わたし・・・最近、毒が、なくなりつつある。
かわりに台頭してきているのは、ボケ。
このボケの恐怖は、毒など吹っ飛んでしまう。
蝶ブログをお読みになる方にとっては、面白みに欠けることであろう。
毒に冒されて、ボケになるならまだ悲劇っぽくてナンなのだが、
ボケてきて、毒が効かなくなっている。弱い。毒が蔓延しない。
そして、「許せないコト」が、「なんだかどうでもいいコト」になってしまう。
ま、いいか~。どうせ、わたしも、ぼけぼけっとしてることだし~、と。
人格や性格が丸くなることは、悪いことではない。
と、嘆いているばかりではないのだが、代わりに、新たな毒が、外から押し寄せてくる。
「おかあさん、なんも考えてないね」
「自分で、なにかしようと思ったこと、あるの?」
うんぬん、かんぬん。
(これ、お任せ気分の旅行中に言われたこと。でも、いつも、だいたいこんなもの)
その天然、どうにかしてよ、とばかりに責めて来る長女。
わたしは、そんな高度な、高尚な、ハイレベルのことを目標にはしていない。
もはや、「天然」を通り越して、「老化」の域に達している。
したがって、なにを言われても全く馬耳東風なのだが、
恐ろしいのは、記憶が抜け落ちることである。
目立って自覚症状として悩ましいのは、モノを置いた場所を忘れること。
以前は、背筋に冷たいものがサーっと降りてきたが、
今は慣れっこになってしまって、ああ、またか、と、余裕の自己対策までも確立している。
「落ち着け、落ち着け。
今は、焦っているから思い出せないだけ。
時間がたてば、思い出すに決まっている」
ここに無ければ、あそこ。あそこに無ければ、次のとこ。
次から次へと見つからないと、いったん、脳の電源を切る。
時間をおいて、一番初めに探してみて見つからなかった場所に、もう一度、戻り、一から探すと、見つかることがある。
焦ると、集中力を欠くようだ。
脳の解析機能が劣化し、著しく容量低下。回路は、すぐヒートアップして、システムダウン。
あぷあぷ。わあわあ。
我が母、人生の大先輩。
今、わたしのボケの大先輩となっている。
DNA的側面から見ても、もともと、母もわたしも、あまり賢い頭脳の持ち主ではない。
ボケは特に遺伝的要素、大で、恐怖である。
次女に言わせると、
「おばあちゃんは、おかあさんの30年先。おかあさんは、わたし(次女)の30年先」
みんな同じこと。時間をスライドさせると、通る道。
・・・なんだけど、90歳でもシャキシャキ、バリバリの、かくしゃくとした人もいる。
まあ、年齢がそう高くなくても、逆の場合もある。
個人差があるということだ。
ボケと、毒、どっちがマシ?
う~ん・・・辛い選択肢である。