蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

女性の武器を使えなかった後悔

2021-09-11 | 人生
書きたいことが、いっぱい。
でも、指先、間に合うかな。
最近は指先もサボりになって、脳内でニヤニヤしてニヤけるだけのことも多い。
文章にするのが、もどかしい。しかもスマホ入力。

まあよいのだけど。

趣味がらみサイトで、ある65歳の女性からコメントをいただいた。
若い頃、女性を武器にするのは脳みそレベルが低い人がすることだと思い、胸にサラシを巻き、メガネに六法全書で、がむしゃらに頑張ってきたそうだ。
65歳定年を迎えるにあたり、わたしの人生、これでよかったの?と、後悔の念がよぎるとか。
服など、モノならお金でどうにか出来るけれど、若い時代は戻らない、、、と。
なるほど、頑張ってこられたようだ。

わたしは、脳みそを武器にしようにも出来なかった経緯があり、コース変更を余儀なくされた。
かと言って、全面的に女性を武器にするには、親の躾が厳しすぎた。
害虫は寄せ付けない、セルフ駆除・殺虫剤付き。

つまり、中途半端ということだ。
中庸ほどほどという、良くも悪くもないコース。
脳みそコースを脱落した後の具体的戦略としては、男性ウケや姑ウケを狙い、努力は最小限にしてラクしようと企て、省エネ邁進、今に至る。

ああ、もっとアタマがよかったらなあ、、、
ああ、もっと美人だったらなあ、、、
現実は才色兼備とは正反対、真逆であるが、まあ普通のレベルか、少し真ん中より下ぐらいかと自分では思っている。

と、脱線。
才色兼備なら今の幸せは手に入れていない。
両方無いなりの幸せも、またオツなものである。

子育ても姑に助けられて、わあラク!と喜んでいたが、今度は自分が助ける番になり、アゴを出している。ぜいぜい。
順送で助けてもらったことは、自分が今度は助けてお返しを!と殊勝に思っていたが、実際になると、なかなかしんどいハードワーク。
姑がわたしの子供達を見てくれていた、姑の当時の年齢は、今のわたしより10歳若い。
晩婚になっているせいで、孫ができる年齢が遅くなっている。
その分、高齢者も元気なお年寄りになって、全体的に実年齢より肉体&精神年齢が10歳、若くなっているのかも知れないが。

どんな人生であったとしても、それまでの人生には満足していたかどうかが、その後の人生のキーとなりそうだ。
ツケが回るのか、利子が付くのか。
我慢していたことが爆発する場合もあるだろう。
プラス方面も、マイナス方面も。
どっちにしても、自分が選んだ道。
自分で落とし前は付けないと。
人のせいにする場合もあるだろうし、その方が苦痛を和らげられるのなら、そうすればよい。
ただし、理不尽な要求を突き付けたりして、明らかに人の迷惑になるようなことは避けるべき。
と、当たり前のことを書いてみた。

65歳からは高齢者らしいから、それぞれの高齢者コースを楽しく歩んでいきたいものだ。





ズカズカ入ってくる

2021-09-08 | 暮らし
親戚から不祝儀お供えに対してお礼の電話があった。
我々夫婦は、日頃、潤滑なコミュニケーションが行われていないため、細かい報告を受けていないことが多い。
電話は常に留守番対応設定にしているが、先日、「○○(夫の実家の地域)の○○(親戚)ですが、、、」と留守番電話から声が聞こえてきた。
こりゃいかん、電話に出なければ!と、急いで受話器を取った。

「お供えをいただきありがとうございます」
そう受話器を通して、お礼を述べられた。
とっさに初盆にお供えいただいたことに対する、こちらからのお礼(粗供養)へのお礼かと思い、
「こちらこそありがとうございます。
わざわざご丁寧にお電話いただきまして」
と返答した。
すると「お家、リフォームされているみたいですね。
どなたか、お住みになられるんですか?」
と、いたっていきなりプライバシーの核心を突く質問を受けた。
わたしはどう答えていいのか返答に困り、
「うーーん、そうですね、、、住むというかなんと言うか、、、今のところは住まないです、、、」
と答えたかなぁと。(はっきり覚えていない)

あとで調べてみると、その親戚Aさんは初盆のお供えをいただいていない人だった。
とすると、去年にいただいたお供えにこちらがお返ししたこと(満中陰志)に対するお礼(ややこしい、、、)なのかなと思っていたが、どうやら違っていた。
つい最近、その親戚Aさんの高齢のお母さんが亡くなり、夫が香典を供えたという。
そのお礼の電話だった。

一年前のことを持ち出してそれを口実に、溢れる好奇心からリフォームのことを聞こうとしているのかと思ったが、そうではなかった。
いくらなんでも、そこまではしない、、、だろうと、自分の思い違いに照れ笑い。

しかし、夫の実家のご近所の皆さん、リフォームにかなり関心があるようで、じーっと立ち止まって見る人や、車を超低速にしてじっくり見ていく人、親戚のとある人を探している風を装って(本当に探しているかも知れないが)、毎日のようにズカズカ入ってくる人など(しかも数人、別々の人らしい)、強者揃い。
毎日、作業のためにリフォーム現場に通うリフォーム会社の担当者が、驚きながら話してくれた。

リフォームする時に、裏扉側の窓を設置するのをわたしが躊躇していた理由がわかったようだ。
近所の人がどんどん勝手に入ってくるのだ。
だから、食堂の椅子に座っていると窓の外から頭が見えたりして、落ち着いて座っていられない。
座ってなくても、玄関に鍵をかけていてもいなくても裏に回り、人がホイホイ通るため、プライバシーが確保しにくい。
で、大きな窓をつけることにあまり積極的ではなかった。

リフォーム担当者は、それを配慮して窓の位置や形を最適のものにしてくれた。
やや高めの位置に設置された細長い窓から見える緑も目に美しく、隣家の、瓦が乗った趣のある土塀も良い演出効果を醸し出してくれている。

ご近所さんたちは、都会ではない地域ならではの住民間の距離感の近さ。
これは実は、わたしが最も苦手とするものである。
冷蔵庫の中までは見られないにしても、敷地内には平気でズカズカ入ってくる。
わたしが、夫の実家に寄り付かない最大の原因はここにある。
お年寄りたちが足腰弱り外に出なくなると、次の世代の人は、同じようにまたズカズカと入ってくるのだろうか。
それとも、次世代の人々はそんなことはしないのだろうか。

地域特性か、たんなる好みの問題だが、世の中には、いろんな人がいる。

自分が好きならそれでよし

2021-09-07 | 日々のこと
ぐったり。
2大イベントは終了したものの、残務処理を残す。
週明けは何かと忙しい。
チビすけたちもやって来る。

チビすけたち、何を隠そう、土曜日も日曜日もいっしょ。
夫の実家に土曜日は、一緒にお泊まり。
忙しい最中、イベント直前の前泊。
(さらに月曜日も小学生チームは小学校下校の後に夕食込みで我が家にやってくる。
これは嬉しい悲鳴はとおに超えている、、、)

2ヶ月半前からリフォームを始めていた夫の実家。
旧キッチンダイニングと旧応接室と廊下、階段が、リフォーム後には合体した大空間で、じいちゃん&小学校男児チームはゴロ寝。
壁で接する仏間が、リフォーム後の部屋の扉を開け放すと見える。
時代を重ねた仏間が以前のままで、新しい空間と隣り合わせに存在するのを同時に見ると、時空を飛ぶ。
次女母娘は仏間に、長女夫婦&保育所女の子チームは、昭和3年築の別棟に、さて、わたしはどこで寝よう?
姑が寝室にしていた、仏間の隣?
はたまた2階?
結局、2階にして、寝る時ぐらいは異空間を確保した。
なかなか寝付けなかったが、一旦寝入るともう朝だった。

親戚がぞろぞろお目見え。
「わあ、変わるもんやね〜」とリフォームの劇的ビフォーアフターにびっくり。
あれこれコメントや、感想を頂戴するなかで、面白いものがあった。
玄関横の靴箱の上に掛けていた絵を見て義兄(夫の姉の夫)が一言。
「○○さん(わたし)が描いたのかと思った」
これには笑った。
というか、この絵は、まあまあ知る人ぞ知る作家のリトグラフ。
わたしに描けるぐらいの能力があるとみなされたのか、ど素人でも描けるぐらいの絵とみなされたのか。
とりあえず、「版画だから描いてないんですよー。
何分の何番、て、隅に小さく番号あるでしょう?」
と笑顔で説明した。
これは、笑えるが、明るい笑いか、痛い笑いか。
褒められたのか、けなされたのか。
発言の主であるご本人には全く悪気なく、思ったことを素直に言っただけに、聞く側にはなかなか妙味がある。
ちなみに、このリトグラフは、掛けた場所とテイストがぴったりマッチしている、とリフォーム関係者や家族には絶賛。
まあなんでもよい。

それより、玄関正面に掛けている、わたしが一番力を入れている、大事にして腫れ物を触るように扱っている大切な重厚な絵画には誰も気づかず無言。
壁の一部として、見る人の目をすり抜けている。
あまりのすり抜けぶりに、つい、近い親戚には絵画の説明をしてしまうわたし。
でも、誰一人、「そうなんですか、、、」と重い反応をしてくれる人はおらず、相変わらず、そのままスルー。
そんなふうに見えないのはよくわかるが、
、、。
色彩の調子やモチーフが重く暗い油絵だからだろうか。
コピー贋作どころか、印刷物に見えないだけマシか。
ああ、可哀想な絵。
何百年も時代を見続けている絵なのに、せめてわたしだけでも愛でよう。

というか、皆さん、絵には興味ないようだ。
まあそんなものだ。
自分が楽しければよい。


恐怖

2021-09-02 | 日々のこと
愛すると人でも、愛さない人とでも、、、
一緒に暮らしていると、大好きな人なら若い時はまたホルモンが騒いでお祭り気分だが、歳がいくと、気にしなくてもよいことが気になり、ぶちギレる。

トイレの電気をつけた後、消さない。
寝室の電気をつけたまま消さないで寝る。
涼しいぐらいでもエアコンをつける。

好みは、ひとそれぞれだろう。
干渉する権利も強制する権利もない。
ただし、一緒に暮らしていなければ。

神経にひりひり堪える。
温度の体感の違いは埋められない。
ひたすら辛抱する。
居なくなる時をひたすら待つ、、、
攻めではなく消極的な戦法だが。

お互い五分五分、我慢をシェアするのが公平である。
だとすると、別空間で居るのが平和的解決だ。
同じ空間に同時に居ないためには、居る時間をずらす、とか、上下に分ける、とか。
工夫する。
だが、わたしが退避する2階は太陽に近い分、灼熱だったりもする、、、しかもエアコンは自室にはない。

嫌いなものを無理に食べるのは身体によくない。
苦手なことを克服する努力より、得意なことを伸ばすほうが、楽しい。
ただし、最低限の努力はすべきだ。

何度、この話題を書いているか数知れず。
展開や着地、結論もいつも同じ。
書いて、その場、その時の不快さを回避しようとしているだけ。
苦しい時や、強い厄祓いのお経や呪文のよう。
お読みになる方へ。
すみません。お経や呪文を唱えながら読んでください。

・・・
この2日前に書きかけた記事を仕上げる電車内、激しい雨が降り、恐怖に慄いている。
世界各地でも異常気象。
無事、目的地に着けるだろうか。
首相、菅さんの交代より、異常気象のほうがずっとずっと怖い。
一刻もはやく家に帰りたい。

潮時

2021-09-01 | ブログ
「潮時」って余韻がある言葉である。
わたしが「潮時」という言葉に抱くイメージは、、、
人工的、無理矢理的、MAX頑張り系ではないニュアンスを感じる。
自然体で自然に諦める、衰退する、やめる、、、
時の流れや摂理に逆らわず、自然消滅。
気持ちはやや残るが、執着心はない。
消極的に諦める時の手法?

お付き合いや、事業、ビジネスなんかも、こういうかんじか。
赤字続きだったり、病気したり、資材調達困難が続いたり、、、
持ちこたえようと頑張るものの、そろそろ限界か、、、
やめたいが、やめられない。
やめるキッカケを探している。
それがずっと続いている。
そんなかんじかと。

ちなみに、わたしにも潮時がいずれ来るだろうと感じることはある。
が、まだその時は来ていない。
予感、予想はするが、局面は迎えていない。
ブログに関しては、書くのは楽しみの一つ。
というか、エネルギー発散、ガス抜き、ストレス解消。
生きていくには必要。(→相変わらず大袈裟)
書かないと、何日も髪を洗ってないような、そんなムズムズ感に襲われる。
普通にお箸を持って毎日、何かを食べるかのように、目を瞑って書いている。(→またまた誇張)
お箸がわりに、人差し指くるくる。
なので、まだまだ食欲旺盛で、潮時感覚はない。

多分、気が狂うほど退屈でも、退屈だ退屈だ退屈だ退屈だと書くんだろう。
退屈はしのげると思う。
ただ、気持ちよくスカッと空気が抜けるかというと、そんなツマラナイ内容では自己嫌悪に陥いるだけだけれど。
退屈だから書くのではない。
なので、退屈な時は、それなりに何かしていると想像する。

・・・
潮時、、、それは自分で決めるのではなく、状況がそうさせるように感じる。
自分は潮に身をまかせるのみ。
抵抗はしない。
抵抗したい時は潮時ではない。

ちなみに、今日の記事、そろそろ潮時。
書きたいことをみんな書いて、もうなくなってきた。