蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

どんな風に見える?

2020-08-05 | 無題
さきほど、ほぼ書き終えたブログ記事があるのだが、それを放置して、別のことが書きたくなった。

わたしの外見について。
美醜とかそういうのは、横に置いて。
わたしは、透明人間的要素がある。
居ても居なくてもあまり存在感がない。
自分臭を発揮しない。
中身が外に現れない。
口を開きさえしなければ、見る人の勝手な目で見て思い込まれる。

なので、海外(アジア)旅行中では現地在住の人と間違えられ、現地の銀行の街角営業マンに口座作りキャンペーンを持ちかけられたり、、、
日本では、カルチャーセンターで社交ダンスのレッスンに参加するための手続きをしようとすると、先生と間違えられたり、、、
FM局が入っているビルの一階の前で待ち合わせていると、マネージャー的な人にFM局の人と間違えられたり、、、
保険屋さんに見えたり、医師に見えたり、教師に見えたり、スナックのママや女の子に見えたり、、、
学生の時は、主婦に見え、賃貸公団住宅だかどこかの住居斡旋を受けたり、、、。

どれもこれも、全く関係ないのに、その場にいると、その関係者に見えるようだ。

一瞬の見た目だけではわからない。
が、化けの皮は、即、剥がれる。

現地やその場の雰囲気に同化してしまうのだろう。
違和感がないというか。

もし、わたしが頭がキレて才能があれば、詐欺師になれたかも知れない。
残念ながら、動機がないし、犯罪には興味もないので、その道には近寄ることはなかった。

いつも言われるのは、口さえ開かなければ上品で大人しそうに見える、と。
ただし、一言も発してはいけない。
これは、褒められているのか、けなされているのか。
(読んでいる側にすると、嫌味な自慢タラタラだと感じる、拒絶反応を示す女性は絶対にいると思う)

現在、ある人は、わたしのことを外国人だと思っていた。
外国では現地の人に見えて、日本にいると、外国人に見えることもあるようだ。
ということは、日本人風ではないということか。

いずれにせよ、全てに共通して言えることは、見かけ倒しだということだ。
若い頃から若くない今も、ずっと同じようなことを言われ続けている。
わたしの生き様は、顔に出てないということなんだろう。
というか、生き様自体が、実体のない、バーチャルなものだったりする。

今なら、なんの変哲もない、ユニクロ・ヘビーユーザーの、単なる若くない普通の女性。
事件がなにかで、100人の人に目撃証言をお願いしたとしても、誰も印象に残ってないだろう。
これといって特定しがたい、埋もれた顔、姿。
透明人間かも知れない。

先日観た映画「コンフィデンスマン  JP プリンセス編」で主人公が言っていた「信じると嘘でも真実になる」というセリフが、やけに頭の隅に残る。