蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

妻を病気にする夫たち、が、夫ばかりが悪いわけではない

2015-09-08 | 暮らし

夫源病と名づけられた病気がある。

つい最近命名された病名で、現代病の一種。
妻が体調が悪くなる、具合が悪くなる原因が夫にあるというもの。

夫が定年後、妻の体に異変が起きる。
夫が仕事に行っている間、仕事を持たない妻は好き勝手に楽しく暮らしていたが、
さて夫が毎日、家にいるようになり、世話を一日中焼くことになる。
と・・・体調が狂うということに。

夫になってみれば、家族のためを思って頑張って仕事をしてきたのに、
定年になることを夢見て、それまではなにがなんでも・・・と、必死で仕事をしてきたのに、
家庭での受け入れ態勢の、このギャップ。温度差。

熟年離婚は妻から申し出るケースが多いようだが、
金の切れ目が縁の切れ目、と、ぽいっとサヨナラできるほど、まだお金に余裕のある人は多くないと思う。
別々の住宅に住むと、生活費はそれぞれにかかる。
独居の場合、年老いて病気になったときの不安もある。
見守りパトロール隊員と同居している、と思えばいいのか?
それにしては、あまりにも近い空間に常駐しているパトロール隊員、一挙一動が気になりすぎる。

ある医師が「夫源病」の名づけの親であるが、彼の著書で、
タイトルはちょっと違うかも知れないが「夫の一挙一動が気に入らないのは、なぜか? 」
というものがある。
読んでみたい。
「火花」は立ち読みで、ちら読みしたが、夫源病関連のほうが、ずっと現実的である。

なぜかというと、わたしにも、最近思い当たる節があるのだ。
どう見ても、夫が悪くないのに、ちょっとした癖のひとつをとっても、カンに障る。
「亭主の好きな赤烏帽子」の逆バージョンか。

さて、一般論として、・・・

亭主は被害者か?
どっちも、どっちか?

亭主元気で留守がいい、と、
好き気ままに自由を謳歌していた、亭主不在中の妻も、お遊び時間が過ぎたことを悟らなければならない。
パーティは終了だ。ゲーム・オーバー。
病気になって自滅するか、相手を病気にさせるか、そんな取捨選択しかないなら、
別れたほうがよい。

妻を亡くして、まだ1年あまりの人がいる。
寂しくて寂しくて、再婚したいと、言う。
夢を見ているように思う。
亡くしてはじめて大切さがわかるのは、健康と同じ。
妻を亡くしたからって、すぐまた欠番に補充するわけにはいかない。
永久欠番である、
が、熟年以上になって、再婚する人も少なくない。

後妻業には、くれぐれも注意。
お金は取られたら、被害額が、はっきりわかるが、
毎日、毒を盛られて命を削られても、減った分は、把握しにくい。
幸せと引き換えに、命を取られたら、馬鹿らしい。

幸せなんて、自分で掴むもの。
自分で作るもの。
人に、もたれかかったり、期待しても、だめ。

ちゃんと一人で立てるようになったら、夫源病も、被害者だか加害者だかわからない夫族も、
もうちょっとは、被害が少なくなるんじゃないだろうか。

 

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