蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ヒマの定義

2008-11-05 | 読む人々には興味ない話
「ヒマ?」と聞かれることがある。
「退屈?」なのか、「時間、あいてる?」なのか。
答えようによっては、気が進まないことを押し付けられる場合もある。

ヒマの定義が、人や場合によって違う。
ヒマ→退屈、何もすることがない。
ヒマ→時間の都合がつく、特別に予定が入っていない自由時間。

ヒマという言葉の捉え方の違い。
私は、自由時間は、ヒマなどと思ったことはなく、大いに楽しんいでる。
ヒマ→自由時間。だから退屈することは決してなくて、自由時間は短い。
なにかと制約があり、拘束されている場合は、中途半端だ。
仕事の上での「ヒマ」は、また違うが。


ぼーっと何もしないのも、することがないからなのか、
それとも、あえて、何もしないのか、
受動的なのか、能動的なのか、それが大事。
したいことが、したくてもできないから、ぼーっとヒマしてるのか、
したいことも別になくて、ぼーっとしているのか、
ぼーーっとすることを、こよなく好んでいるのか。

ベトナムの人々が、道端で、ぼーーーっと、延々と道行く人を眺めていたり、
何をするのでもなく、たむろしているのを見て、
彼らは、いったいどういう心境なんだろう・・・と思った。
くつろいでいるのか、何もすることがないのか、退屈しているのか、
何も考えていないのか、・・・その心の中は?
国民性気質の違いもあるだろう。


受動的行為と、能動的行為。渋々しかたなくなのか、自発的か。
買いたくても、お金がないから買えないのか、それともお金があっても、買わないのか、
結婚したくても、できないのか、それとも結婚したくないから、しないのか、
学歴は自分にとって必要ないから、進学しないのか、就職希望だから、進学しないのか、
勉強が嫌いだから、進学しないのか、なんにも考えないで流されて、進学しないのか、
経済的事情で、進学できないのか、学力の問題で、進学できないのか、
選択肢があるか、ないか、意識しているか、してないか、そういうあたりが違う。

することがないから、ゴルフをするのではなく、ゴルフするために働いていると言う知人。
趣味や、自分の希望にそった自由時間の使い方をする。
ヒマだから、何もすることがないから、ではない。

なのに、「ヒマだから、あれこれしているんでしょう?」と、いつも私に言う人がいる。
私のことをこれっぽっちも理解してもらえていないことに、とてもうんざりしている。
自分がそうだからって、同じように考えないでよ!と、私は憤慨する。

どうして、わかってもらえないのだろう。
私は、ヒマだからではなくて、したいから、してるんです。

基本的には、私はヒマつぶしは嫌いだが、
仕事で煮詰まった時など、貴重な締め切り時間をまるで関係ないことに時間を費やす。
自虐的ヒマつぶしの結果、意外な発見があったりもする。
締め切りに間に合わないこともあるという、リスクつきだが。
ゆったり、たっぷり時間を使った、普通のヒマつぶしでも、
焦っている時には見つけられないようなものに出会うこともある。

小学校高学年の時の担任の先生が、
「人生、死ぬまでのヒマつぶし」とおっしゃっていた。
小学生には理解不能の言葉だが、私の頭には不思議といつまでも残っている。

しかし、「ヒマの定義」など、わざわざ書いている私のことを、
「ヒマ人」と言う人がいても、しかたないような気もする。