蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

覚書

2022-09-07 | 日々のこと
蝶ブログにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。

ちなみに、わたし。
この夏の暑さにやられたのは、身体だけではなく脳も。
あ、脳は平時、平常、いつもやられている。

が、特に近頃、脳回路が混線しているのか、スイッチを入れてから繋がるのが遅い。
思い出すのをあきらめることもある。

忘れ物や、間違いが日常的に起こる。
今回は仏事のお返し(粗供養)の金額を一部、間違えた。
しかも、間違えたまま、テキパキと送ってしまった。
のろのろしていたら、まだ送らずに、訂正が効いたのに、わたしらしくなく、用事は早く済まそうと、さっさと終了してしまった。
日頃にもなく殊勝なことをすると、ろくでもない。
覚書ノートに今朝、記入して気づいた。
そもそも、覚書ノートを書くのが面倒で面倒で、渋々嫌々書いた。
舅の時の仏事記録を姑が書き記してくれていて、それを参照して仏事を進める。
家の行事をするには大変助かる、カンニングペーパー虎の巻である。
その内容に従って行事を進め、日時、行動、親戚や関係者からのお供えやお返し(粗供養)が記されている。
今回は、いちいち見なくても記憶を頼り、うろ覚えのままで進めた。
終了後、覚書ノートを書いていて、舅版と照らし合わせ、思い込み、思い違いがあるのを発見した。
あーあ、、、
もう終わってしまった。

お返しの金額を少なく間違えたので、姑に比べると、ずいぶんケチになったと思われたことだろう。
じつは、手違いなのだが。
事後処理、どうすべきか。

そのかわり、といってはなんだが、夫は舅たちの時より、お坊さんへのお礼(お布施)をぐーんとアップしていた。
わたしは、そんなにアップしたら、次の代が困るよ、もう次代は無いなら別だけど、と、反対意見を出したが、スルーされた。

金額、お坊さんにはアップ、出席者にはダウン。これ、変。
出席者担当のわたし、さて、どうしよう?
このまま見知らぬ顔して、意図的に減額方針を打ち出したと思われても良いのか?
わたしが、ケチだと思われても良いのか?
間違えただけなのだが。いちいち、間違えました、と説明して回るのか?
次にお供えを送って来られるのは4年後。
その時は、むこうもお供えが減額になっているかも知れない。
それはそれで、まあ良いか。
減額になっていないとすると、それはそれでまあ良いか。

ああそう言えば、そのうちの1人に、こちらからもお供えを送らなければいけない仏事が来月ある。
お供えのついでに、今回の手違い減額分を別の袋に同封して送るという手もある。
ウルトラC裏技?
ではもう1人は?
さてさて。