蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

懺悔

2020-08-02 | 日々のこと
ブログに向かう時間が取れない。
やたらめっちゃか忙しい。
あれと、これと、それが同時進行。
具体的に書きたいのだが、ひんしゅくを買うので書かない。
読む人は、これでは感情移入のしようがない。
ああ、つまらない、といってUターン。
すみません、ゆっくり時間が取れるときに、見捨てず、ぜひお戻りください。

こうやっても、2日かかって練りに練って取り組んだ記事をアップした時より、未投稿の日のほうが、不思議と閲覧数は多いことはしばしば度々ある。
人様の動向、反応にはあまり気にしないことだ。
と、長年の自分のブログで学んだ。

なら、あれと、それと、これの同時進行の具体説明をすればよいものを。
実は、ひんしゅくを他人から買うと予想するのは、自分自身がやましいから。
なので、明るみにせず、やましいことは、こころの中に閉じ込めておく。
キリスト教なら、懺悔というものがあるようだが。
わたしは、キリスト教徒でもないし、懺悔もしない。
懺悔するとしたら、自分の胸の中で。
懺悔室は、自宅、寝室の裏にある。
(嘘です)

胸の中は吐き出せない懺悔だらけだが、全て自分の蒔いた種。
こんなにあるわ〜と、自分が自分に驚いていたらよいのでは。
人に相談したり聞いてもらったり、わたしはしない。
カウンセラーは、自分。

他人の目から見ると、自分では気づかない発想があると思うが、わたしにしてみると、他人はなぜそんなに視野が狭い?と、うんざりする。
わたしのことをわかっていない。
当たり前だ。
自己開示してないから。
わたしに関する情報がない。

医師が患者さんに診察しようものにも、ただただ「調子が悪いんです」ではどうしようもない。
血液や尿、レントゲンなど検査オンパレ。
原因が分かると人は安心するものだ。
不治の病だとわかると絶望するだろうけれど。

今、ALS嘱託殺人事件が取り沙汰されている。
あれは深刻すぎてわたしの手には負えない。
わたしなら、きっとなにか宗教に入信すると思う。
いや、古来の伝統的仏教に自分流解釈を加えることだろう。

とりあえず、忙しいうちが、ハナ。
懺悔することもあるうちが、ハナ。
生きている証拠だ。