蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

善い人

2022-09-15 | わたし
書いていた前半をカットした。
どうも言いたいことが、クリアに書けなくてもどかしい。
なので、削除した。
↓以下はその続き。

人に褒めてもらおうとか、感謝してもらおうとか、そんな気持ちはない、
さらりと自然にそういう自発的な行いが好きになればいいなあ、と自分自身に向けて思う。
慈善事業だとか、ボランティアだとか、そんな仰々しい畏れ多いものではなく。
自分ではなく他人のために動く、気配りする人を見ると尊敬する。
そんなことを言うと、自分のこともちゃんと出来ないのに、笑われる。
わたしのガラではない。
人に迷惑かけずに、ひっそり楽しみたいと思っているのが、ちょうどわたしサイズかなと。
建設的ではないが、悲観的でもない。
プラスマイナス、ほんの少し0.001プラス。

ちなみに、、、
ある、わたしの好きなシニアブロガーさんが、ブログで紹介されていたこと。
引用の引用のなのだが、「シニア女性が、やめて良かったこと」
思い当たる箇所がたくさんあり、うんうんと頷いた。
嫌々続けていて、やめるにはちょっと罪の意識を感じてしまうようなことでも、勇気をもってやめると、スッキリ!
行動の断捨離である。
モノを捨てるかのごとく。
気持ちを切り替える。

その中で特に印象深かったのは、、、
夫の親族との連絡は夫にしてもらう。
これこれこれこれ!!!!
わたしは(こころの中で)首を縦に大きく振った。
今まで結婚して以来、ずっと苦手で苦痛だった。
いつまで経っても慣れないし、好きにもなれないし、違和感もなくならない。
最初は他人行儀でも、時を経て重ねて連絡をしたり、やりとりしているうちにコミュニケーションが取れて心理的距離が縮まるかも知れない、、、のだが。
やはり苦手はあくまでも苦手。一生、苦手。

夫はわたしの親族に電話など一度もしたことがない。
お見舞いも。
(しかし、母に一度だけ面会に行ってくれたことはある。
さらに、よくよく思い出してみると、一度だけ夫はわたしの兄に殊勝な行い[要した時間は1〜2時間]をしてくれたことはある。
感謝!その節は、ありがとう)
40年もの月日の間には色々ある。
今更なんなんだが、夫は善人で良い人である。
心身共に健康な常識人。
中身に関しては、善人証明書、鑑定書を発行したいぐらいの善人である。
サボりで腹黒のわたしと足してちょうど調和される。

が、それはそうと、夫はわたしの親族への連絡などは一切しない。
わたしが、自分の実家も、夫の実家も両方ともやっていた。
嫌だったが、嫁の義務だと思い頑張った。
わたしには過剰に感じる冠婚葬祭の付き合いそのものがキライだったのかも知れない。
地域差や世代年齢差、価値観の相違による文化の違い。
それをやめていいなんて、ぱあ〜っと、こころが晴れる。
縛られていたものから開放される喜び。
と言っても、上司から許可が出たわけでも夫から申し出られたわけでもない。
自分で勝手に縛っていたものを、自分で自主的に振り解いただけなのだが。
(姑がいなくなったということもあって、開放されたのか)
夫から不平不満が出たとしても、嫌われる勇気を持ちたい。
今までやってきたのだから、感謝してもらわねば。
とか言いつつ、わたしも感謝すべきことが多くあることに改めて気づく。
だがしかし、腹黒のわたしが善い人になると、もうあの世からのお迎えが近いのかなあと。

善い人になったり、腹黒になったり。
アットランダムに繰り返して、日々が過ぎる。