ザンクトガレンはドイツに近く、
世界文化遺産にもなっている大修道院があり、
町の名前はアイルランドの修行僧ガルスの名前に因んだものとか。
午前中、市内見物に出かけたが、
日曜日のためどこも閉まり、閑散としていた。
駅前で仲間3人と偶然会い、仕方がないので、
レストランの外の座席でコーヒーを飲みながら、
街行く人を眺めて過ごした。
遠くから眺めるととてもかわいい。
20年前に子供達へのお土産にとてもかわいいレースの付いた
民族服を買ったのだが、日本で着せると目立ち過ぎて変だった。
やはり、その土地々で似合うものはそれぞれ違うのだ。
1時半にガイドのリリアンさんにお会いした。
大柄の美しい人だったが、
ドイツ訛りが強くて、よく分からない。
ルーさんが日本語で時々通訳をして下さるのだが、
私は全体の60%位しか理解出来なかった。
この町は中世の頃から織物が盛んで、
現在は高級繊維産業の中心地として有名。
繊細な美しさを誇る刺繍製品は高く評されているのだとか。
街の見所は、駅からも近い旧市街に集まっており、
ここのあちこちに窓にデコレーションを施した家がある。
17~18世紀の頃、事業で成功した人達が、
自分の財を誇示するために、競って作った物だという。
日本で言うところの「うだつを揚げる」ということだろう。
その保存にかなりのお金がかかるため、
当時からの子孫で住み続けている人はほとんどおらず、
次に、世界文化遺産に指定されているという大聖堂に入った。
ST.GALL Switzerland The baroque Cathedral(絵葉書より)
ゴチック様式のすばらしい造りで、天井絵は高いはしごを使って、
上を向きながら、一人一人の職人が描いたもので、
顔に落ちてくる顔料も非常に毒性の強いものであったり、
遠近感を確かめながら、その都度、はしごを上ったり下りたり
しなければならないために、その途中で落ちて
命を絶った人の数は計り知れないが、
正確な資料は残っていないということだった。
次に図書館に行った。
5フラン(約500円)の入場料が必要だったが、
これは一見の価値があった。
17世紀から1805年、ナポレオンに征服されるまでの間、
僧侶達にとってはすばらしく富んでいた時代で、
教会の周りは、自給自足の街造りになっており、
農園、酪農が発達し、僧侶の中でも、羊の皮をなめして
本を作る人、書く人、その上に金でサインを施す人、
それぞれ専門的な分業がなされていたらしい。
しかも、現在のような図書管理システムが作られており、
何万冊もの本が保存され、
僧侶達が日々聖書の勉強に励んでいた様子がしのばれた。
図書館内は撮影禁止。
床が柔らかい材質になっているので、土足も禁止。
大きなスリッパを靴の上に履いて足を擦りながら歩く。
係員に木の名前を確かめたが、分からないと言われた。
まだまだ見たい所、聞きたいことはたくさんあったが、
規定の2時間が過ぎ、リリアンさんとお別れ。
ガイド料は12,000円。
夜の7時、ダイリック先生とレストラン
AM GALLUSPLATZで会食。
彼は今回訪問するザンクトガレン大学の教授で、
環境経営学のオーソリティ。
学生達は初めの内、緊張をしている様子だったが、
美味しいワインや食事が進むにつれて、
家族やサッカー、卓球、テニス等の
話題で盛り上がっていた。
彼は優しそうな方で、4人の女の子の父親。英語も美しく、
ゆっくり話して下さるので、
勘だけでしか英語を理解出来ない私にも、
ほとんどお話が通じて、とても楽しかった。
美味しい!美味しい!と食事が進んで、
アッと気付いたら最後のデザート。
あわててカメラで撮ったのがこの一品。
食器も食材もすばらしいものだったが、一人分の予算は5,000円。
しかし実際のお支払いは、10,000円以上になってしまった。
さすが、スイスの物価は高い
左側最前列の美人は、大学院生の美樹さん。
今朝、一人で到着。
会社を休み、明日の研究会に出席するためとのこと。
やはり、世の中変わった~~~。 すご~~~い。
毎日訓練をすれば少しは残るのでしょうが、
あれこれ虻蜂取らずで、何も身に付かないのです。