我が家の庭に咲く曼珠沙華2輪。
これはウチで生きていた小さな魂が花に姿を変えて、現れたと、わたしは思っている。
埋めた木の下に咲く2輪。
1輪は、長女が小学生の頃、仲良しだった同級生の〇〇ちゃんが引っ越し、転校する頃。
転校するまでに、〇〇ちゃんにぜひ、見てもらいたい、見せたいから、と、長女にセキセイインコを買ってくれとせがまれた。
生き物の世話は大変だからと、わたしは躊躇していたが、世話はちゃんとするから、どうしても、と言う。
根負けしてセキセイインコを買い、どうにか〇〇ちゃんが引っ越すまでに彼女に見せることは出来た。
水と餌を毎日やるのだが、餌をチェックするとまだ餌入れには入っていたため、補充されていて大丈夫かな、と、そのままにしていると、ある日、セキセイインコは動かない姿になった。
餌は、餌がまだあるように見えていたが殻だけが残り、実際には中身は食べてしまっていたことに気がつかなかった。
長女は多少はしょんぼりしたように思うが、〇〇ちゃんに見せてからは、興味は明らかにダウンしていたことは確かだ。
仕方なくわたしがセキセイインコを紅葉の木の下に埋めた。
ある日、同じ場所に白い百合が咲いたこともある。
また別の年には、金魚とかも埋めたような、、、。
うちには生き物は飼う資格がない。
ほとんど飼ったことはないが、ごく稀に飼うとすると、あまり情熱もなく勢いと流れで飼っているように思う。
白百合や曼珠沙華になって、小さい生き物ながら、訴えているのかなあ、、、と。
たとえ小さくても少しでもご縁のあった生き物、生きている間にもっと手をかけ大切に育てるべきだったのか。
安らかに眠ってね。
しかし、これ、人間にも大いに言える。
何げなく暮らしているが、愛情を込めて丁寧に一日一日を過ごすことが、幸せなんだよ、と、静かにひっそり咲く曼珠沙華が語っているように思う。