蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

価値観が合う、合わない

2018-02-09 | わたし
誰しも許し難い、認め難いことがある。
見なかったことにしよう、と見て見ぬフリをしたり、脳から指令し視聴覚を遮断する。
思考をストップさせ、消去する。

でも、根絶したわけではなく、また同じ現象に出くわす。
また、忘れる努力。
また、出くわす。 また、忘れる努力。
それを繰り返すと、よけい脳裏に刻まれ染み込む。
いっそ大手術をしたほうが、マシだったのか?

持病を抱えて一生暮らす。
処方された薬を服用しながら。

自分の欠損に、その原因がある。
そう考えると、救われない。で、病気は益々深刻化するので、「わたしのせいではない!」と周りや社会のせいにする。
ちょっとは、マシになる。
いくら、自分のせいではなくても、自分を不快にするものと一生付き合わなければならない。
まあ、誰もそういう虫を一匹やニ匹持っていると思うが。

自分以外の他の人をなぜ認められないのか。どうすればいいのか。
自問自答、トライしてみる。

価値観が違う人とは別離すればよい。
価値観はだいたい同じだが、生活スタイルの感性が違う人とは別居すればよい。
感性は同じだが、価値観が違う、とか、
価値観は同じだが、生活スタイルが違う、とか、
感性は同じだが、生活スタイルが違う、
価値観は同じだが、感性が違う、
生活スタイルは同じだが、価値観が違う、
生活スタイルは同じだが、感性が違う、
などなど、、、
究極の理想である、価値観も感性も生活スタイルも、どれも一致していたとしても、お互い微妙に変化し、ちょっとしたズレが非常に気になる。
いっそ、全く違うほうがマシかも。

しかし、価値観は外せない。
価値観が違う人とは、接点がない。
一、価値観
ニ、感性
三、生活スタイル(同居する場合)
家族以外は(基本的には)同居はしないので、価値観と感性が合えば、それで十分だ。
家族でも三つとも合うことは難しい。

これに、
経済事情や社会背景、教養などが加味される。
性格や嗜好は、感性に含まれるかも。
合えば良いが、合わなくても他で上回ることがあればオッケー。

わたしが望むことの内容が、あれもこれもと、あり得ない非現実的である場合がある。
欲張り。
全ての要望、欲求を満たそうとすると破滅する。
自分の欲に溺れる。
足るを知るほうが幸せになれる。
なにか、一つでも良いことがあればよい。
加算法。二つもあれば、超ラッキー。
不満を数える減点法は良くない。

と、自分の不満の全容を紐解くと、こころが落ちつく。
どうどうどう、、、馬のお腹を撫ぜるごとく、怒りを鎮める。
嫌なこと回避の「手術」ではないが、漢方薬のようなかんじ。
すぐには効かないが、長期戦でじわじわ効果があることを期待しよう。

【補足】
上記のどの条件も合わない人とも関わりがあるケースがある。
やがて淘汰されると予想している。

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