国際美術館は、大阪・中之島にある。
私の事務所とは、目と鼻の先なので、ちょいちょい、出かける。
今回は、モディリアーニ展。
もうすぐ会期も終わるということで、会場は、多くの人がいた。
塾の知人に、ばったりお会いした。
奇遇だ。
軽く挨拶をして、足早に会場内へと向かった。
同時開催の現代アートで、舞踏家、大野一雄氏(当時90歳)を撮影した
作品群が展示されていた。
大野氏は、1906年生まれ、100歳を迎える生涯現役の舞踏家であるが、
一度、仕事でお目にかかったことがある。
凡人の私には、はるか彼方の、宇宙的な方だった。
55歳ぐらいの御婦人2~3人連れの方々・・・
「わぁ~・・いややね~・・・老人って」
と感想を一言。
決して老人の醜さを表現しているのではない、と私は思ったのだが、
彼女にはそう捉えられた。
感じ方、人それぞれ。
しかし、感想は、いちいち大きな声で、口に出さなくてもいいのでは?
目に付いたのは、60歳を軽く越えた御婦人たち。
あちこちで、熱心に鑑賞されていた。
ただ、これまた、ひとつひとつ、感想やら、世間話やらを挟んで
鑑賞(干渉?)されていた方々もいた。
はっきり言って、耳障り。
以前、元友人と美術館に行っていた時期があったが、彼女もそうだ。
熱心に見入っていた、まわりの方々が気になった。
私たち、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ、うるさくないかな~と。
なので、美術鑑賞は、ひとりマイペースで観るのが、私流だ。
さてさて、肝心のモディリアーニ・・・
モディリアーニ自身は35歳で早死にしたが、ルックスはカッコよかった。
こんな人が、近くにいたら、めろめろだ。
パリの前衛的な時代を生きた芸術家。
伝統的な価値観から、殻を破ろうと、芸術家たちはパリに集まり、
自由闊達な交流を持ち、自分の世界を築き上げた。
モディリアーニもその一人だが、
成功を収めた展覧会の翌年、短い生涯を閉じた。
二人目の子供を宿っていた妻も、幼い娘を残し
モディリアーニの死の二日後、あとを追った。
悲劇的な生涯。
芸術家一家の不遇の人生を越えて、作品は息を吹き返している。
当時の芸術パトロンがいてこそ、今日に残る作品。
全く理解されない芸術家を支援するのは、
よほどの理解と情熱がないと、できないことだろう。(モチロン、お金も)
褐色に近い肌色が、とても印象的だ。
アフリカやアジアの民族芸術に影響を受け、
彫刻家でもあった特徴を色濃く打ち出した作風。
目の形、色、背景の独特の色に魅せられた。
モディリアーニが、表現したかったもの、追求していたもの・・・・
なにかわからない力に、惹きこまれていく。
芸術家の魂、生きる力と引き換えに、芸術は確立されていく。
いつものごとく、お気に入りの作品のポストカードを数枚買って、
美術館を出た頃は、
空は暗雲立ち込め、夕立の雨に見舞われた。
私の事務所とは、目と鼻の先なので、ちょいちょい、出かける。
今回は、モディリアーニ展。
もうすぐ会期も終わるということで、会場は、多くの人がいた。
塾の知人に、ばったりお会いした。
奇遇だ。
軽く挨拶をして、足早に会場内へと向かった。
同時開催の現代アートで、舞踏家、大野一雄氏(当時90歳)を撮影した
作品群が展示されていた。
大野氏は、1906年生まれ、100歳を迎える生涯現役の舞踏家であるが、
一度、仕事でお目にかかったことがある。
凡人の私には、はるか彼方の、宇宙的な方だった。
55歳ぐらいの御婦人2~3人連れの方々・・・
「わぁ~・・いややね~・・・老人って」
と感想を一言。
決して老人の醜さを表現しているのではない、と私は思ったのだが、
彼女にはそう捉えられた。
感じ方、人それぞれ。
しかし、感想は、いちいち大きな声で、口に出さなくてもいいのでは?
目に付いたのは、60歳を軽く越えた御婦人たち。
あちこちで、熱心に鑑賞されていた。
ただ、これまた、ひとつひとつ、感想やら、世間話やらを挟んで
鑑賞(干渉?)されていた方々もいた。
はっきり言って、耳障り。
以前、元友人と美術館に行っていた時期があったが、彼女もそうだ。
熱心に見入っていた、まわりの方々が気になった。
私たち、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ、うるさくないかな~と。
なので、美術鑑賞は、ひとりマイペースで観るのが、私流だ。
さてさて、肝心のモディリアーニ・・・
モディリアーニ自身は35歳で早死にしたが、ルックスはカッコよかった。
こんな人が、近くにいたら、めろめろだ。
パリの前衛的な時代を生きた芸術家。
伝統的な価値観から、殻を破ろうと、芸術家たちはパリに集まり、
自由闊達な交流を持ち、自分の世界を築き上げた。
モディリアーニもその一人だが、
成功を収めた展覧会の翌年、短い生涯を閉じた。
二人目の子供を宿っていた妻も、幼い娘を残し
モディリアーニの死の二日後、あとを追った。
悲劇的な生涯。
芸術家一家の不遇の人生を越えて、作品は息を吹き返している。
当時の芸術パトロンがいてこそ、今日に残る作品。
全く理解されない芸術家を支援するのは、
よほどの理解と情熱がないと、できないことだろう。(モチロン、お金も)
褐色に近い肌色が、とても印象的だ。
アフリカやアジアの民族芸術に影響を受け、
彫刻家でもあった特徴を色濃く打ち出した作風。
目の形、色、背景の独特の色に魅せられた。
モディリアーニが、表現したかったもの、追求していたもの・・・・
なにかわからない力に、惹きこまれていく。
芸術家の魂、生きる力と引き換えに、芸術は確立されていく。
いつものごとく、お気に入りの作品のポストカードを数枚買って、
美術館を出た頃は、
空は暗雲立ち込め、夕立の雨に見舞われた。