彼岸に想う
2022-09-23 | 家
彼岸。
今朝、お坊さんが来た。
朝早くからわたしはスタンバイ。
お坊さんは予定より更に早く来たため、待ち時間は減ったものの、お坊さんが帰った、その後の時間が余った。
で、家を探索。
古いくたびれた蔵の中で、面白いモノを見つけた。
世界地図。
幅150センチぐらい?高さ120センチぐらいの、紙製の地図の巻物。
一見、ボロっちいが、中を開いてみると立派に表装され、しっかりした芯に、くるくる巻かれていた。
ツイドという国名を見つけたが、こんな国あった?
よくよく見ると、ドイツだった。
中国は別の名前になっていた。
日本は、赤い色で示され、北は、今はロシア領になっている場所が連なり、南北朝鮮も、台湾も赤くなっていた。
暗い場所で見たし、わたしの視力はかなり悪いので、あんまり良くわからなかった。
いったい、いつの地図?
そういえば「日本」も、日本らしいけれどちょっと違う漢字が付いていたような気がする。
大日本帝国、だとか、そんな長々しい名前ではなく、もう少し短くすっきりしたような。
今度行って時間と余裕があればまたチェックしてみよう。
夫の祖父の名前が描かれたクワ(農具)と一緒に入り口扉すぐの壁に無造作に立てかけてあったところが、クワと世界地図がミスマッチでいかにも気合いが入らず面白い。
庭の古い古い松の木が、半分枯れているらしく、出入りの造園屋さんによって処置のため、ばさっと半分切り落とされていた。
まるで身体の半分が無くなったような、足が片方切り落とされたかのごとく、断面が剥き出しにされ、痛々しかった。
半分しかない不自然な姿の松だが、倒れず灯籠に寄りかかるようにして立っていた。
あの木を見てわたしは思った。
今月初旬に見た時は、切られた断面がペンキみたいにベタっとした赤茶色で、何ごとかと思ったが、はっきり見なかった。
無惨な姿を曝け出しているような気はしたものの、ちゃんと見ていなかった。
今日はしっかり見た。
半分腐ったが、半分は生きている。
残りの半分を生かすために、半分を切り落とした。
やむを得ない。
よくよく見ると、苔むした古い幹の中から小さな赤ちゃん枝がちょこっと、ぴょこっと生えていた。
見た目は、すごく変でアンバランス。
こだわりある庭師なら美的に耐えられないかも知れない。
身体は半分斜めにバッサリ切り落とされ重心が移動しているが、仲間の灯籠に支えられてどうにか、もっている。
あの松の木、切られた直ぐ後に見た時は、痛々しい無残な姿に驚いた。
が、今日はまた別の感覚が芽生えた。
あの松を半分腐らせてしまったのは、わたしかも知れない。
バランスよく調和を保ち、長年そこに生き続けているものを、わたしは自分だけの志向でおざなりにした。
長く生き続けてきた証を粗末に扱い、過去の人々の営みにリスペクトもせず、
後は知らない!と言わんがばかり。
でも、ブサイクな、傷口を剥き出しにしながら、松の木は残存している周りと協力し合って、支え合っていた。
確か、姑の代にも庭の別の松の木(だったか?)が枯れて、ごっそり撤去したように記憶している。
わたしの代は、半分だけ残すことにより、誰が見ても異常を感じるカッコ悪い(松の)姿をさらして警鐘を鳴らしているのかも知れない。
あんな姿になっても松はまだ生きている。
しかし、鑑賞用としては、見た目は相当悪くなっている。
あれも生きた歴史の一つかも。
あの木は、あの場所にいったい何年生きているのだろう。
100年?200年?
政変や戦争なども挟み、産業や暮らしは大きく変わった。
さらに地球温暖化や気候変動など、最近の地球は昔とは違う。
何も一個人のわたしのせいではなく、長年積もり積もった変動に、松が悲鳴を上げたのかも知れない。
斜め半分をばさっと切られた松に聞いてみたい。
どうしたの?と。
が、もしわたしに、どっと非難が集中したら背負いきれないので、ここは一方的に眺めるだけにしよう。