蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

マッチングはAIがアドバイス

2024-02-28 | 人生
ある企業が恋愛マッチングアプリを福利厚生の一つとして社員が利用できるように整備している。
お付き合いが始まり、いい線に行くと、デートの誘い方や告白タイミングをAIがサポートしてくれる。
今、出生率や結婚する人はどんどん落ち込んでいる。
時代の流れか。

それにしても、マッチングアプリ、面白い。
一昔前は、世話焼き人のような人が親戚や職場にいて、お見合いを薦めてきた。
今は、マッチングアプリに変わっただけ。
広い人材から忖度なしに選べるのかも知れないが、リアル社会での評判などが人づてに聞こえてこないから、ちょっと怖い。
だが、周りから太鼓判を押されたオススメの人だとしても結婚してみたら、あらまあ、なに?これ?
と落胆するケースも多々ある。

(ちなみに、一昨日、映画「マッチング」を観た。
予想外の展開で、居眠りするヒマがなかった)

昨夜、夫と、企業マッチングアプリのニュースをTVで一緒に見ていた。
わたしは、「面白いね」と、ニュースの最初と最後に言った。
夫は終始、無言。
全く目にも耳に入っていないと思う。
仮に認識していたとしても、変な感想を言って妻の逆鱗に触れるのは避けたいため、知らん顔を演じる、、、なんていうような高等テクニックは絶対に駆使しない。
めんどくさいタイプ。
正真正銘、アタマと目と耳を素通りしている。

今の人は、結婚したいと思わなくなったようだ。
片親で子供を育てるのは大変なので、結婚せずに子供を産む人も少なくなり出生率は低下する。
正確には結婚したいとは思うものの、結婚したいと思えるような相手がいない。
経済的に自立していたり、家事が出来たり、社会制度が整ったりサポートしてくれたりすると、何が何でも結婚に生活を託さなければならない状態は脱している。

すでに結婚してしまっている人(既婚)は、あえて現状をほじくらない。
火に油を注ぐような事態を招く可能性があるなら、そっとしておく。
今更、波風を立てても誰も喜ばない。
どうしても改善しなければ崩壊、破綻する場合は別として。

目の前にいる配偶者が、少々気に入らなくても、もっと更に気に入らない人と結婚しなくてラッキーだ。
理想は追わない。
消極的肯定。
八分目を目指す。
理想を追うと、相手を巻き添えにする。
せっかく不純物が沈澱している、一見、澄んでいるように見える水を、わざわざかき混ぜるのは、お互いに得しない。
知らん顔をして、毎日、楽しく暮らすのが安泰かと。
事故、災害など、不意のアクシデントに見舞われたり、病気になったりすることもあり、その時は、澄んだ水だの、なんだの言ってられない。
とりあえず、澄んだように見える水の中で、そっと安らぎを見出すのが、わたしの省エネ幸せ。

ホレタハレタとは程遠いが、孫も実在している現実から見ると、二人共に過去に若い頃はあったわけで。
共同作業の熱い日々は確実にあったわけで。
その若い頃さえも気に入らない、などと回想したりすると、哲学者になれそうだ。
ではあるものの、その片鱗もない別の生き物になった者同士、また別のフェイズを生きている。
結婚も悪くない。
理想を追求しなければ。


誤魔化しも薬のひとつ

2024-01-20 | 人生
自分では思い通りにならないから、他に依存すると気が楽になる。
抱えきれないもの、こころの別部屋に入りきれないものを扉を開けて放出する。
その方法は、人それぞれだろう。

別の何かに熱中してその時間は忘れられても、根本治療にはなっていない。
また、じくじく痛み出す。
一人でどうにもならない時は、カウンセラーやセラピーや心療内科や、こころの専門家の助けを借りると、解決の糸口となる。

別のことに熱中して、その別のことにのめり込み、今度は依存症という新しい病理を生み出すこともある。
病は次から次へと形を変える。

病の根本を治して完全治癒が難しいなら、病と共に共存共栄して生きていく。
根絶は諦め、一病息災。
あまり無理をしないから、悪くはない。

こころの病は、根源を探り出す。
自分は何をどう感じているのか、なぜ自分はそう感じるのか、経緯を遡って、こころのねじれを紐解き自分に問う。
トラウマだったりコンプレックスだったり、色々ある。
克服するのはとても難しいと感じる。
涙と時間が必要だ。
自分らしさを認めるのは困難。
認めすぎて自分に高い評価をする人もいる。
やりすぎると嫌われる。

劣るダメな自分も、かわいいと思って愛でる。
あまり周りと比べるのは良くないが、自分の過去と比べたりすると、どうしようもない。
日本だって栄光は過去になりつつある。
アメリカだってそう。
ヨーロッパだってそう。
スペイン艦隊がイギリスに敗れた時(1588年)に歴史は動いている。
順番順番。
トランプゲームと似たようなもので、誰かが勝って、誰かが負ける。
勝ったり負けたり。
栄光と転落。
そうやって時を紡いでいる。

とかなんとか、話しがぐーんと広がり過ぎて、身近な悩みや疑問にフォーカス出来なくなってしまうのが、いつものわたしの流れ。
シミや汚れを揉み洗濯しているようなもの。
すっかり元のようにキレくはならないものの、滲むか馴染むかして、あまりわからなくなっている。
誤魔化しているとも捉えられる。
しかし、なんでもかんでも、追及すれば良いというものではない。
外科手術か、漢方薬か。
切除か、融和させるか。
緩和というものもある。
温存、誤魔化し。

最近はレーザーをピンポイントに当てたり、手術も進化しているようだが。
と、相変わらず、話が脱線。

まずは、直近の目の前のタスクを今、こなす。
午前中に、だったり、今日中に、だったり、今週中に、だったり、今月中に、今年中に、今世紀中に、、、

さ、用事を溜めずに腰を上げよう。
(自分に言ってます)


手癖の悪い人

2024-01-12 | 人生
悪い人ではないのだが、人のモノを盗む人がいる。
その時点で悪い人か。
大勢が出入りする場での傘や靴。
わたしの経験では、傘はなくなるままだが、靴はボロズタ靴が残されている。

ちなみに。
わたしは、靴は学生の頃から度々被害に遭っている。
高級なブーツなど、即、なくなる。
傘は自治会館で、初めて使った買ったばかりの新品がなくなった。
身近なところでは、学生の頃、服、現金が、自宅の自室から消えた。
犯人は特定できているが、決定的証拠がない。
目につくところに置いて、刺激したのなら仕方ないが、わざわざクローゼットの中から持って帰る。
お金は最初はわたしのお小遣いで少額だったが、最後はわたしの親のお金に手を付けた。
お互い、まだ10代後半。
経済事情がほんの少しだけ違うといっても、親御さんは国家公務員をされ、彼女の下にも妹がいて、2人とも、まともに育っている。
やはり彼女は手癖が悪いと言える。
こんな人でもちゃんと教職に就いている。
美人でスタイルが良く、頭脳明晰だったのだが。
世の中、しれっと善人の顔をして真面目に暮らしていても、手癖の悪さはブレーキが効かない病気のようなものか。

わたしは自分で防御することを学んだ。
騙されたり、貸したお金を返してくれなかったりすることは世の中、ザラにあるので、お金は一切貸さないことにしている。
それで人間関係が壊れるなら、仕方ないことだ。
貸すのではなく、あげる、寄付する、という気持ち。
返ってくると思ってはいけない。
なかなか他人にあげる気にはならないが。

遠い親戚の中に、母にお金を借りたまま、返していない人がいる。
知らん顔して、年賀状も毎年、送ってくる。
その人の兄弟に実情を話したが、彼に返すよう進言してくれたものの、全く返す気配がない。
客観的にハイスペックで、評価されるだろう、ちゃんとした人生を歩んでいる人なのだけれど。
彼の家族が代わりに弁済する義務はないだろうし、彼の奥さんの親御さんにも借りているようだ。
明るい楽しい頼もしい人なんだが、わたしは「信用ゼロ」の烙印を押した。
彼は自分の罪をつぐなわないまま、自然に罪が消滅するかと言うと、、、気が収まらないわたしは、わたしの子供たちに、お金を返さない現実を伝えた。
彼本人は、自分がこの世を去ればそれで終わり、リセットだと思っているだろうけれど、負の伝説は言い伝えられる。
ではあるものの、あの世からはわからないから、彼自身は気楽だ。
いずれ、返って来ないお金のことなど皆んな忘れ去ることだろう。

後世、わたしの子孫が頭の隅っこにインプットされたことは、そのうち流れてしまう。
彼の子孫はそんな事実を全く知らないまま。潔白なまま。
不公平だ、アタマに来る、と思うなら、裁判で訴える手もあるが、しない。
こんなかんじで、人と人、国と国は、解決されないままのいざこざ、揉めごとは、やがて紛争の火種を抱えたまま、時が進んで行くのだろう。

わたしは自分の代ではマイナス要素はできる限り持ち越さないことをこころがける。
トラブルが怨みに発展しないように、気を付ける。
人に与える怨みは、なかなか消えない。
自分が抱える怨みは、ブログにでも書いて発散させる。
もちろん誰か特定できないように。

知人で、過去の行いを浄化しようとして仏門に入った人がいる。
人生の後半のある時期、思い立ったそうだ。
かなり強引な手法で、のし上がり成功を納めた人だが、事あるごとに、世の中に寄付をしたりして、清めようと頑張っておられる。
アーリーリタイアをして坐禅に励むブロガーさんもいるが、坐禅の境地とはちょっと毛色が違う。

人生、終盤戦に入り、あの世へ行く前の準備として、自分の垢や埃、汚れを落として、綺麗に身を清めようとするのだろうか。
そういう意味では、老後、何もすることがない退屈な人には朗報だ。
かなり忙しい。
ちょっとやそっとでは清められない。
今、わたしのアタマに浮かぶのは、書道のお稽古を兼ねて、写経。
単なるアイデアラッシュだけで、実際に実践するかどうかは別として。
仮に病気で体調が優れなくても、写経をしている時間だけは、身体の不調を忘れるかも。
逆に体調不良なら何もする意欲がなくなる可能性も大だ。
(どっちやねん)

話は脱線に脱線を重ねるが、
とりあえず、老後は、自分の汚れを落とすため、仏門研究を一つの課題にしよう。
て、誰も興味ないと思うけれど。



お墓のこと

2023-11-08 | 人生
いきなり、全く関係ないが、お墓のことを書く。

ある人Aさんと話していたら、お墓の話になった。
自然な流れの会話の中でこんなフレーズが出た。

「お墓なんか要らないよね。
子供たちが困るだけだし。
ウチもオタクも、大したお墓でもないし」

ん?
引っかかった。
「ウチは大したお墓なんです!」
と思ったが、自慢たらしいことは人には言えない。
根底に、「アナタのところとは違う」という上から目線的な思い上がりの気持ちがあるとしたら人として未熟。
上だ下だと格付けするのは違うように思う。
上下ではなく、風土、土地の慣わし、家庭環境、宗教的背景だろう。
仮に同じ宗派であっても、都市部と地方では違う。

Aさんは、熱心にお墓参りをする信心深い人。
だが、子供には同じようには面倒なことを強制したくない、と、今時の風潮色濃い思いもある。
娘さんが2人いるが、姓を継がなくてもよいと言っているにもかかわらず、結婚後も上の娘さんは旧姓のままで、お婿さんが姓を変更した。
(だが、残念ではあるものの、もうすぐ離婚されるようだ)
このご長女の婿殿は長男ではあるが、彼の親御さんは姓を変えることを快諾された様子。
「氏(姓)」などにこだわらず全くどうでもよいとお見受けした。
しかしお婿さん、また旧姓に戻ることになる。
それはそれとして。

ご長女さん、きょうだいは妹しかいないからとしても親の姓を継ぐとは(親に言われてもいないのに、親が戸惑うぐらいなのに)感心なことだと思っていた。
別段、代々の屋号でもなく老舗でもなく生業とは関係ない、お勤めされている家で、古くからの「家」がどうこう、そんな意識や伝統や慣わしは無い都市部の核家族なのに。
夫に姓を変えさせ(なんのトラブルも逆風もなく)すんなり旧姓のまま結婚生活を続けていた。
昨今の世代、風潮なんだなあと、古い時代錯誤シーラカンスのわたしは、驚きと共に受け入れていた。
が、あまり年月も経たず、ほんの数年(2〜3年?)であっさり離婚。
結婚というものは、事実婚なのだと感じた。
(フランスのように)
今更ながら。
Aさんの妹さんの子供たちも事実婚で、(たまたま)子供はいない。
(籍を入れているのかどうかは知らないが)
そういう事実婚もあり、当時としてはわたしは受け入れ難い価値観であったが、今ならよくあることで、どうってことはないだろう。

お墓も自分世代でお終い。なので墓じまい。
お墓に入っているのは、夭折した子供と両親だけ。
今後、Aさん夫妻は、その墓に入らず、墓じまいを考える。
だとすると、墓に入っているのは3人だけなので、小回りが効きそうだ。
墓じまいをもし、自分たちの代でしないなら、墓には今後5人入ることになる。
墓石設置にはスペース上、定員オーバーらしい。
なるほど。

しかし、墓を建てた時、自分が入るスペースを考えずに建てる段取りになっているのだろうか。
その後、入る人が増えたらどうなるのか?
霊園側の意向を聞きたい。
あまり墓事情には詳しくないので、そのあたりがよくわからない。
まだ一人もお墓に入っていない墓を購入した人も何人か知っている。
墓に入る人は誰ひとり亡くなっていない。
自分の墓を自分で用意。
昨今は、子供世代にとっては、親は親の墓を新たに買わないでほしいと願うこともある。
あるいは、遠くの、行きにくい墓を近くに移すケースがある。
霊園がよく墓の移転誘致をPRしている。

終活の一環として、家じまい、墓じまい、、、今の高齢の人々はそういう流れになっている。
シーラカンスどころではない夫が聞いたら頭から火を吹くだろう。
わたしは、何も家や墓を終わらせる、とは言っていない。意向もない。
今はそういう考え方をする人もいるご時世に移りつつある、と言いたいだけだ。
いきなり怒り出して頭から否定するのではなく、世の中の動きや流れを知るのは悪くない。
知った上で自分の進む道を決める。
何も世の中の流れに迎合しなくても良い。
逆行するのも一つの道。
なのに、あのカチンコチンは何だろう。
全く聞く耳を持たない。突然、激昂する。キレるのは病気の一種か。
選択肢を持った上で熟考し、考えを再確認、肯定して選び取るのが良いと思うが、選択肢すら与えない、頭ごなしは、次世代に反発されるだけだ。
誰も面倒な火種には触れない。なので、ほっておく。
優しく受け入れそっとしておくのではなく、諦めて放置する。


だが、自分が他界した後のことまでは、見聞きして確認できるわけがない。
次世代は、それより前の世代の背中を見る。
それでどうするかを決めてもらうしかない。

夫婦のどちらかが亡くなった時、はっきりした動きがあることは確かだ。
同時に他界したならまた話は別だろうけれど。
あるいは、老親が認知症で判断実行能力がなくなっていたら、子供が代わりに決めて進めるしかない。

ちなみに、自分のお墓を生きているうちから建てる生前墓は縁起が悪いとされていたが、近年は寿陵と呼ばれているようだ。
夫と同じ墓に入りたくないという妻もいる。
現世だけで十分、あの世は別々でお願いします、ということだろう。
その選択肢は自分の永眠間近まで持っていたいものだ。(永眠しなくても、認知症で判断能力がなくなるギリギリまで)
その後は、知る由もない。
お疲れ様でした、である。




タラレバ後悔

2023-09-30 | 人生
何年かに1回、やって来る「あの時の過去に戻りたい」熱。
全く無駄で不毛な、時間を遡る熱。
ああすれば良かった、なぜそうしなかったのだろう、、、。
延々、悶々と迷宮へ。沼にズブズブ。

今日も朝からその熱の波はやって来た。
この波が一番初めにやって来たのは、結婚して1年目の時。
41年前。
なぜ、あの人と結婚しなかったんだろう。
あの人は、ストレートに真面目に直接、求婚の動きを見せてくれた。
親もかなり熱心に勧めてくれたのに。
わたしは、なんてバカなんだろう。
後悔した。
自業自得。

後悔しても始まらない。
第一、あの人と結婚していたら、今いる子供たちも孫たちも、この世に存在しない。
それを思えば、どんなことにも替えられない。
でも、何十年かに一度、ふと、頭をかすめる。

別にその人とは深いお付き合いがあったわけではない。
お見合いで初めて出会い、3回ぐらい会っただけ。
手も握らなかった。
3度目ぐらいに会った時、直接、わたしの家に挨拶に見えた。
わたしはまだ22〜23歳だったので、学校を出たばかり(ひょっとすると在学中??まさか?)、地には全く足が着かない夢だけ見る、無知な女の子だった。
ほんとに、自分でもハッキリ言うが、バカだった。
バカまるだし。

単なるふわふわしたバカが、揺らぎないバカに確定していくプロセスがある。
時間の積み重ねで、バカ認定が濃厚になった。
だが、結婚して最初の1年でそう思ったには何かあるのだろう。
それが何なんだかよくわからないということは、たいした何かではないと思われる。
夫もわたしも若いし、未熟だったと想像する。
若さに躍ったには、自分が若かったからだ。
落ち着きのある大人に魅力を感じるには、わたしはあまりにも幼稚で浅い人間だった。
そんなことを言っても始まらない。
神様は一人一人に合った人物をマッチングさせてくれているに違いない。

結婚、離婚、再婚を繰り返す人もいる。
わたしには全くそんなことは考えられなかった。
せっかく努力して、苦労して、選び選ばれ、結婚したのに、リセットする理由はない。 
気に入らない小さな理由は、チマチマあったとしても、取るに足らな過ぎる。
DV、不貞、酷いハラスメント、ギャンブル依存症、アルコール依存症、病的な何かの依存症、虚言症、、、などなど、誰が見ても破綻を来たす理由なら、とっとと離婚するだろう。
わたしの力で更生させてみせる、などというタフで殊勝なこころは、残念ながら1μ(ミクロン)も持ち合わせていない。
わたしは、ダメンズには絶対なびかないタイプ。
ダメな男性は嫌いで、近寄りたくないし、なぜか、ダメンズも近寄って来ない。

(広義の意味では)ダメンズではなく、人には言えない(ブログでしか愚痴れない)小さな不満しかなくて、運が良かった。
そう思うと、不幸ではないということは、幸せなのだ。
何をこれ以上、望む?
望むとしたら、この上なく厚かましい、欲どしい。

でも、ふと、思い出す。 
ふと思い出しては、やはり今が良かった、それ以外は不可能、と再認識する。
過去には戻れないのに、タラレバ仮説を立てても不毛なだけ。
ただ、どうなっていたかな?と、想像するのは楽しい。
失恋小説を読む気分。
人生をいくつも味わっているようで。

インターネットで調べてみると、その人のルーツはとてもよくわかる。
仮にその人と結婚していたとしても、今とそう変わらないような気がする。
(今のほうがちょっと格は落ちるかも知れないが)
でも、そうなっていたら、少なくとも、今、この世に存在する子供や孫たちはいないわけで、現在の子供や孫たちの上を行く幸せは想像出来ない。


※ちなみに。
昨夜は中秋の名月。
明度、彩度、ぴかぴかのお月さまだった。
写真はスマホで、イマイチなのが残念。






何もしない楽しさ

2023-06-14 | 人生
映画をサイトから有料配信して自宅で観ようと思った。
が、出来ない。
想定内。
がっつり※(がっかり※の入力ミスではありません)、わたし、最新通信機器が使えない世代。
気に入った映画を選ぶ手前までID登録、ログインして準備したが、肝心の、TVで観るところまで行かない。
このTVは夫や孫たちも録画したものやケーブルTVを観るから、変なことになっては皆んなが困る。
なので、自分しか使わないモノなら構わないが、他のひとたちも利用するため、自信ないことは失敗を恐れず無理やりやって迷惑かけたくない。
優しい娘婿にお願いしてみよう。
頑張らずに丸投げ。
そうやって、どんどん新しいことに挑戦しなくなる。
益々、脳が萎縮していく。

昔からの仕事仲間で、全く通信オンチがいる。
ほぼ、何も出来ない。
娘さんに全て設定してもらって、自分は、最後の「go」のタップするだけ。
でも、自分でやっていると自慢している。
こういう性格の人は強い。
良い人生が送れる。

と、イヤミのひとつも言いたくなる。
わたしが、やりたいが出来ないことの一つに、最新通信便利ツールがあり、使いこなせない。

あんなに昔に画期的発明をしたエジソンはスゴイ。
通信ではないけれど。
だが、通信は、絶大な革新が起きる反面、その一方で情報操作など弊害も生み出す。


さて。
話は変わる。
今までやってきて、楽しかったことと、楽しくなかったこと。
それを振り返り、楽しかったことを思い出して、その方向に沿って進みたい。

かつて、ジムに7年通った。
スイミングやマシーントレーニング、エキソサイズ プログラムに参加した。
これは、今の身体を作るのにほんの少しは役立ったかも知れないが、楽しくなかった。
7年やって、ご苦労様と、自主設定タスクから自分を解放した。
憂鬱な気分が、ぱ〜っと晴れた。
良かれと思って自分に鞭打ってやることは、やがて重荷になり苦しくなってくる。
そもそも、体育系は苦手で運動は嫌い。
でもそれでは身体に良くないだろうと、頑張ったが、やはり嫌いなものは嫌い。
嫌いなのに7年やったのだから、まあ良しとしよう。

学生時代は勉強は大の苦手で大嫌いだったが、絶対に避けて通れなかったので、無理やり歯を食い縛って?(へんな表現)頑張った。
その時に頭に入れたことは、今でも覚えているから、まあ、苦労は報われたというほどではないとしても、マイナスではなかったのだろう。
が、精神的にはマイナス。こころに傷を負った。
頭が悪いのだから仕方ない。
悪いなりに頑張った、と自分の傷を舐める。

楽しいと感じる好きなことは何だったのだろう?
書くと恥ずかしい。
若気の至りっぽいことが多い。
アタマが弱い若い女の子にありがちな、そういう女子だった。
若いのだから仕方ない。
どんなことが楽しかったか、一つ一つ列挙しようと思ったが、恥ずかし過ぎて出来ない。
その頃と同じことを今、しても楽しいかといえば、そうでもない。
若さを楽しむ年齢が過ぎた。

仕事は楽しかったか?
否。
辛かった。が、わりと平気だった。
ではあるが、社会を知り、表面的な浅いところから少し奥深くに行ったかも。
貴重な経験をした。
キンキラした、ゴージャスな遊びの世界にも行こうと思えば行けたのに、行かなかった。
わたしの母も、交友関係は、派手な華やかさとは真逆の、とても地味な真面目な人と親しくしていた。
ド派手ケバケバは嫌いなんだろう。
自然ネイチャー素朴派。

わたしは、中途半端だ。
読書したり、何かに夢中になって研究したり、のめり込んだりもせず、何もせずに今日に至る。
これからもその延長上にあるだろう。

幸福な結婚をして(これだけブログで愚痴ってはいるものの、不満は幹ではなく枝部分)子供に恵まれ、そして無事、巣立ってくれたのは何よりだ。
今は趣味も見つかり、楽しんでいる。
あとは、静かに老いていくだけ。

そう書くとミもフタもないが、よくよく考えてみると、充実した幸せな時間だった。
十分楽しませてもらった。
今となれば、これ以上望むものはない。
なんて、もうすぐ死ぬ人みたいなことを言っている。
でも楽しい毎日だ。

「楽しい」にも温度が人よりも低いかも知れない。
出る杭は打たれる。だから、出ないで土の下。
地下から世の中を見る。

それにしても、、、
映画に話をもどす。
認知症をテーマにした映画は観たくない。
老いと対峙するものも重い。
役所広司が先日、カンヌ映画祭で最優秀男優賞を取った作品が観たい。
彼が、「どんな時が一番楽しいですか?」とインタビューを受け、答えていた。

「何も予定のないお休みの日に、今日は何をしようと、考えて、1日が終わる、というのがとても楽しいと思います」

この答え、頷いた。
わたしと全く同じだ。
違いは、偉業を成したか、全然何もしてないか、そこだ。
そして、忙しい真っ最中の役所広司が、スケジュールが空いた日が無さそうなこと。
まるっきりわたしとは真逆だが、得られた幸福感が同じなら、結果良ければ全て良し。
わたしは、一市民なので褒められることもないが咎められることもない。
わたしが楽しく、周りにも影響も与えてないが、迷惑もかけていないから良い。
普通の凡人が得られる最大の喜びかなと、一人でニヤニヤ、ニコニコしている。

※写真は昨日のお出かけ先。



ご縁

2023-03-22 | 人生
まずは、侍ジャパン、おめでとう!

さて。
話は変わり、、、
コントロールが要。ふむふむ。
豪速球を力まかせに投げてもなあ。
そうアドバイスをいただいた。
なるほど。
コントロールは大事なのだが、制御できないとなると、たんなる暴走か。

まあ野球ならダメダメだろうけれど、普通の人生には暴走はつきもの。
羽目を外したことがない人もまた温度不足でツマラナイかも。

そういえば、最近、5歳女児(3番目孫)が、しきりに「ツマんナイ」と言う。
どういう意味?と、ママに聞かれても的確な答えは引き出せない。
「ヒマ」「退屈」という意味ではなさそう。
「何かが詰まってない」という意味だろうか。
面白くない、しょうもない、くだらない、間が抜けている、意味がない、、、そんなニュアンス?
否定型の一種ではある。
思っているものと違う、、、
肯定されない、認められない何かがあるようだ。

ツマラナく時間を過ごしている人。
行動を見たり、話を聞くと、だいたいわかる。
ツマラナイ時間を詰まる時間にしたい欲求がある人もいる。
話に何かを感じる。
が、自分でどうしたらよいか、わかっていないんだろうなあ、、、という人もいる。
そういう時は、人と人の間に生じる化学変化を活用する。
いわゆる「ヒント」を得る。
問題意識を持ってないと、素晴らしいヒントなのに脳を素通りしてしまう。
後から気づくこともある。
敗者復活戦。

「幸運の女神は前髪しか持っていない」と、よく言われる。
わたしは、そうでもないと思っている。
たんに「逃した獲物は大きい」と感じるだけで、未練がましい。

なぜなら、趣味分野で前にペアを組んでいた人はわたしが、その人にタイムリーにアプローチしたことに対して、よく「幸運の女神は前髪しか持たない」と言っていた。
前髪を掴んでラッキーだったと喜んだが、掴み損なったほうがラッキーだった。
前髪を掴んだのはアンラッキーだった。
結果的には、失敗は成功のもと。
次からは失敗しないように学ぶべし。
学習能力をつけるための教材、試練。
人生に無駄はない。

で、思うのには、良くも悪くも「ご縁」。
結果良ければ全て良し。
ではあるが、「結果」はどの時点でジャッジするのか。
短期、中期、長期と分けてジャッジする。
どんでん返し、逆転なんていうものもある。
大器晩成なんていうのもある。

縁まかせでも、そう悪いようにはならないと思う。


本格的「居場所」探し

2023-03-20 | 人生
へらへらした、しょうもないことを書こうと思っていた。
が、裕さんから直球を投げられ、ガシっとグローブで受けようとしたら、指がグローブにちゃんとはまっていなくて、半分ぐらいボールがはみ出した。
もっとハエが止まるぐらい緩い球ならちゃんと受けられたかも??

さて。
万年へらへらのわたし。
鬱の気持ちを自分のことのようにしっかり感じてみようと頑張っても、やはり、調べたり、読んだりして知見として脳みそを経過しないと実感としては当人の温度では測れない。
想像することは出来るのだが、小さい頃から強く踏まれ続けた結果、ガラスのハートは砕け散ってどこかに埋まってしまっているようだ。
開き直りの精神からか。
突き詰めて考えていると、脳の思考キャパ耐用容量を超えて、眠くなる。
アタマ悪いっていうのか、神様からのプレゼントか。
負荷オーバーによる、自動的、苦悩からの解放。
しかもそれに加えて、老化認知症が人並みに、こんにちわ、と、やってきている。
来てほしくなく、追い返そうとするのだが、敵は上手(うわて)を行く。
3歩行って2歩下がり、また3歩行って3歩下がり、4歩下がり、、、時々4歩前進し、でもまた5歩後退し、、、。
見えない敵と遊んでいる、いや、闘っている。

自分の老化を手に取るように実感する度に、見聞きして知っている知識とピッタリ当てはまり、まるで答え合わせをして100点満点を取ったかのような気分になる。
模範回答を示す、老化の模範生。
つまり、通常、想定範囲内の老化である。
打ち勝つ気、ナシ。
努力する気、ナシ。
いらっしゃ〜い、と笑顔で迎える気、ナシ。
難しい顔で、渋々受け入れる。
突き返したところで、またやって来る。
いちいち騒ぎ立てるのが、めんどくさい。
というわけで、老化と「仲良く」ではなく、「嫌々」付き合っている。

熟年離婚しようとしている相手も老化進行中。
あらま、ちょっと待ってよ〜、
と、事態が落ち着くのを待つと、自分もどんどん老化のスピードを上げていく。

「居場所問題、どうなった?」
「ごめん、今、探し物の真っ最中」
それどころではなく、
あれ、ここに置いていたはずなのに見つからない、、、
と焦る。

渡っている桟橋の後ろから、橋が崩れ落ちていく感じか?
アタマ良い人、羨ましいなあ、、、。
わたしは、アタマが良い人に囲まれていないと不安である。

と、論点はズレにズレて。
日本人の同調圧力に弱いところとか、忖度(そんたく)とか、あまりホイホイと離婚しないところとか、
それには背景がある。歴史と文化。
そして、別の国には、別の国の歴史と文化がある。
違いを楽しむのは理想だが、そうも言っていられない現実がある。
ちなみに、わたしは、日本語しか出来ないので、外国暮らしは至って不安。
どこへ行くにも、その国の言葉を理解できないと、どうにもならない。
高齢になって、国を追われる人は悲惨だと感じる。
言語は要。
言語を理解しないと情報が遮断される。
なので、わたしは日本でしか暮らせない(定住出来ない)。
なので、郷に入っては郷に従え。
とは言え、他人のことはあまり気にならないが。

さて、さて、話の着地点は?
直球ストレート球、嬉しかったです。
想像したり、推測したり、解析、分析するわたし自身の人生経験が狭く浅いため、解析のために抽出する具象の選び方が、偏っている可能性がある。
表面しか見てないかも知れない。
まだまだ奥を見る目、考える力が必要だと感じた。
でも、眠くならない程度にしか考えられない。

最後に。
「人間として居場所がないなんて、どんな風に生きてきたんだ?」
「仕事一筋です」
家庭は妻に任せて。
だからリタイア後、居場所がない。
仕事一筋のひたむき猛烈パワーを活用して、高度成長期を支えた。
燃え尽き症候群になったなら、それはそれでそれだけ全霊全身で頑張ってきたのだから悔いはないのでは?
人間として、、、なんて考えるヒマ、機会がないのでは?
ベルトコンベアに乗って人生は進んで行く。
チャップリンの映画に風刺としてそういうシーンがあった。

人間として?と考えていたら、受験勉強の手が止まる。
止まってそのまま、放浪の自分探しの旅に出る人もいる。
わたしの場合、本当の意味での趣味はなんだろう?
自分そのものを素材として楽しむことかなあと。
自分が自分で遊ぶ。
が、いつもいつも余裕があるわけではない。
深刻に真剣に、不安だったりすることがある。
一つ一つクリアされると、ほっと安堵。
何もない時、平常時が一番幸せだと感じる。



もやもやの原因を探る

2023-03-18 | 人生
まだ引っかかる、趣味の先輩Aさんにアドバイスされた「居場所」について。
どうも、もやもやする。

リタイア後。
したいことがすぐ出来るよう、日々スタンバイ。準備する。
今、したいことが無いとも言える。
あるけど、出来ない場合もある。

たまたま無いなら良い。
いつも常に無いとしても、本人がそれでよければ良し。
ごく稀にあるなら、それは素晴らしい。
あるか無いかわからないことの為に、一応、取り敢えずすぐ行動出来るように備える。
防災訓練みたいなものか。

しかし、健康オタクのように、健康なのに、その現況の健康を享受せず、不健康にならない為のことばかりにとらわれる。
健康を害することばかりが、強迫観念のように脳内に押し寄せて来る。
実に、もったいない。
健康を維持するのには努力も必要だろうけれど、今ある健康、幸せを噛み締めないと、いつ噛み締める?
もっともっとと上昇志向も結構だが、ある程度の人生を歩むと、もっともっとは、せっかくの幸せを目減りさせることになりかねない。
とはいうものの、健康であってこそしか出来ないこともある。

趣味の先輩Aさんは、自分が歩んできた道を遡ってのアドバイス。
仕事一筋でリタイア後、家にも、地域にも居場所がなかった男性が歩んできた道のり。
仕事もしたけれど、主婦もしながら、地域活動(自治会やPTAや地域の子供会)もして、ついでに仕事と子育てをしていた、女性としては、ごく一般的な普通の人であるわたしとは、順番も道も違う。
逆に、彼は仕事一筋で他を全て妻に任せていたということだ。
どういうこと?
誰のおかげでメシが食える?と、口には出さないにしても、普通に力むことなく淡々と思っていることだろう。
だがしかし、時代が変わると意識も変わる、、、のは、皆さんご存知のところ。
仕事さえしていれば、お金さえ稼いでくれば無罪放免、免罪符の時代は過ぎた。
働く本人の働き方も、ライフバランスがシフトし、仕事ばかりを優先して私生活が犠牲になる企業は敬遠される。

女性は、人生をいくつもの線を同時に走ってきている。
複数タスクを抱えてこなしていた。
しかも、収入を抑えろだの、時間を制限しろだの、家事育児に影響ない範囲なら仕事をしてもよい(許可制)だの、制約付き。
男性は仕事の中ではいくつもの案件を複数抱えていたかもしれないが仕事一筋。
子育ても家事も介護も家の行事も全部全力で抱えている人はどれぐらい、いた?
(中にはいたが、少数派)

この趣味の先輩Aさんは、わたしより少し年上と思われ、環境も普通なので意識も革新的でもなんでもなく、昔風なんだろう。
ずっぽり昭和の人。
だから、わたしが彼の「居場所作り」アドバイスに違和感を覚えたのだろう、と、今初めて理解した。
居場所作りにおいて、わたしは彼の何十年も先輩になる。
何を今更感がある。
とは言え、仕事をしない選択肢もわたしにはあった。
ということは、わたしは昔の価値観、ライフスタイルを採択したため、何十年も前に趣味を一通りかじることが出来たのだろう。
(しかしながら、仕事をしていても、趣味や仕事を離れた世界の中から選択して楽しんでいる人はいた)
余裕が無い人もいた。
仕事と趣味。難しい選択。
仕事が趣味、なんていう人もいる。

リタイアした男性の皆さん、多かれ少なかれ、その後の自分の人生と向き合うことになる。
女性もリタイア後は人生に向かうのだろうけれど、「女性は家庭」という古い時代も半分生きていたので、男性ほど、リタイヤと共に、無職の素の自分に向き合わなくてはならない切羽詰まった思いは強くないように思う。
温度差は人それぞれかも知れないが。


さて、夫源病。ふげんびょう。
最近の病気らしい。
西洋の地で青い目の奥さんと夫婦になって、一度も離婚したことがない日本男性。
この男性なら奥さんは夫源病にはならないだろう。稀有。
日本在住で、日本人夫と日本人妻でも離婚は増加している。
夫が家に居ると、妻が病気になるなんて、凄くないか?
言葉や行動で感じたことを示すのではなく、身体、体調、発病で示す。
学校に行く時間になると発熱する学生さんみたいなものか。

趣味仲間の老後男性たちも、「オトコは家に居てもなあ、、、」とおっしゃる。
後半の「、、、」の行間を読む。
じーっとして微動だに動かないでTVなどを見ていると、「掃除の一つもしたら?」と、妻の視線に無言のメッセージを感じるのだろう。
「ごはん、まだあ?」などと言おうものなら鬼の形相(だろう)。
お腹が空いても、ご飯の時間が過ぎていても、じっと待つ。
そんな感じを想像する。
だから、居場所が必要なのだ。
地域にも根を下ろしてこなかった、仕事一筋の生活から脱却しないと、居場所がない。
家に居場所を作るにも、ルームシェア的な、妥協の産物のような居場所であり、心安らげるものかどうか。

だが、まだまだ展開はある。
どちらかが弱って病気になって、介護が必要になる時が来る。
助け合わなければならない。
その時には、感謝される。
が、介護される側になると、それまでの家庭内労働チャージ、労務預金がないと、イジワルされる可能性がないとも言えない。
江戸の仇を長崎で打たれる。
趣味の居場所作りばかりに明け暮れていては、やがて来る将来も見据えないと泣きを見る。
元気なうちに、出来ることをする。
出来ることは、やりたいことばかりではない。
すべきこともしておかなければ、後悔が残る時が来ないとも限らない。

家の中に居場所がないからと外ばかりに目を向けず、家庭にはある程度の居場所も作っておくべきだ。
それには意識と努力が必要だ。
趣味の先輩Aさんも、外の居場所作りのアドバイスも結構だが、ご自分の足元も見つめ直すのも今後の展開には重要だ。
だが、わたしは、他人の家庭に土足でズカズカ踏み込むようなデリカシーのない無神経なことをする気はない。
押し付けがましい自分流考えや意見も言いたくない。
なので、静かに微笑んでいる。


恋に生きると、結婚できない?

2023-02-28 | 人生
美輪明宏さんが、TV(Eテレ)で人生相談を受けていた。
質問者は女性。
恋の悩み。

連れ子あり、バツ2の女性。
実家のお寺を継ぐにあたり、自分の女性としての人生を諦めるべきか?
条件にぴったりの男性が現れて、子供もなつき、その男性は資格取得にも前向きに動き、結婚するには最適。
だが、その人との結婚は、情はあるが愛がない、と相談者の女性は二の足を踏んでいる。

美輪明宏さんの発言。

あなたは、女としての道を選ぶのですね。
まだ恋をしたい。好きな男に抱かれたい欲求があるのですね。
そうするなら、実家も捨て、子供をシングルマザーとして育てられる経済的自立も精神的自立も不可欠です。
恋を手に入れるには相当の覚悟が必要だということを自覚しなさい。

ぴしゃり。
気持ちいい答え。  
確かに、その通り。
悩みとは、、、どっちつかずの時に生じる。
どうしようか迷う。
片方を捨て片方を選ぶと、捨てたほうが諦めがつかない。
両方捨ててリセットする勇気もない。
片方だけでも残れば良いのでは?

わたしが印象に残ったのは、、、
「あなたはまだ恋をしたいんですね?」
恋していない相手と結婚したら、恋の望みが絶たれるということ。
しかしまあ、相手の男性がとても気の毒だ。
恋してなかろうが、条件を全て飲んで連れ子の父親になって結婚してくれる男性に対して、感謝の気持ちはないということ。
おんなごころは複雑。
美輪明宏さんのほうが、ずっとおんなごころがわかっている。
自由と義務。自由と責任。
自分の思いを叶えるためには、何かを犠牲にしなければならない。