今日も豪邸。
このお家、昭和7年に有名なお殿様の子孫が東京で自らが独学で設計し完成されたもの。
第二次世界大戦後7年間、GHQに接収された間は、施主は敷地内に小さな家を建て住んでいたとか。
その後、返還され、1999年、103歳で施主が亡くなり、敷地売却に伴い取り壊されることになったが、歴史的価値があり遺すべきとの声があがり、愛知県岡崎市に寄贈されることになった。
解体、(東京から)輸送、再び組み立てられ、岡崎市で復元されたのは平成24年。
はぁ〜。ご苦労様。
それにしても、このお殿様の子孫、由緒正しい本多忠次さん、長生きされたものだ。
なんと103歳!
この人がこの世を去るまで遺族は手をつけられなかったのだろうが、激動の時代を生き抜いた執念とも言えそう。
(晩年、最期はどんなかんじなのかは詳しくは知らないが)
三○ホームのモデルハウスみたいだった。
家具は、重厚で某ブランド○○シリーズ展開された家具のよう。
(実際は、別注オリジナル)
住宅メーカーは憧れのテイストを取り入れ、庶民に夢は託されたのだろう。
鳩山兄弟のご実家もこんな感じの設計、間取りだったような。
他にも松坂屋の元祖の伊藤さんの大邸宅。
最初は敷地1万坪の広大な土地に各地から移築された名建築もズラリだったらしいが、縮小された。
まるでテーマパークのよう。
東海にはVIPをお迎えする迎賓館がないので、迎賓館の役割をしていたとか。
素晴らしいのではあるが、、、
わたしは、へんに国内外あちこち見て回っているため、目が肥えてしまい、どうもいけません。
内装に、インド風、中国風などのテイストを盛り込んであるが、あくまでも○○風なので、どうも、うさんくさい。
施主が施工直前に訪れた国で受けたカルチャーショックを反映しているのだろうけれど、特徴を強調するあまり、ギタギタ、ギラギラして、塗りもテカテカ。線もやたら太い。
前解説によると、「派手さを抑えた上品な嗜好」ということなので期待したが、、、
わたしの好みではない。
本場、本物に勝るもの無し。
と、可愛げのない感想。
100年近く経つと、当時のまま維持すること自体が困難。
莫大な維持費、メンテナンス費用がかかる。
関係ない外野は入場料を払って写真をパチパチ撮るのみ。
しかし、昔のお金持ちの豪邸は、お手伝いさんがいないとやっていけなかった。
接待部分と生活部分、主人家族と使用人。
4つのゾーンに分けられた。
が、取らぬ狸の皮算用で、あり得なく何の意味もない仮定だが、
わたしなら、嫌だ、そんな生活。
金持ちになってから言え!と、お叱りを受けそうだが。
最後は、格式ある重厚なクラッシックホテル(1912〜)で昼食で、このツアーは〆だった、、、。
参加者は、お一人様8人、ご夫婦6組。
お一人様は、全員女性。
参加男性は、奥さんの要望で引っ張って来られたと思われる。
いかにも女性好みのツアーだった。
最後のお一人様席で盛り上がったのは、相続の話。
なぜか、ここで、ぱーっと花が咲いていた。
不思議な面白い現象だった。