蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

なんのためにブログを書くのか

2015-09-20 | ブログ

我が蝶ブログ、水をやらないと枯れてしまう。
造花にでもすれば、枯れないが、今度はホコリをかぶってしまう。

よしよし、いい子だ、ちゃんと美味しいものを食べさせ、気持ちよく安泰に過ごさせてあげるからね。
と、(精神的に)ご機嫌をとるわけだが、
いったい、どの行為に対してご機嫌をとっているのか?
(ご機嫌をとる=ケアする、メンテナンスを行う)

ちゃんと通常通りに快適に動くよう、お客様がおられない時も、フォークやナイフなどを磨いて、
時間を1秒も無駄にしないよう、アタマや目や耳、カラダや手を動かして、緊張感を保ち、
いつ出動してもいいように、スタンバイをキープしておく・・・???

というような精神は、ブログに関しては持ち合わせていないが、
自分の生き方に対して、そういうスタンスで臨んでいると、自然とブログも、そういうプロセスやら結果やらが染み出る(はず)。

わたしは、なんのために、誰のためにブログを書いているのだろう、と、前々から、薄々思っていたが、
(「読んでくださる方がおられてこそ、であります」と、カンシャの言葉を連ねるべきだ、と、
常識人のわたしは、わたしの耳元で囁く)
ところが・・・じつに不思議なような、不思議でないような、
実際のところ、真の愛読者は、わたしであることに気づいた。

読んでくださる方々は、わたしにとって、馬の目の前にぶらさげられたニンジンに過ぎない。
アクセス解析(あ、月々、有料です、ケチなわたしが、まあなんと!)で、どういう読まれ方をしているか、推測できる。
ニンジンはあくまでも、わたしにとっては、ご褒美であって(餌ともいう。モチベーションです)、
走り続けることに意義がある。
といっても、無意味に走るのは、これまた意味がない。

自分の道を探る、見つける、見い出す、創り出す、改良する、調整する、変化させる、
あらゆるコースを自分で試行錯誤して選び出し、
実践していくための、ひとつのメソッド、
自分が作る、自分のためのテキスト教材用の、資料集めみたいなものだ。
自分を知り、自分の納得できる人生を歩むための、
トレーニングジムに設置してあるトレーニング・マシーンみたいなもの。

自分の人生を楽しむための、ひとつのツールである。
うんとはやい話、超・カンタンにヒトコトで言えば・・・「趣味」である。

なあんだ、そんなことぉ・・・??

いえいえ、趣味は人生をバラ色に彩る大事な大事な要素である。
わたしの趣味を、ひいては人生を多彩に盛り上げるために、皆様に(ボランティアで)お手伝いしてもらっているのである。


趣味の世界って、いいなあ。
つくづく、そう思うのであります。

 

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