蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

平安顔

2022-09-08 | 思い出
平安時代なら、わたしは、きっとモテモテだっただろう。
まず容姿。
髪ボリュームが通常人の2倍。(今は老化で減少)
美容院の人に、「2倍料金をいただきたいです」と苦情を言われたことがある。
すみません、、、。
(でも髪が少ないお客さんは減額されるわけではないでしょうし、そのあたり調整してください、、、)
ボリュームが多いからといって、ツヤツヤ艶光りしているかというと、、、否、天然パーマ。爆発頭である。
まあそれはそれとして。
髪は美人の必須条件。
これは質を言っているのだと思うが、量なら負けなかった。

次。
顔。目が能面の如く細い。
が、お歯黒の能面のような無表情ではなく、
オタフク、福顔。
しかし、明治以降、西洋かぶれの日本人の憧れ美意識は、、、昭和、平成、令和においては、時代遅れ顔。
でも、平安時代の絵物語のお姫様顔。

さて次。
さらさらさら、、、恋文が得意。
これで王子様(源氏や、時の権力者)をゲット!
通い婚してもらえるかも?
宮中では女性同士の熾烈な争い?
科学でも数学でも経済でも歴史でもなく、国語、作文能力だけを問われるなんて、最高に嬉しい時代。

というわけで、平安時代なら、少なくとも今よりはモテたはず。
生まれる時代を間違えた?
が、平安時代に生まれてもお姫様的ポジションとかけ離れた場所に生まれていたら、文のチカラなど、まるで関係ない。
識字能力がないのだから。読み書きが出来ない。
チカラの発揮しようがない。

ちなみに、わたしは、歯車が大きすぎて、一般の歯車とは合わない。
わたしの一回転と、皆さんの一回転では、回る時間が違う。
それだけならどうにかなる。
どうにもならないのは、歯車の歯のサイズが違うと噛み合わない。
なので、円周の大きさは違ってもいいので、歯のサイズが合う場所に自分の身を置く。
そうしなければ生きていけない。

かつて、高校を卒業したばかりの春休みに、大手企業が経営するカジュアルレストランに1か月、アルバイトをした。
そこでわたしの付けられたあだ名(ニックネーム)は、「大正の姫」。
どうせなら江戸か平安がよかった、あるいは昭和(その時は昭和だった)。
でも大正だった。
きっと、ピントがボケていて話にならなかったのだろう。
嫌味を言っても、怒っても、注意しても、わたしは宇宙人みたいだったのかも知れない。

ではあるが、、、(ここで少し声を大きくする)お客さんとして来店していた、同じ歳の男子とお付き合いすることになった。
彼は同学年だったが、一浪して次の年には大学に入学した。(世間的に見ると成績優秀)
大正の姫も、一応、女の子なのだ。

と、どうでも良い自慢話。(これは自慢なのか?)
昔話ついでに、もう一つ。
国立K大学法学部の現役生で司法試験を受ける、苦学生がいた。
彼は勉強の妨げになるからと、わたしとは一回会っただけで、その後は絵手紙をくれた。
実直な狸が幼い女の子を守る絵。
思いを絵手紙に託してくれた。
意志の強い、真面目な学生さんだった。
その後、法曹界で活躍されていることだろう。
しかし、彼とはどのタイミングで知り合ったのか?
よく覚えていないが、おそらくわたしが19歳ぐらいの時だろう。どこで??
うーーん、、、
K大学○○学部○○部のダンパか?
社会人とは知り合わなかったと思う。

ところで関西でKで始まる大学はたくさんある。
国立私立含めて、いっぱい。
特定しにくいから気楽だ。

昔は誰しも若かった。
華やかし頃。
平安でも大正でも昭和でも、皆んな若い頃があった。





覚書

2022-09-07 | 日々のこと
蝶ブログにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。

ちなみに、わたし。
この夏の暑さにやられたのは、身体だけではなく脳も。
あ、脳は平時、平常、いつもやられている。

が、特に近頃、脳回路が混線しているのか、スイッチを入れてから繋がるのが遅い。
思い出すのをあきらめることもある。

忘れ物や、間違いが日常的に起こる。
今回は仏事のお返し(粗供養)の金額を一部、間違えた。
しかも、間違えたまま、テキパキと送ってしまった。
のろのろしていたら、まだ送らずに、訂正が効いたのに、わたしらしくなく、用事は早く済まそうと、さっさと終了してしまった。
日頃にもなく殊勝なことをすると、ろくでもない。
覚書ノートに今朝、記入して気づいた。
そもそも、覚書ノートを書くのが面倒で面倒で、渋々嫌々書いた。
舅の時の仏事記録を姑が書き記してくれていて、それを参照して仏事を進める。
家の行事をするには大変助かる、カンニングペーパー虎の巻である。
その内容に従って行事を進め、日時、行動、親戚や関係者からのお供えやお返し(粗供養)が記されている。
今回は、いちいち見なくても記憶を頼り、うろ覚えのままで進めた。
終了後、覚書ノートを書いていて、舅版と照らし合わせ、思い込み、思い違いがあるのを発見した。
あーあ、、、
もう終わってしまった。

お返しの金額を少なく間違えたので、姑に比べると、ずいぶんケチになったと思われたことだろう。
じつは、手違いなのだが。
事後処理、どうすべきか。

そのかわり、といってはなんだが、夫は舅たちの時より、お坊さんへのお礼(お布施)をぐーんとアップしていた。
わたしは、そんなにアップしたら、次の代が困るよ、もう次代は無いなら別だけど、と、反対意見を出したが、スルーされた。

金額、お坊さんにはアップ、出席者にはダウン。これ、変。
出席者担当のわたし、さて、どうしよう?
このまま見知らぬ顔して、意図的に減額方針を打ち出したと思われても良いのか?
わたしが、ケチだと思われても良いのか?
間違えただけなのだが。いちいち、間違えました、と説明して回るのか?
次にお供えを送って来られるのは4年後。
その時は、むこうもお供えが減額になっているかも知れない。
それはそれで、まあ良いか。
減額になっていないとすると、それはそれでまあ良いか。

ああそう言えば、そのうちの1人に、こちらからもお供えを送らなければいけない仏事が来月ある。
お供えのついでに、今回の手違い減額分を別の袋に同封して送るという手もある。
ウルトラC裏技?
ではもう1人は?
さてさて。

雑記

2022-09-06 | 日々のこと
わたしの日記は毒づくと、結構楽しいようだ。
たんに嬉しそうにチャラチャラ浮かれたようなハッピー内容は全然面白くない。
つまり、わたしには毒があるということ。
ワクチンのように毒が体内に入っていると、抗体の働きをして、自分の毒で毒に打ち勝てる。
毒がないと、はにゃはにゃと外敵の毒に負ける。
抵抗力がないと辛い。
自己防衛の武器のようなものだ。
とは言うものの、自分に入ってきた毒を追い払うために使うのであって、積極的に敵に向かって毒を投げつけない。
攻撃性のない弱い毒だ。
が、解毒剤として活躍する。
・・・・・

と、ここまで、3日前に書きかけたまま放置していた。
あれから、ドタバタ、宗教行事(法事)。
事後の諸々雑事に追われて、ああ疲れた。
主催者は何かと大変。
翌日に、体調を崩す、初めての病状の初体験もした。
不安だったが、どうにか今は治っている。
と、雑な日記。
何のためにブログを書いているのかわからないような記事になった。





心臓バクバクも楽しい

2022-09-02 | 趣味
ドキドキし過ぎた一昨日。
自宅で1時間、駅で20分待ち、たくさんの待ち時間を経て、カウントダウン。
待ち合わせの時間には、大時計の警報の音(のごとく感じた。実際は無音)。

チッチッチ、チーッ!
と針はそれまで秒刻みに動いたものの、待ち合わせ時刻を刺してもその後、止まったまま。

あれ?あれ?あれ?
なんで?なんで?なんで?

おかしいな、へんだな、間違えたかな?
不安というよりは、自分の思考が止まった。

・・・・・

結末から言うと、ちゃんとうまくいったのだが。
待ち過ぎて、行き違いがあり、5分ぐらい遅刻したような状況になった。
劇的瞬間は、ちょっとブザマ。
まあ許容範囲内。

それにしても、この歳になってこんなにドキドキできるなんて、なんて幸せなんだろう。
今日が未来の中で、1番若い!
まさにその通り。

1日1日を大切に、
感動を大切に、
思い出づくりを大切に!

将来の自分は、今の自分の上にある。
腐る時はまた腐り、楽しむ時はまた楽しみ、凸凹デコボコ道を歩いて行こう。