長女の男児、学童孫。
少し兄Yより早めに我が家に来た弟K。
弟Kは、いつも兄Yにパワハラ路線を押し付けられているため、一人だと伸び伸び。
何をして遊ぼうかな、と自由な選択。
Kはピアノの蓋を開けた。
何やら弾いている。
そう悪くはないが、こそっと指使いを見ると、人差し指。
パソコンのキーボードと同じ。
習っていないから仕方ないか。
学生時代の元クラスメイトは、子供をピアノ嫌いにしてしまったと悔やんでいた。
わたしも、である。
強圧的に熱心に取り組みすぎて、子供は押し潰されたようす。
なので、孫には自由に、めちゃくちゃな弾き方にも目をつぶる。
好きに音を出して楽しめたらよい。
おじいちゃん、おばあちゃんは、子供の教育に責任がない。
遠くから眺めて、万が一の時のセーフティネットとして存在するのみ。
お互い、気楽。
楽しく接することが出来るのは、じじばばの特権である。
「あなたのお母さんは、、、(こんなにスゴかった)」
「あなたのおじさん(お母さんの弟)は、、、(あんなにスゴかった)」
などと、自分の子育てを引っ張り出してきても、孫たちにしてみると鬱陶しい限りだろう。
子育てを終了した後、孫に自分の子育て自慢をするなどとは、イタい以外のなにものでもない。
どうしても自慢したいなら、山奥の土中に穴でも掘って、穴に向かって叫んだらいかがかと。
時代がこうも変わるものなのか、と目の前で繰り広げられる令和の子育てを見物席で楽しませてもらっている。
厳しい面と、甘い面があり、誰しも完璧ではない。
我々はピーク時を遠に過ぎているわけで、かつての栄光にすがるなんてみっともないことはしたくない。
だが、自負はある。
深くに仕舞い込んでいるだけで、そうそう顔は出さないと思われる。
というか、顔を出したらイヤミそのもの。
逆に、外に現れそうになると、ぎゅっと収めるぐらいがよいと、わたしは考える。
話は変わり、、、
基礎は大事だとしても、パソコンでも音楽が作れる時代。
芸術方面にぜひ進んでほしいわけでもなんでもないので、(本人が希望するなら別だけど)本人の興味や感性を伸ばすのが優先順序としては先かなあと。
成長して自立してくれたら言うことなし。
これからの世の中のほうが厳しそうなので、大変だろうけれど。
後方から応援するのみ。さして役に立たなくても邪魔にならないように。
孫を通して今の若い人々の生き方を垣間見ることが出来て幸せである。
なんて、書いたら続いて書くことがなくなる。
自分は自分で楽しまないと。
だが、あまり欲張ってはいけない、と自分を戒める。
とは言うものの、あと10年!積極的に攻めないと。
その次の10年は、休憩。
さらにその次の10年は、空気のように生きよう。
さらにその次の10年は、、、息だけしとこう。