昭和56年7月23日 金手駅にて クモハユニ44803

身延線の初電に乗りましたが、甲府駅に三脚を忘れたのに気付き、急いで下車。切符を買い直して往復。改めて乗車した普通列車に連結されていたのが803号でした。
この電車だけは改造時期が異なり、部分低屋根になっています。したがって、パンタグラフは後位に移設されましたが、全低屋根にならなかったため、オリジナルの雰囲気を残した唯1両の貴重な存在でした。



昭和56年8月21日 柚木~富士間にて クモハユニ44802

身延線を訪れた一番最後の頃でしょうかね。走行写真でも一番良く撮れたクモハユニ44でした。写真も段々と上達してきた頃だったのだと思いますが、時既に遅しって感じですね。
※ご指摘により撮影区間を修正いたしました。

この車両には思い入れもありましたので、GMキットを切り継いで作成したりしたものです。その後、キットで同形式が発売されたときには、かなりガッカリしたものです。まあ、買っちゃいましたけどね。

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冬味の飯田線80系(完結編)

2011-02-19 07:29:00 | 旧型国電
おはようございます。

昨日は1週間の寝不足が祟って、0時を迎える前に寝てしまったようで。今朝は4時に起きてしまいました。(眠)
このところ別のブログにも時間を使っているので、テキトーな記事になってすみません。今日はちょっと気合を入れて、沢山アップしちゃいます。

飯田線の80系もかなり写真をアップしましたが、今日は残りの冬編を一気に。



昭和58年1月11日 伊那松島~沢間にて



昭和58年1月11日 天竜峡駅にて



昭和58年1月12日 辰野~宮木間?にて



昭和58年1月12日 辰野駅にて



昭和58年2月9日 駒ヶ根?



昭和58年2月9日 駒ヶ根?



昭和58年2月10日 駒ヶ根~伊那福岡間にて



昭和58年2月10日 駒ヶ根~伊那福岡間にて



昭和58年2月9日 大沢信号所にて

飯田線のCTC化による自動閉塞信号の導入が決まり、合理化も目前に迫ってきました。この大沢信号場も有人でしたが、無人化が既に決定。同信号場を訪れた際、信号場の風景の写真を運転主任さんに頼まれました。
次に訪れた時に偶然にも同運転主任さんがおられて、無事に写真パネルを渡すことが出来ました。何の連絡もせずに訪れたのですが、逢うことができて良かった。お礼と言って私にくれたタブレットキャリア(使い古し)は今でも宝物として残っています。





昭和58年4月16日 豊川駅構内にて

運用から全面撤退した80系電車。しばらくは豊川駅に残っていたものがありました。既に浜松工場送りになった車両もいました。その中にはモハ80300(全金車のトップナンバー)もおり、写真に収めることができました。

長距離旅客電車の始祖であった80系電車も、これを以って終焉を迎えることとなりました。

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