蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

専業主婦

2022-05-11 | 時事&世の中
ママ友とのランチ会!
ママ友たちが専業主婦だと、目の敵にされる場合がある。
残念ながら、わたしの周りには専業主婦ランチ会はなく、あるとしたら老人会ランチ会か?
といっても、両方参加しないが。

そもそもランチ会、あまり好きではない。
「美味しいものを食べる会」や「ランチしながらコミュニケーションをとる、情報交換する」なら悪くないが、ダベるだけの自己顕示、自慢の会ならNG。
暇つぶしの会も、ノーサンキュー。
子育てや家庭でのストレスが溜まって、しゃべって鬱憤を晴らす、こころの病気にならないための自己防衛策なら良しとしよう。
ただし、一方的に話すばかりではなく、聞くこともしなければならない。
順番に胸のうちを吐き出す、被害者の会みたいなものもある。
閉ざされた個人的なものの場合、カウンセリングなんてのもある。

どうやらそういうのではなさげな、ママ友ランチ会。
ひと昔前なら、富裕層的ファッションに身を包んだ、おしゃれで美しいママたちが、都心の高級ホテルでランチ会なんていうのもあったようだ。
(今もある?)

いつの時代からか、専業主婦は肩身が狭くなってきている。
なので、堂々と、そんな税金泥棒的な目で見られるかも知れないような行動を白昼やらかすのは避けたいところだが、意識や価値観は人によって違う。
自分独自の独立した能力で経済力を持っているのは素晴らしい。
そのためには、優雅におしゃべりランチには興じられないはず。
情報収集だとかミーティングを兼ねてだったりする。

ちなみに、、、
ヨーロッパの上流階級には、ノブレス・オブリージュという概念がある。
上流層の人には上流が故に果たすべき義務があるらしい。
(国の戦いには王族自らが戦闘地に赴くなど)
日本には根付かない概念だそうだ。
日本では、その概念を無理やり既存のものにあてはめると「おかげさまで」「感謝」などになるとか。
外国のチャリティーイベントもその宗教的教えの一環かと想像するが、仏教の歴史が長い日本にはあまりチャリティー精神が形成されていない?

と、いつもながらに話は逸れている。
ママ友ランチ会も、富裕層であるなら、自分たちだけの楽しみや遊興に終わらず、もう少し視野を広げて活動していただきたいものだ。
が、絵に描いたような理想はさておき、我が子のお受験の情報などをにこやかに談笑しながら(必死で)入手するのも、誰に後ろ指されようか。どこが悪い。
自分の幸せを自分で掴みに行きたい、積極的行動である。

打画鹿市、、、(盗用はやめようね、はい)
かつて、過去、わたしが中学生の時、子供(1学年上と2学年上のクラブの先輩)の教育に熱心なあまり、置かれている状況以上に無理をし過ぎて、結果的に法に触れる事態を起こした母親がいた。
その子供である先輩たちはとても素敵な生徒たちだった、、、が、その母親は加害者。
被害者は、わたしの母。
熱心なのは良いが行き過ぎや、手段構わずというのは良くない。

話を戻す。
問題は、皺寄せを受ける人がいる場合。
国の(一部)税金で保育してもらっているなら、保育中、ママたちは何をしているのか中身を問われても仕方がない。
とやかく言われたくなければ、お抱えナニーや保育士さんを自費で雇っていただくしかない。
そんな優雅なケースではない、保育所に
預けられない諸々の例外もあるようなので、一概に言えないのが複雑なところ。

対価を得るための労働。
「労働して対価を得る」という順序が理想だが。
生活環境によっては理想ばかり言ってられない。
現実とはそういうもの。
そして、働きたくても働けない人もいる。
ママ友ランチ会とはまた違う世界である。