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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

前だけを見て疾走

2010-08-11 | 仕事
若い時は、おおいに勘違いすべし。
そうやって、自分の器を広げて、大きくしていくべし。

そう言っていたのは、勘違いの体現者、最たる人物。
とある、成り上がりの社長さん。
私が2年近く、仕事で担当していたお方。

彼は、前だけを見て疾走した。
大いなる野心を抱き、突っ走った。
根性は人一倍、努力も惜しまない。
ただ、手段がちょっと・・・と首をかしげたくなることも・・・。

新入社員をとてつもなく大量に採用した。
「1000人採って、3人、いいヤツがいたら、それでいい」
と彼は言い、落ちこぼれの不良崩れのような人をすくいあげた。

学歴は中卒、高校中退がほとんど。
なんらかの事情で、勉学が続行できない、学校に在籍することが困難になった生徒たちだ。
メンバーの顔触れは、ちょっと、すごい。
一癖も、二癖もありそうな面々ばかり。
事件に巻き込まれる可能性のある族も、ちらほら。

その彼らが、敗者復活をかけて戦う。
目標は、社長だ。
成功すれば、あんなに高級な車に乗れる、高い服が着れる、
高いお酒が飲める、いいところに住める、いいオンナがついてくる。
社長自らが、サクセス ストーリーの お手本、見本として、若い社員にハッパをかける。

頑張った者には、ご褒美。
それも、ハッキリ、わかりやすい。
ラスベガスに、豪華ギャンブル・ツアーご招待。
田舎から両親を呼んで、表彰式に招待し、目の前の晴々しい壇上で成果を称賛する。

夢を具体的にイメージしにくい、落ちこぼれの青年(少年)たちは、
目の前にぶら下げられたニンジンを見て、興奮する。
やる気、むんむん。

要は、モチベーション、やる気、動機。
それと、チャンス、きっかけ、受け皿、活躍場所。

それらを同時に提供し、目標を持たせて頑張らせる社長。
今、目を輝かせる若い社員に、若き日の社長を見出す。
自信喪失→失望→絶望→やる気消沈→自暴自棄
そこからの転換。ギアチェンジ。


しかしながら、キレイごとだけでは、すまないのがこの世の中。
ハッピーエンドで終われる人は、いったい何人いるのか?


草食系男子が増殖する昨今、
ニンジンの傾向や、ご褒美の質は、時代とともに変わる。
ハングリー精神を喚起するにも、ハングリー精神自体がなくなってきている。
さてさて、これからは、若者の目に映る魅力あるものとは、何か。


社長の時代は、終わった。
ほんのつい最近の出来事だったのに、時代の移り変わりは速い。


ま、そういうこともあるのが、人生。
いろんなお方がおられます。


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微笑み返し

2010-08-10 | 無題
今さら気づいたわけでもないけれど、
男と女は、永遠にわかり合えないもの。

本音をぶつけあっても、なにも得るものはない。
お互いの本音は知らないほうがいい。
知ると、絶望する。
静かにそっとしておくに限る。

突き詰めようとしたら、自滅する。
自爆しても仕方ないし、あえて掘りかえさないこと。

本質的な考え方の違いが、根本に横たわっていて、
それを踏まえたうえでコトを進める。
考えを修正しようとか、自分寄りに強制しようなどと、
そんなことは思わないに限る。

せめて、「女性のことをわかって」と願っても、無理。
男には、女のことはわからない。
お互い様だろうけれど。

自分の考えを、男性にぴったり合わせるのもアンフェアなので、
(ゲゲゲの女房なら、いざ知らず)
お互い目をつぶって、そこはすっ飛ぱして、見ないことにして、次に進む。
些細なことはもちろん、どうしようもない歴然たる違いに、こだわっていては、
一歩も前に進まない。
納得できないことがあっても、「納得する」という文字を自分の辞書から消し取る。
ああ、この世に「納得」なんていう言葉はないんだ、と、納得する。

しかし、そうやって病を抱えたまま無理やり進むと、
どこかでチグハグになったり、ひずみが生じる。
トラブった時、また、一からやり直すのか、その時点で軌道修正するのか。
何度やっても同じことの繰り返しで、
そのうち面倒になって妥協するのか、疲れてあきらめるのか。
はたまた、ブチ切れて、暴れるのか。


逆の発想もある。
一緒に一歩も前に進まない、という方法もある。
お互い、別々の歩調、道を別々に歩けばいい。

これが私の生きてきた中で得た、男性とのつきあい方、処世術、距離の取り方。


観音様のような柔和な微笑みで、にっこり、全てを受容する頃は、
人生の残り時間もあとほんの僅か、この世とサヨナラする時なのだろうか。
「納得」という言葉は、自分の辞書に甦っていることだろう。


ま、そーゆーことですわ。


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プラスの鎖、マイナスの鎖

2010-08-09 | 人生
生きていると、いろいろある。

しかし、私は、どうでもよくなっている。
いいことだけ、大いに感じ取って、
嫌なことは、素通りして受け入れないように、自動的にシステム化されているのか?


家族内のゴタゴタ、
夫婦間のゴタゴタ、
義理の親との関係、
経済的問題、
子供の問題、
ご近所さん、職場、友人、知人とのあれこれ・・・
病気や仕事のことも入れると、不安材料は、どんどん広がっていく。

人間として生きている限り
軋轢(あつれき)、きしみ、こじれ、トラブル・・・いっぱい、いっぱいありすぎて・・・
でも、楽しいことも、いっぱい。

楽しいことも、嫌なことも、いっぱいあるから、プラス・マイナス ゼロ。
かけた苦労や努力が大きいほど、大きな満足が得られる。
ハイリスク・ハイリターン。
適当にやっていると、ローリターン。
(真剣に真面目に生きていても、トータル ゼロ ではなく、マイナスになる人もいるだろうけれど)


私は幸運なことに、人には恵まれた。

結婚して初めて婚家に入り、お姑さんのお姑さん(夫の祖母)に挨拶した時
「これからは、ここをあなたの本当の家と思ってくださいね」
と、優しい言葉をかけていただいた。

義祖母は、とても賢い知的な人で、愛情がこもった、素晴らしいお手紙も頂戴した。
義母も頭がよく、働き者で、優しい、出来た人だった。
義父も、きっちりした堅い人で、家を守った。きょうだい達も仲がいい。
プラスの鎖は、続くものだとつくづく思う。
その息子であり孫であるのが、夫だ。
親や、その前の人々が出来すぎなので、夫の良さは、霞んでしまって目立たないが。
息子や娘も、ありがたいほど健全に育ってくれた。


世の中、出来の悪い親もいる。
そんな人と暮らすお嫁さんは、悲劇だ。
でも、まあ、それはそれで、気持ちの持ちようや、行いで、時間が経てば、変わってくる。

マイナスの鎖は、悲しいかな、意識的に切らない限り、延々と続く。
プラスの鎖も、努力なしには続かない。
安楽を追求していては、維持できない。
蓄えていたプラスは、いつの間にかマイナスになる。


常識は、育った家庭で培われる。
その後、就職したり、結婚したりして、新たな常識が加わる。
修正される場合もある。

人と交わり、経験し、自分の常識は、人の常識とどう違うかを確認する。
「実家では、こうでした」「前の職場では、ああでした」
それが通じる場合と、通じないない場合がある。

家庭に引きこもっていては、やり方、考えが衝突した時の対処法を学んだり、
ブラッシュアップする機会が激減すると思う。
安楽といえば、安楽だが、進歩はない。
ほっておくと、凝り固まった、柔軟性のない、手に負えない意固地な年寄りになる。
それが、年寄りというものなのだが。

クリント・イーストウッド監督・主演の映画「グラン・トリノ」のように、
これまで生きてきた美学を頑なに守り、追求するのは理想ではあるが、
なかなか実践は難しい。
自分に厳しくないと、できない。


義母は、嫁いで来て、古い時代の因習のために、ずいぶん辛い思いをしたそうだ。
それは、時代背景や家風の違いによるものが大きいだろう。
義母は、モダンで文化的な商家のお嬢さんとして育ったが、嫁家は、質素倹約を美徳とする、骨太な素封家。
逆だったらよかったのかも知れないけれど。
私だって、ずいぶん違うけれど、
時代も違うし、ライフスタイルも、価値観も、世の中も変貌する。


周りに、どんなお年寄りがいるか。
それは、人生の宝物だ。
同じ世代の人とだけ、つるんでいては、発見、気づきの厚みが薄い。
人生の大先輩。
それも、プラスの鎖を持った大先輩に接することが出来るのは、幸運だ。

もし、周りにいなくても、映画や、テレビ、小説に描かれている場合もある。
理想像を知るのと、知らないのとでは違ってくると思う。
しかし、理想のカタチは、最初から完成されているわけではなく、
試行錯誤から生まれ出るものだと思う。

私は、素晴らしい年配者、先輩、先人に出会えて、
とてもラッキーだった。
先の人から後の人にバトンタッチ、連鎖できる、そのうちの一人となれば、光栄だ。
そのためには、努力、切磋琢磨、謙虚な気持ちが必要だと、切に思う。


ある程度、年齢を重ね、時を経て、考え方が変わることもある。
若い時は、気付かなかったことや感じなかったことが、今となって、別の角度から見えてくることもある。
未熟で至らなかった自分を支えてくれた周りの人々に対して、感謝の気持ちが湧いてくる。
義母も、同じようなことを言っている。

感謝の鎖は、子供たちにもつなげていきたいと思う。



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ブログを作ろう

2010-08-08 | 無題
昨日、本屋で立ち読みをした。
本の内容は、「ブログを作ろう」。
どんなかな?

作り方、文章の書き方、コメントの書き方、交流の仕方、あれこれ載っていた。
同じ趣味の人を探して、そのブログを訪問して、お互いにやりとりして・・・
どうの、こうの・・・


更新をしよう
一度アップしたらそれで終わりではなく、新しくまた更新しよう。
徐々に、訪問数も増えるはず。

写真は、撮ってきたらすぐに使おう
写真を溜めこまずに、手際良く処置し、アップしよう。

ネタを見つけたら、あるいは、日記なら
なるべく早いうちにアップし、情報はフレッシュなうちに発信しよう。

ネタに困ったら
ニュースや話題性のあることの中から選ぼう。

訪問数を増やそう
似たような趣味の人の集まるところに顔を出そう。
気長にやっていると、急には無理でも、少しずつ増えるでしょう。

コメントは、お返しがあるとは限らない
ブログにコメントをしたからといって、必ずしも返答があるわけではありません。
あまり期待せずに、コメントしよう。


慎むべきこと
実名をはじめ、個人を特定できる情報は避ける。
無断で他人の文章や写真を掲載しない。
特定個人の非難・中傷はしない。
人のブログで、自分のブログの宣伝をしつこくしない。

などなどが、書かれていた。
私はブログを始めて、約3年、さっき調べてみたら447の記事をアップしている。
かなりのヒマ人です。
あれこれ、ノウハウものは全く読まず、「習うより慣れろ」で、ぶっつけ本番。
当たって砕けろ派。
今更ながら、ノウハウものを読むと、ちょっと面白い。


私は、誰とも連携していない。
広報・宣伝活動は、苦手。
ブログを通じての交流、ほとんどしていない。
(毎日ブログをのぞくのは2人、ごく稀に書き込むのは2~3人だけ)

もうちょっと、広く、一般的に、オーソドックスにやる方法もあるようだ。
書籍は、一般の人向けに書かれているので、
もはやクセや、自分の方針、方向性がある人には、あくまでも参考程度にしかならないけれど。

私は、自分が書きたいことだけを書いている。
ニュース性のあることなども、専門知識に自信がないと、文字にしにくい。
かといって、文字にしていることは、自信があるのかというと、全くそんなことはない。
映画や展覧会は、観てから後でブログにする時に調べて、初めて知ることも多い。

読んでくださる方がおられることは、励みにはなるけれど
感情や、想いの出口を求めて彷徨う時の、天国への天使の導きにはならない。

苦しい・・・、こんなに苦しんでいるんです、というブログなら、
「私もです」「私の姉と同じ状態です」と、
コメントや共感もいただくことができるだろう。
苦しみを共有することもできるだろう。
苦しい現状の突破口を見出すキッカケにもなるだろう。

私のブログは、そういう類ではないし、
かといって、プラス面の具体的ノウハウを伝授するわけでもないし。
年齢も、すこ~し、ほんのすこ~し、私のほうが上でしょうし・・・
そもそも、そういう、いろんな人たちの顔を想定して書いていては、
キー入力も止まるわけでして。


というわけで、今日も楽しく、出口や、落ち着きどころを求めて、
私のココロは、ふわりふわり浮遊しています。


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ママ、長い間、ご苦労様

2010-08-07 | 人々の風景
私が勤めていた会社の近くのオフィス街にある、お店。
御年60歳になる美人ママが、30年ちょっと一人で頑張ってきたが、
この度、店を閉めることになった。

この3日間は、閉店謝恩デーで、1000円で飲み放題。
一時は、昼間も喫茶をやっていたが、採算が合わず、夜だけになった。
オフィス街の皆さんは、30年近い顔なじみ。
ママに永年、熱い想いを寄せ、通い続けたK氏も、
そのうち「高嶺(高値)の花はワシには似合わん」と悟り、
K氏に相応な方と結婚された。

Kさんの奥さんも昨夜は、顔を見せた。
「わぁ~、ママ、美人やねえ」と、奥さんは目を円くしていた

私の隣に座った男性と、話をした。
「ここは、長いんですか?」
「長いですね~。20年ぐらいですか・・・」

その人は、装丁の立派な1冊10万円もする、企業本を売っているとか。
怪しげな結社の人??かと思ったが、そうでもなさそう。
しかし、そんなモノ売って、生活できるのかしらん???

そんな失礼なことも言えず、
「へえ~、そうなんですか・・・10万円もする本が、よくまあ売れるんですねぇ?!」
と、間の抜けたコメントを発する。(→やっぱり、失礼??)
ゲゲゲの女房やら、ガロやら、水木しげる、白土三平やらの話をして、お酒のアテにした。

「業界的には厳しいですね・・・今は、どこもですけれどね」
お客さんは社長と呼ばれる人も多いが、社員が一人でも、社長は社長。
どこの誰だか、どんな仕事をしているのか、よくわからないけれど
それぞれの皆さんの仕事と共に歩んできた、このお店、
皆さんの顔や年を見る限り、この店の閉店とそう遠くない日に、仕事人生を終えそうな方々が多い。

「本当はもう少し続けたかったんだけどね・・・」
と、寂しそうなママ。
吹き寄せる不景気風が、店を直撃し、深刻なダメージを与えた。

永年の客が、閉店を惜しんで、最後のお酒を楽しんだ。


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劇場は、熱気で、寝不足。

2010-08-06 | わたし
ここのところ毎晩、暑さとの闘い。
いったん、冷房で室温を下げ、あとはタイマーで自動オフに設定するとか、
除湿にしておく、とか
エアコンを上手く活用する方法もあるのに、
なぜか、とことんまで頑張ってみるぞ、と意気込んで、汗だくで格闘している。

一晩を過ごす、その時間は、まるで劇場で、演劇か映画大作を観ているかのよう。
しかも、体感型シアター。

序幕から始まり、クライマックスあり、強調デフォルメあり、生演奏、音楽入り、
舞台装置をフルに活用。
時には、のら猫の喧嘩声なども飛び入り、鳴り物入りあり。
猫も、アツイんだろうか。

あつ~
あづ~
あついわ~ほんま~

セリフも効果音も、いろいろ取り交ぜ、
音響効果よりも、もっと迫真、身に迫るのが、温度効果。
室温高く、湿度は最高、汗はだらだら、畳、枕、シーツ、布団、窓枠、
あっちこっちに、足を掛けたり、ひっくり返ったり、
ごろんごろん、どったん、ばったん、七転八倒。

無印良品で、昨日、首用クールバンドを買いに行ったが、売り切れ。
他店舗も探してもらうが、店頭になく、在庫もなく、品切れ。
遠い店舗の店頭に数点あったようが、買いに行けるわけもなく、
仕方なく、おでこ用クールバンドを買って、お茶を濁した。

「長時間のご使用はお避け下さい」と注意書きがしてあるので、
眠ってしまっては、長時間使用になってしまう・・・と、おちおち眠れない。
冷凍庫で冷やした保冷剤を入れ、あっちにつけたり、こっちにつけかえたり、
寝ずの番。
私は、ひょっとして、バカじゃなかろうか。


朝、隣の部屋から起きてきた娘に
「暑かったね~。眠れた?」
と聞くと、「うん。扇風機がいい調子」と、心地よい返事。
家に一台しかない扇風機を、愛する娘に捧げた私。
母の愛は、アツイ。

夫のクーラー依存症に抵抗する手段として、私はクーラーをつけないことにしているのだが、
夫婦別室で、夫は涼しく過ごしている。
そんな意地を張っていると、またもや、今夜も密度の高い劇場の大作品を体感することになる。
もうだめ、と、耐えられなくなったら、
別室で、別クーラーという、アンチ・エコ路線の線もやむを得ず、
と、柔軟に路線変更を考えよう。
エアコンがあるのに、自宅で熱中症を引き起こし、病院に担ぎ込まれることにでもなれば、
ほんと、シャレになりません。


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個性と年齢、個体差あり。

2010-08-05 | 人生
先々月の6月末に亡くなった姻戚関係の親戚Mオバアサンは、享年93歳だったが、
その2歳年上のお兄さんが、まだ現役で仕事をされている。
地元で活躍する最年長・就労現役ということで、新聞で紹介されていた記事を読んだことがある。
息子さんもお孫さんも、同じ職業だが、各人、それぞれの職場で就業されている。

御年95歳のこのお方、現役も現役、
先日の57日法要の時に、息子さんのお嫁さんが、そのお兄さんの文集を持ってきてくれた。
57日法要に間に合うようにと、妹さんのことを綴ったコメントが、法要前日に記され、
早々と載っていた。

文集は、全てお兄さんのハンドメード。
パソコンで文字入力、写真・イラスト、スキャン、編集、
あれこれ、パソコン教室で習ってこられて、ご自分でなさっていた。
一緒に講習を受けていた息子さんのお嫁さんは、パソコンはあまり続かなかったようだが、
お兄さんは、コツコツ続けられたようだ。
息子さんのお嫁さんが、お兄さん(お舅さん)の部屋に入ると、
パソコンの画面に映る大きなフォントが目に入るそうだ、
お兄さんは、大きなサイズの文字が恥ずかしいのか、パッと画面を切り替えられるとか。

文集には、南方の激戦地での戦争体験や、仕事のこと、趣味の植物や昆虫のことなどが
写真やイラスト、図解とともに、レイアウトされている。

膝上から太もものあたりがちょっとふくらんだズボン?に、ロングブーツ?
軍服を着たお兄さんの写真は、かつて写真で見たことがある私の父の軍服姿と重なった。
一番最後のページに、亡くなったMオバアサンとお兄さんの2ショット。

大正9年(1920年)撮影のもので、お兄さんは6歳、Mオバアサンは4歳。
お二人とも丈が短めの着物を着て、Mオバアサンは、かむろヘアー(おかっぱ)、
お兄さんは6歳だというのに、きりっと、とても賢そうな顔をしておられた。
小さい時から、生来のものは備わっているようだ。
90年以上前の写真なのに、時空を超えて伝わるものがある。

それよりもなによりも、
お年を重ねられても、心身ともに健康、現役、
特に、新しいものに対する知的好奇心、実践力には、頭が下がる。

年だから・・・と年齢による言い訳は、人によって大きな差があるようだ。

自分は、「豊かな時代の、もやしっ子」だと、つくづく思う。



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喪服の目玉焼き

2010-08-04 | 
昨日は暑い中、姻戚傍系・遠い親戚の告別式に参列した。
先週の別件、57日法要参加の際、あまりの暑さ、窮屈さ、不快さに音を上げ、
真夏用の喪服を一昨日、購入した。

さっそく、その喪服を着て行った。
会場に向かう途中、駅を降りた一つ目の信号が赤になり、待ち時間があった。
ちょうど、お昼まっただ中の12時。
カンカン照り。
体感温度は40度はあっただろう。
下はコンクリート。
照り返しも強く、じりじりフライパンで焼かれる目玉焼きの気分。

ありえない~暑すぎる~どんな服を着ても、暑いものは暑い~。

まあ、それでも、オールシーズン対応の前の喪服より、不快度は、
10パーセントぐらいは減少したかも知れない。

問題は、それからだった。
葬儀会場のセレモニーホール、最初はさほど感じなかったが
時間が経つにつれて、じわじわ冷気が強まってきた。
寒い。
男性方は、皆さん、長袖ジャケットだから、まだマシ。
一緒に参列していた義叔父が「寒いですね~」と数回つぶやいた。

夏場、ご遺体が痛むといけないからという配慮からか、
会場は、生きている参列者も冷え冷えの「冷蔵庫」となった。

せっかく夏専用の喪服を買ったのに、まったく、裏目に出た。
なんで、いつも、こう???


「また49日法要が、次に控えてるからね、ヨロシク」と義母に言われた。
そのすぐ後に、婚家の33回忌(主催側)。
宗教行事、目白押しオンパレ。


日本人に多いと言われる、無宗教派。
お家の務めと思って、義務の一部(=仕事)としてやっているが、
私もご多分に漏れず、それだ。

キリスト教だったら、どんなのだろう・・・と思わす想像した。
何もなくても、毎週礼拝、というのも、しんどいかな?
ボランティア活動なども、ありそう。
でも、敬虔な信者だけが参加する、自由度の高いものではないだろうか。
お葬式は近親者は集まるとしても、
その後、何回も法要のような宗教行事は、行われるのだろうか?

告別式では、僧侶のお経に合わせて、御詠歌の女性陣。
美しくハモっていた。
これって、ゴスペルみたいなもの。讃美歌の役割。
ゴスペルのほうが、迫力、パンチがありそうだが。
テイスト、風情に、宗教の違い、文化の違い、はっきり。


4件分の香典を用意して行ったが、香典辞退とのこと。
また香典袋が、パーになった。
でも、後日、親戚だけが、また持って行くそうだ。ゴクロウサン。

お金、このやりとり、これぞ、「The 冠婚葬祭」。
これは、昔の事情で、お互いの助け合いの精神からお金をやり取りするようになったのだろう。
昨今では、その必要性はほとんどないのにもかかわらず、その因習だけが残っている。
やめる動きもあり、実際にじわじわ動きとしては実感する。
でも、親戚間では、そうは行かないようだ。
多額の額を過去にやりとりしていると、リセットする意味でも(貸し借り帳消し)、
お金のやりとりは必要なようだが。

せめて、一般の弔問客から、香典をいただかなくなっただけでも進歩かも知れない。

親戚も、今、生きている最年長の世代のお葬式が一通り済んだら、
お香典も、やめてもいいのではないかと思う。

冠婚葬祭、なんでもかんでも、お金。
お金のやり取りは、カタチだけで、形骸化していると、つくづく思う。
かといって、モノをいただくのは、もっと困る。
気持ちだけをうまく表す方法はないものか。
その最も合理的表れが、お金、ということになるのだろうか。

いずれにしても、とりあえすは弔い儀式、第一段階は終了。
目玉焼きになったり、冷蔵品になったり、と、
私自身が、温度激変に耐えられるかどうかが、今後の課題だ。



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またもや、暑い中・・・Good-bye.

2010-08-02 | 
昨夜、電話が鳴った。
義母からだ。
酷暑ゆえか、またもや訃報。

喪服をクリーニングに出す直前だったので、ぎりぎりセーフ、
と胸を撫で下ろしたのも束の間、
あの暑苦しい喪服、もう限界いっぱい、いっぱい。
今日あたり、夏用の喪服を買おうと、本気で考えている。

告別式はおそらく、明日か、明後日だろうから、それまでには間に合うはず。

クリーニング代を浮かすには、一昨日、法要に来た喪服をそのまま着ればいいのだが、
あの、暑さ、汗びっちょり、通気性のない喪服の、拷問のような
めまいがしそうなほどの気分の悪さを考えると、夏専用喪服を買ってもいいかも。

自分のところで、お葬式を出す可能性だってあるし、
来月は法要(33回忌)を取り行う予定なので
あんな喪服で、カンカン照りのお墓に行けば、・・・う、う、う・・暑すぎ・・・
考えただけで、暑すぎて、逆に、寒イボ、鳥肌・・・


この度、亡くなった親戚は、入院中だったはず。
酷暑といっても、病院には影響はないはずなのに。
亡くなるにも、季節を選んでほしい。(無理だろうけれど)
そう言えば、私の祖母の命日は、お盆。(同じく、暑い盛り)
仮に祖母の命日は忘れたとしても、
他のご先祖サマとついでに供養してもらえて、わかりやすい・・・
(控えめな祖母らしい計らい、とも言える・・・)


こんな酷暑のど真ん中に亡くなるなんて、親戚泣かせ。
また、法要とか、近々あるとすると・・・考えただけでも、暑い・・・

人が亡くなるのは、その家族にとっては、それはそれは大変なこと。
が・・・こんなことを言っては、罰あたりマチガイナシだが・・・
話をしたこともない、遠い親戚、
(と言っても、法事の時には顔を合わせたことはあるが。
顔を見るのは、葬式と法事の時のみ)


お付き合いって、大変だ。
こんなに心がこもってなくてもいいの?
ビジネスライクな気持ち。(ビジネスのほうが、まだ、アツイ)
お互い様か。
互助、冠婚葬祭お付き合い。仲良し親戚連合。

葬儀を近親者のみで行う場合も、親戚だから、近親者に入るのだろうか。
密葬だと、参列しなくていい、ラッキー、というわけにはいかないのか?
暑い中、ほとほと、うんざり。
お互い様、ということで、皆さん、我慢して、大変な中、お付き合いされている。


親戚って、なに?
葬式のお付き合い。
「冠婚葬祭」のうち、「冠祭」は抜け、「婚」も最近は、シンプルになっているし、
核家族に家族形態は移行し、どんどん、感覚が変わってきている。

本当に近い、日頃、お付き合いしている親戚だけでいいのではないの?
と、思うのだが、義母や夫は、親戚「命」、家「命」。
お付き合いしているご本人は、暑さでマイって、列席できないので、
葬儀出席のお鉢が嫁に回ってくる。
嫁となると、従わなければいけないようだ。が。。。。

ミンミンゼミが、ジージー、ガーガー鳴くなか、行ってまいります。
こんな気持ちで、葬儀に出席している人、どれだけいるんだろう。

あるお方のブログにあったような、
列席している人々の喪服の質の好し悪しをチェックして、
家の格を確かめるような嗜好も余裕も、今の私には全くない。

もういいんじゃないかって、思う。
家の格って、そんなところで競って、それが価値観の全てだなんて。
高度成長期世代の私には、理解できません。
住む地域、風習にもよるのだろうけれど、
私は、風通しのいい、新しい気風の町に住んでいるので、
住民同士の、今のサバサバしたスタイルは気に入っている。
が、その地域にも今や、老齢化の波が押し寄せ、必要に応じて、
地域で連帯して、助け合い・互助システムの動きも新たに起こってきているようだ。

江戸時代みたいに、自分が住む場所を決める権利がない時代ならいざ知らず
自分の価値観や、考え、感性にあう土地に、自分で選択して住みたいものだ。
実際には、各々、諸々の事情によって、困難な場合も多いだろうけれど。


とりあえず、人の死は、厳粛なもの。
暑いから、そして、喪服が超・不快で、ぶつくさボヤいているけれど、
心を引き締めて、参列してまいります。


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見知らぬ人と、よく知っている人

2010-08-01 | 
昨日、法事に参加してきた。
先月亡くなった親戚Mオバアサンの57日忌の法要だ。

暑い中、真夏用の喪服が絶対に必要だと痛感した。
湿気や汗、風を全く通さない、熱のこもるオールシーズン対応の喪服。
服の裏布地の化学繊維が、汗でべとっと、くっついて、
肌との接着面から、さらに新しい汗が、次から次へとダラダラ流れた。
法要が行われた近くの、大規模ベッドタウンの賑わい複合商業施設で、
見知らぬオバサンに、穴があくほど、じろじろ見られたが、
この暑いのに、あんなに暑苦しい格好をしていたから?
(オバサン、ちょっこし、失礼ですよ)

ご自宅でのお寺さん(僧侶)による読誦の後、
会食は、新しく出店した老舗大手の料亭で、とても美味しくいただいた。

参加されている方々のお顔、この度のことで初めて見る方が多かった。
あとの方は、一度だけ、結婚式でお会いしたことがある。
もちろん、お話をしたこともないし、この度も、一言も話さず。
姻戚関係の、そのまた姻戚関係だから、私には、近いと言えば近いが、
血縁的に直接には、全く関係ない。
そのうちの半分ぐらいの人と、また、どなたかのお葬式の時に、次にお会いするぐらいだろう。


親族って、おもしろい。
日頃は、全然会わないけれど、こういう機会に顔を合わせる。
嫌で憂鬱だったが、同窓会みたいなもので、そんなに毛嫌いするほど悪くはないかも。
私も年を取ったということか。

90歳を超えるオバアサンだが、克明に生きてこられた足跡は刻まれている。
社会的に業績を残したわけでも、仕事をされていたわけでもない、
単なる専業主婦ではあるが、その一生は、素晴らしい。
人間には、無駄なんて、全くないのだと感慨に耽る。

生きておられる時は、ご家族の皆様(特に、お嫁さん)は、
鬱陶しいだろうなあ…と遠くから静観していたが、
いえいえ、なかなか立派なものだ。

Mオバアサンの実家関係の方々にお目にかかると、
突然、あのオバアサンがこの世に生まれたわけではないのが、よくわかる。
大勢の人々の生、苦労、努力が集結して、オバアサンは生まれ、子や孫やひ孫が生まれ、育った。

Mオバアサンに、しごかれたお嫁さん、そのお嫁さんの元でテキパキ働く若いお嫁さん。

日頃は少々の諍いがあっても、とても優れたご家族だ。
世の中に知れ渡る、輝かしい史実というものではないが、
暮らしに埋もれて、世間には見えないが、改めて、頭が下がるような思いがした。
穏やかな顔の御親戚たちや、4歳のひ孫の、あの屈託のない愛くるしい顔を見ていると、
このご一家は、堅実で謙虚な中にも、強い芯があると思った。
昨日や今日、即席で培われたものではない、長い歴史や血縁の流れを感じた。

Mオバアサン、改めて、ご冥福をお祈りします。


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