ぽっかりこころに穴が空いた。
あの人のいない、ここ。
あの人は出て行っても、ちゃんといつものように本日のブログをアップしている。
ミュンへンに元気よく暮らしている。
何も変わらないではないか。
でも、わたしの虚無感は何だろう?
日々の慌しいタスクや日課に追われてまたいつもの日に戻るのだろうか。
また新しい人が彗星のごとく現れるかも知れない。
さようならは、こんにちは、の始まりか。
なぜか、意味なく、くよくよしている。
日常には何の変化もないくせに。
蛾は、ぼやくらしい。
博識ブーツ先生がおっしゃっていた。
しかし、蝶はパタパタ粉は散るようで、はた迷惑だ。
イメージが良くない蛾じゃなく、蝶になりたい、、、。
でも、蛾も蝶もあんまり変わらないようだ。
ミュンヘンのあの人の今日のブログにあった内容。
友人がうんと歳下の20代の男性と同棲を始めてラブラブらしい。
お姉さんの結婚の際、「寂しさを埋めるための結婚はダメだと、父親に強く言われた」と、あの人は書いている。
結婚はダメだろうけれど、同棲ならいいかも?
「結婚でも癒しがあるなら結婚もよい」と、あの人のお母さんは言ったとか。
うーーん、、、わたし、、、
同棲経験ナシ。
癒しの結婚経験ナシ。
今ではどんな好きな人とも一緒に暮らしたくない。
娘や孫とも。
別居が良い。
究極の自己中。
ずーっとずーっと一緒にいたら、息が詰まる気がする。
目的がある時に集まるのがいいなあと。
目的なく、じっと一室でいると、たとえ愛しき娘とでも会話に詰まる。
愛情と会話は、別物だろう。
まして、愛する男性と暮らしたら、一週間でバテそうだ。
破綻する。
愛が強すぎる。
わたしの愛は、日常の生活には不向きである。
非日常のイベントで盛り上がる。
日常は静かな暮らしが好き。
大音量や、アンチ省エネは勘弁していただきたい。
若い頃に一緒に暮らしていたら、どんな風だっただろう?
「姑」「舅」「姑の姑」とは一緒に暮らしていた時期がある。
といっても、「姑の姑」は、別棟に住み、家計も別だった。
わたしの実家でも母と兄夫婦は一緒に住んでいたが、階数が何階もあるので、一日中、顔を合わせないこともあるだろう。
だが、いくら距離空間は上下に離れていても、お互い、些細な生活様式で気に入らないこともあると思う。
逆に居住地が離れていても、こころは繋がっていることはある。
ただし、わたしの場合、数時間以内で往き来出来る、距離範囲内でなければ、繋がりがピンと来ない。
飛行機に乗らないと行けない場合は、むしろ、ソウルメイトになる。
それも人生で片手の指でカウントできる人数で収まる。
そうたくさん、何人も要らない。
その、勝手に一方的ソウルメイト認定していた、ミュンヘンのあの人。
あ〜あ、、、
コンタクトしようと思えば出来るだろうけれど、わたしは消極派なので、もたもたして機会を逸することだろう。
でも、一方的ソウルメイト、国外を始めとして、関東にも、関西にも、他のエリアにも、皆さんが頭がクリアでブログを書く気力が続いている限り、わたしは勝手に一方的に繋がっている。
直接、コンタクトすると鬱陶しがられそうなので、時折、ブログ内にふと登場するような気がする。
わたしからの一方的ソウルメイトの皆さん、よろしくお願いします。