蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

恥ずかしい

2014-07-11 | 日々のこと

今日もソプラノ歌手。
お隣からの歌声。
あれは、お隣の奥さんではない、という、根拠&確証のない確信みたいなものが湧いてきた。
あんなプロみたいな歌が、隣の奥さんに歌えるはずかない。
奥さんの顔を思い浮かべながら、ただ、そう思っただけだ。
(悪い意味ではない。ただ、ソプラノ歌手と、タイプが、ちょっと違う。
逆の立場であっても、お隣の奥さんは、わたしが絶対にソプラノ歌手ではないと思うだろう)


今日は、台風なんてデマではないかと思われるぐらいの快晴。
暑すぎる。
こんなに暑いのに、なにを思ってか、スイカを食べた後に(こちらは、季節感、正解)、ホットコーヒーを飲んだら、
汗が、だらだら、だくだくだく。

もう、残りの人生のほうが明らかに短いので、エアコンをつけることにした。
我慢しないことにした。

それにしても、暑すぎる。

・・・

とある、別SNSで、わたしは時々、日記を書く。
ひとさまの日記にコメントも寄せる。
そこで、ある人の日記に、なにげなくいつものように感想を書いたら、
なんと、「作家のような○○さんにお褒めいただいて嬉しいです」とコメント返しがあった。
これは、皮肉か???

わたしは、とっさにそう思った。
わたしが、斜めに構えすぎているからだろうか。

いい年して、みなさん、キャピキャピやっておられるのを、なかばヤッカミ半分に見ている、わたし。
クールである。
いや、温度上昇できない、欠陥品。
なかには、ほんとうに、「あなた、何歳?」みたいな人がいて、のけぞる。
その人物A女史に関して感じることを書いたら、自分でも自己嫌悪を感じるぐらい、わたしは嫌いなのだが。

ご自分でのご自慢は、声が甘いことだそうだが、いやはや、隣で聞いていると、うんざり、砂糖がききすぎ、
甘ったるすぎて、声もさることながら、そのノリに問題がある。
話されるその内容が、自己陶酔ヒロイン物語すぎて、わたしにとっては、耳障りこのうえない。

Dカップもご自慢らしいけれど、50歳を過ぎて自慢できるDカップの内容が知りたい。
叶姉妹は、もっと大きいかも知れないが、
あれは、人造怪物、人工怪獣なので、この際、比較、参考の対象にはならない。
ある程度、大きな胸は、若くても、物理的に「ニュートンの法則」に悩まされる。
ぜんぜん落下しない、ぱちぱちに水平に張った胸は、赤ちゃんに母乳をあげている時期、そういう形状になることがある。

が、ぴちぴちの最盛期は別として、50を過ぎて、「(ぴちぴちが維持できている)Dカップの胸」とやらいうもの、
その実態を知りたい。

人に自慢できるぐらいなんだから、そうとう美形であるに違いない。
50歳を超えた美形のDカップの胸、ぜひ、アップしていただきたいものである。

なかには、同じく50を超えて、
ご自分のミニスカート姿や、胸の谷間の写真を堂々とアップされている女性がおられる。
どう考えても私には理解できない。
世の中には、いろんな方がおられるということだ。
美の基準というものは、人によってこんなに違うものかと思い知らされる。

わたしにとっての美は、引退する前後、結婚時のグレース・ケリー。
ローマの休日の頃のオードリー・ヘップバーン。
若き日のマリリン・モンロー、カトリーヌ・ドヌーブ。
日本人なら・・・? 
大昔の、今とはまるで別人、天と地がひっくり返っても同一人物とは思えない、浅丘ルリ子。
名も知らぬ無名人では、
20年ぐらい?前、昔の富士銀行・淀屋橋支店の窓口右から二番目にいた30歳ぐらいの女性。
あっけにとられるぐらい、美しかった。

少なくとも、ご自分をアピールしまくっておられる、わたしの大の苦手のA女史は、
わたしの目から見ると、なんであんなに自信をもっておられるのか、さっぱりわからない。

性格や頭脳、能力なら、見た目では判断つきにくいが、「見た目」評価をアピールされているA女史、
その基準は、ユニバーサル基準? 宇宙基準?
おそらく、彼女の中の小宇宙基準なのだろう。

わたしのように、人のことをボロカスにけなす、けしからん人間が世の中はウヨウヨいるので、
なるべく、そういう人の目につきにくいように、
ひっそり、こっそり、自己顕示欲を満たされるとよいのではないだろうか。
(自己顕示欲と、ひっそりこっそりは、相反するから同時には難しいが。
だが、愉快犯のような犯罪は許されない)

わたしは、A女史のことが、不細工だとは言っていない。
ただ、ご自分で自慢されている内容と、実際のお姿との間にある、
私が感じるギャップに、わたしは言いようの無いストレスを感じる。
なので、この世で一番、あるいは、古今東西、一の絶世の美女であっても、自薦は避けたほうが無難かと思われる。

出る杭は打たれる。叩かれるのである。
しかも、自己申告の出る杭。
実際は出てないのに、「出ている」と自己アピール。
これは、非常にわたしは、他人事ながら赤面する。
わたしにとっては、もっとも恥ずかしいことである。

単なる、感性、価値観、性格の違いである。
皆、それぞれが、それぞれに正しい。

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住まい

2014-07-10 | 日々のこと

お隣のアカペラ ソプラノ歌手は、今日も歌声が続いている。
ひょっとすると、お隣の奥さんか?
すごぉ~い。
わたしは、芸術をある程度、解するので、プラス評価をするが、
人によっては、「うるさい」と感じる方もおられるかも。
わたしには、不愉快でないBGM。

車や、喧騒の音、生活の迷惑音、騒音より、ずっとずっといい。

今、住んでいる家は、静かである。
時には、小鳥のさえずりさえ聴こえる。

いささか、都会から遠く、不便ではあるが、
日常的に都会にどっぷり浸りたいわけでもない人にとっては、快適かも知れない。
けれども、この地から大勢の人々が(我々を含め)都会に通勤、通学している。
遠方からこちらに通学している学生も少なくない。
だが、我が家の近くにスーパーがない。
それは、ちょっと面倒ではあるが、致命的ではない。
しかし、一人住まいのお年寄りたちは、どうされているのだろう?


交通の便が非常に悪い、田舎の実家は、大型トラックなどが通る幹線道路沿いにあって、
道路側近くの部屋に居ると、時折、車の振動や音が気になる。
あんな田舎なのに、なんで、車の騒音に悩まされる?
ちょっと悲しくなる。
中途半端な土地に、実家は位置しているのだなあと思う。
まるで、僻地にあって、しかも、駅から徒歩30分のマンションのよう。
マンションは、立地が命。
マンションなのに、交通の便が悪いって、・・・??

とはいうものの、そんな理想通りの住宅に住んでいる人ばかりではない。
発言には要注意。

理想の住まいに住むというのは、なかなか至難である。
なぜなら、高い。
物件も高いが、維持費も高い。税金も高い。
住民のプライドも高く、敷居も高い。

とある知人は、京都生まれの京都育ち。学生時代も京都。
人生の半分を京都で過ごし、その後、芦屋に移られた。

「素敵ですね。両方とも上品な憧れの地じゃありませんか」
と、わたし。

「そうでもないですよ」
その方はおっしゃる。
とくに、「芦屋」は、首を傾げ、う~ん・・・と、沈黙の時間。

やはり、多くの人は、自分が生まれ育った地に愛着があると思われる。
その地が、どんな僻地であったとしても。

芦屋は、あまり歴史が長くない。
高級住宅地として定着し始めたのは、明治以降である。
おそらく、京都出身の方には、理解に苦しむようなことがあるのだろう。

どの世界に住んでも、その世界ならではの苦労や悩みはある。


自分の身の丈に応じた暮らしが、いちばん、心地よいと感じる。

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むしむし

2014-07-09 | 日々のこと

わたしのブログの最大、最強、いちばんの読者は、わたしである。
行きの電車の中や、待ち時間に読む。
これがけっこう楽しい時間なのである。
しかも、ガラケー。


そのガラケーに、ぶらんぶらん、じゃらんじゃらん付けている、アクセサリーが、これまたイケていない。
買ったときは、気に入って買ったのであって、そうでもなかったのだが、
自分の趣味が、時が経てば変化することに、驚く。
上海かどこかで買ったものなのだが、今、見ると、ひたすらダサい。

ガラケーとセットで、相乗効果、ちょうどだ。

ある日、電車内を見渡すと、ガラケーの人は一人もいなかった。
先日、一人だけ、40代ぐらいの女性が、ガラケーだったので、ちょっと安心した。


先々月、若手独身税理士K氏に、
「わぁ~、まだ、そんなガラケー使ってるんですか!!」と、
思いっきり馬鹿にされた。
自分は、その前日買ったばかりという、新品をちゃらちゃら見せびらかす。

「どうです。この画面。
くっきり、はっきり、鮮明。このグラフだけがあれば、僕は大満足です」
と、株価だかなんだか知らないが、チャート指数が常時リアルタイムで上下する画面を見せた。

あっそ。よかったね。


彼にとって、少なくともわたしは、客である。
なのに、この態度。
非常に気に入らないのだが、わたしに組織の中ではまったく実力がないことを知って、
わたしをないがしろにする。

「あなた、Sなの?」
と思わず聞いてしまった。
いじめすぎだ。


・・・


と、しょうもないことを書いた。


おそらく、行きの電車では、楽しみにガラケーを紐解く(ぱかっと開ける)高揚気分はないだろう。
(「紐解く」の使い方、明らかにおかしい。これ、確信犯です。いちおう、書いておく)


今日は、ムシムシむしむし、すこぶる蒸し暑い。
就寝中に、温度計、湿度計が、ぴたっと止まった体感。
時も同時に止まったような気がした。
日本人は、かなり忍耐強い。こんな湿度に耐えているのだから。
(普通のお宅では、エアコンつけたり、ドライモードにしたりしてるのかも知れない・・・)
今日の不快指数は全国でかなり上昇していることだろう。


お隣のお宅から、アカペラで、ソプラノの格調高い歌声。プロの歌手のよう。
いったい、どなたが歌っておられるのだろう。

と、関係ないことを書いて、おしまい。ブログタイム終了。



蒸し暑いなか、本日もがんばってきます。


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なんですかね。。。

2014-07-08 | ブログ

「読むな」、と書いても、読む人が多い。
「触るな」、と禁止しても、触るのと同じ。
「来るな」、と言っているのに、来る。。。

では、「ぜひ、お読みください」と書けば?
「エッセイスト ○○のお届けする、爽やかな文章の雫」
なんて、かんじで。
(うわ~、わたしには、ありえない)

・・・

この切り口で、ほんの数編、訪れる人がいたとしても、それまで。
わたしは、そんな客寄せがしたいわけではない。

 

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警告。読まないでください

2014-07-07 | 日々のこと

胸につかえる、マイナスの想いが、・・・むらむら、むかむか。
こういうときは、吐くと、すっとする。
(脂物の食べ過ぎのときは、いつもそうしている)

ここで、お願いです。
すみません。読まないでください。
スキップ、プリーズ。

・・・

とある別SNSで、嫌いなタイプの人がいる。
とても嫌いで嫌いで仕方ない。
なにも私に害を与えるわけではないのだが、
その人の日記や、おっしゃっていること、すべてがカンにさわる。

じゃあ、見なければいい。
でも、見てしまう。
怖いもの見たさ?

なにが嫌いかというと、
お上品ぶって、女性らしさアピールを意欲的にしようとして、言葉の表現、用法が間違っていること。
お上品用語の多用、乱用。ご自分では、それが素敵だと思っておられる。
気持ち悪いほど、自己陶酔型。
ご自分中心型の安演劇。劇場一人芝居型。
ご自分の人生にうっとり。
性格のタイプが大嫌い。
その人の仲の良い友達も、その人に似たタイプの粘着質タイプ。

その人が自己表現する、趣味への取り組み、想い、
家庭での立ち位置や、ご家族のタイプも、生活のタイプも、どれもこれも、大嫌い。
その人、そのものが嫌い。

・・・

などと書いても、まったく、すっきりしない。
嫌いで嫌いで仕方ない。
接点、ゼロ。

人のことは言えないけれど。
悪口を書いたら、すっきりしたか?
否。
よけいに自己嫌悪を感じただけ。

読んだ人は、気分が悪いはず。
(でも、最初に「読まないでください」と、警告、お断りした)
どうせ、やさぐれブログ。
自暴自棄感は、ぬぐいきれない。
この記事も、無断転載されるのだろうか?

ロボットが敵では、どうしようもないし、
ブログそのものの、温度や、人間度、手作り指数、ぬくもり感に、疑問を抱いている、今日この頃。

 

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未練?

2014-07-03 | ブログ

さすがにブログを更新する気力が失せた。

すっかり。

ブログ依存症も、そろそろ終わりか・・・。
ブログは、わたしを救わない。

終わりということは、次へのステップ。
新しい展開のはじまりということだ。

なにごとにも終わりはない。
かたちや質が変わって、続いていくものだと思う。

そう言いつつ、更新している。
これって、なあに?
未練か?

去っていく恋人の後姿に、よよと、すすり泣いている???
いやあ、そんなかんじでもないような、あるような。

「終わり」は、「始まり」の始まり、である。

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感謝と怨み

2014-07-02 | 日々のこと

今朝は、サプライズお誕生日メールがあちこちから。

「おたんじょうび、おめでとう」と大きく書かれた紙の前で、孫のフォトジェニック・スマイル。
「おばあちゃん、いつもありがとう」という、娘婿の通訳メッセージつき。

趣味のSNSでは、お誕生日メッセージが、ある会員さんから届いた。

さらに、皆、出勤した後の、誰もいないダイニングリビングから、
いきなり「ハッピバースデー ツーユー」のメロディーが流れた。
パソコンから? 電話から?
どこだ、どこだ、と探していると、なんと、置き時計にセットしてあった。
いっこうに鳴り止まないので、自分で止めたが。
流れている間は、マリリン・モンローがケネディ大統領に向けて壇上で歌った、その曲と映像が、脳内で同時進行していた。

いやはや、楽しいサプライズであった。

・・・

一人住まい、独居老人になっても、趣味仲間や、遠くに住む子供夫婦から、
こんなふうにコンタクトをとってもらうと、意外に老後、さびしくないのかも知れない。

しかし、ある程度の頻度で、家族や仲間と、会ったり、会食したりする機会が必要かと思う。
趣味仲間とは、いつもいつも飲み食いを共にしなくても、趣味だけをいっしょに楽しむのでもいい。
ちょっと会話を交わす程度でもいいかも知れない。
公園や屋外、ロビーなどで、自販機で買ったお茶を飲みながら、ほんのちょっとした時間、会話するのもいい。


孫の保育所に向う途中、大きな団地があり、真ん中に遊び場がある。
小学生たちが、遊具を使ったり、グランドを元気いっぱい駆け巡って遊んだり、
中高生が、まわりでたむろして話したり、ふざけたり、
年配の女性たちや、男性たちが、おしゃべりしていたりする。
その公園の手前のお店では、お店は閉まっているのだが(たぶん、廃業?)、
その店舗前のテラスに置かれたイスとテーブルで、自前で持ち寄ったドリンク片手に、
年配の男性たちが夕涼みがてら、談笑している。

夕方の、ほっとするひとときである。

多額のお金は要らない。
ほんのちょっとしたお茶や缶ビールで、近所の気の会う人と、おしゃべり。
老若男女が団地公園に集う。

ただ、住まいのすぐそば、近隣で便利ではあるが、
仮になにかトラブルがあった場合、生活も人間関係も、すべて同じなので、けっこうたいへんだろう。
保育所から小学校と、同級生は同じメンバーなので、人間関係がこじれたら、抜け出る空気穴がない。
悲劇が起こる種も潜んでいる。

自力で、ほどよい距離のところまで、抜け出ていく力、気力があるのが、わたしの理想とするところだ。
うんと年をとって、出て行く元気など毛頭ない場合は、おそらく体もかなり弱っていることだろうから、
気力も萎え、それどころではないことだろう。

元気なうちに、仲間を作っておくのは、とてもいい。
だが、仲間が、病気や家庭の事情で、一人脱落し、二人脱落し、どんどん年とともに減っていくことだろう。
遠方まで出かけていたものが、どんどん近くに距離が短縮されるだろう。

最後は、自分の家の中だけでいい。
それでいいと思っている。

出かけられる間に出かけ、仲間とコミュニケーションできる間に、お付き合いをし、
家族へは、手助けできる間に手助けし、
自分も順調に年を重ね、やがて、静かになることだろう。

・・・

いろんな方面、いろんな分野、いろんな面で、嫌なことも・・・気に入らないことも、あるが、
自分は自分の道を歩けばよいのかと思う。
素晴らしい人もいるし、
中には、ズルイ狡猾な人もいるが、そうしなければやっていけない人は、
その人の能力を存分に発揮して、そうしているのだから、それで幸せなことである。
他人になんと思われようが、その人の人生だ。
どんな評価であっても、評価ごと、その人のものだ。

ただし、他人であっても、利害関係が絡む場合は、関係がこじれ、解決するにも根が深くなる可能性がある。
晴れない怨みは、根深く地下に潜み、一見沈静したように見えても、絶えることはない。
これとは逆に、感謝の念を抱くと、それもまた伝えられていく。
自分の世代を超え、次の代にその思いは踏襲され、こころが代々受け継がれていく。
感謝や喜びなど・・・善、プラスのこころも、非難や怨恨など・・・悪、マイナスのこころも。

自分の軸をはっきり持ち、ぶれることなく自分道のを歩きたい。

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要領が悪い

2014-07-01 | 日々のこと

昨日は、朝の早よから頑張ったのに、
肝心の現場の人物(上司のようなものにあたる)が、すっかりその日を忘れてお留守、
まったく頑張りを見てもらえなかった。
その人物を喜ばせてあげたいために、行ったようなものなのに。

自分だけの、隠れた頑張りになった。
ちょっと虚しい。派手さゼロ。アピール力、ゼロ。

特別に評価してもらいたいわけではなく、評価してもらうことが目的でもなんでもないが、
いっしょに頑張りたかったのに、
非常に残念である。

まあ、自分が頑張ればそれでいいが。
こっそり、かくれて善行やボランティアをしている気分。
結果的に、いろいろなものが美しくなり、事態が好転すればいい。


世の中には、同じように頑張っても、評価してもらえる人と、
ぜんぜん評価されずに、もくもくと暗闇で頑張る人がいるようだ。

前者は、要領が良い。
後者は、要領が悪い。

わたしは要領が悪いので、
すばしっこく、抜け目無く、良い部分をささっといち早く手に入れる、なんてことは程遠い。
要領のいい人は、どの世界でも、すこく、ずる賢い、とも捉えられ、妬みの対象になることが多いが。
要領が悪いのは、たんに鈍くさいだけだ。

「いつも、要だけを行い、あとは、寝ている」なんてブログに書いているが、
そうでもないようだ。

まさに「頑張り」の要領が、悪い。
いつも、日の目を見ない。

自分の行いは、自分だけが、わかっていればいいか・・・などと、自分を慰める。

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